「彼女ができねえよぉー……」
そんな慟哭と共にテーブルに突っ伏したのは、一年生からの友人である佐々木颯汰だ。
これをされるとテーブルに顔の皮脂が付くからあまりやってほしくない、というのがこのファミレスの店員である俺が真っ先に思ったことだったけど、わざわざ言ったりはしない。弱っている時に辛辣な言葉をかけるのは友達のやることじゃないからな。
「まあそのうちできるって。元気だしなよ」
「他人事みたいに言いやがって。そういうお前は欲しくないのかよ、夏樹」
「んー、まぁ欲しいといえば欲しいけどさ。誰でもいいってわけでもないし」
他人事みたい────まさにその通りだ。俺はフライドポテトをケチャップの海にくぐらせてから口に放り込む。塩気の強いポテトとケチャップの酸味が合わさって美味しい。ついつい手が伸びてしまう。
「やっぱうちのポテト美味いよなあ」
「分かる。多めに盛ってくれるしな。バイト入ったらお礼言っといてくれ」
「あいよ」
颯汰も起き上がってポテトを食べ始める。三人前はありそうな山盛りのポテトだけど、注文したのは一人前だけだ。俺に気が付いたキッチンの人がサービスしてくれたんだろう。
今日のシフトは誰だったか……このふざけた量はもしかして店長かもしれないな。今日はバイトの面接か何かでこっちの店舗にいるって言ってたし。
「それにしてもさあ」
颯汰が手に付いたケチャップを舐めながら言う。
「まさか二年生になっても彼女ができないとは思わなかったよな。それも蒼鷹全員だぜ? 雀桜との絆はどこいったんだって」
「まあね。正直な話、入学前は俺も簡単に彼女くらいできるんだろうなって思ってた」
同じ町にある男子校と女子校、蒼鷹高校と雀桜高校。
この二校は代々学校ぐるみで仲が良く、カップルが沢山できることで有名だった。俺も勿論その噂は知っていて、蒼鷹生になれば薔薇色の高校生活が待っているんだと思っていた。しかし蓋を開けてみればそんな噂は噂でしかなく、俺は雀桜生と一度も喋ったことすらないまま二年生になってしまった。蒼鷹と雀桜の繫がりは一体どこにいったんだろう。
「なぁ───にが『雀桜の王子様』だよぉぉ……こんなの聞いてないって……」
もう一度颯汰がテーブルに突っ伏す。
────雀桜の王子様。
それは蒼鷹生の中で最近噂になっている、とある女子生徒のことだ。どうやらその生徒が雀桜内で絶大な人気を誇っているせいで、我らが蒼鷹は日照りの毎日を送っているらしい。
名前は……なんて言ったっけ。
「くそお……立華一織……許さねえからな……」
颯汰の愚痴のおかげで、その答えはすぐに分かった。そうだそうだ、立華一織だ。
顔も知らないその雀桜生に今、全蒼鷹生は悶々とした負の感情を一方的に向けているのだった。あえてそれに名前を付けるなら「負け犬の遠吠え」かもしれない。本当に可哀想な話なので心の中で同情しておく。
「でもその噂、本当なのかなあ。一人の生徒のせいでここまで何もなくなるなんて」
しかも相手は女子だ。にわかには信じがたい話である。
「そうだけど、実際こうなっちゃってるわけじゃん。俺やだぜ、友達全員童貞のまま卒業するの」
「それは別にいいと思うけど」
他人がどうだろうと関係ないと思うし、別に早く経験すれば偉いってものでもない気がする。
「あ、俺そろそろ行くわ。悪いけどポテト食べといてくれ」
荷物を持って立ち上がる。そろそろバックヤードに行かないと「朝礼」に間に合わない時間だった。
「もうそんな時間か。労働頑張ってくれい」
ポテト片手に手を振る颯汰に軽く手をあげ、俺はバイト先を出た。
そしてバイト先にやってきた。その間およそ三十秒。駐車場を通って裏に回るだけだから当然といえば当然か。
重たい金属の扉を開けると、パソコンを前に難しい顔をしている店長の姿があった。椅子に座っているので長い黒髪が床に付きそうになっている。
「店長、おはようございます」
「ん? おお夏樹、ポテトは美味かったか?」
そう言ってにやっと笑う店長は、制服を着せたら同年代にしか見えないほど若く見える。でも何歳なのかは誰も知らない。地域密着型のファミリーレストラン『サイベリア』を数店舗経営する社長でもあり、一店舗目でもあるこの店の店長も兼任する年齢不詳の超シゴデキスーパーウーマンだ。
「やっぱり店長でしたか。あれ三人前くらいありましたよ?」
「高校生は沢山食った方がいいんだよ。勿論、食った分は働いてもらうけどな?」
「そりゃもう。ポテトがなくても真面目にやりますけどね」
「流石、次期店長は気合入ってるねえ。私も頼もしいよ」
店長が豪快に笑う。こんな笑い方は十代にできるはずがないので、やっぱり同年代じゃないのは確定だ。
「だから店長にはなりませんって。俺、進学希望なんですから」
「まあまあまあまあ。返事は焦らなくてもいいからな。ゆっくり考えてくれればいいさ」
俺はありがたいことに店長から結構信頼されている。こうやってサイベリアの店長に勧誘されるのも何度目か分からない。まあ半分くらいは冗談で言ってるんだとは思うんだけどさ。
「そういや店長、面接はどうだったんですか?」
手洗いを終え、更衣室のカーテンを閉めながら気になっていたことを訊いてみる。
「おっ、なんだ夏樹? 可愛い女の子が入ってくるのか気になるのか?」
「違いますよ。採用するなら多分俺が教育係ですよね? どんな人なのか気になっただけです」
店長の言っていることもまあちょっとは気になるけど。それはそれ、仕事は仕事だ。
「ははぁん…………喜べ夏樹! 採用、それも同い年の女の子! 雀桜の二年生だぞ!」
語気を強める店長とは裏腹に、俺のテンションは上がらない。
「雀桜、ですか」
「どうしたんだ夏樹、蒼鷹と雀桜っていえばこの辺じゃ憧れのカップルだろう。私の頃も凄かったんだからな、雀鷹カップルは」