神々が支配する世界で〈上〉

【1】邪神の標的 ⑨

 しよういちが「名前は」とたずねなかったのは、コードネームしか分からないケースがほとんどだからだ。

 はいしんへいの素性は邪神の力でカモフラージュされている。神々に直接コントロールされている戦闘用ディバイノイドならば、カモフラージュを突破することも可能かもしれない。だが神々に武器を与えられているだけのじゆうしんせんには、邪神本体の手による偽装は破れない。


「特殊G型はいしんへい『グリュプス』」

「あいつか」


 グリュプスは地球──マルチバース内では『ジアース世界』と呼ばれている──では有名なはいしんへいだ。


「襲われた候補生はよく無事だったな」


 心配しているとは余り感じられない声音で、しよういちが独り言のように漏らす。


つきたまたま近くにいたというのもあるけど、彼女が現場に駆け付ける時間を新候補生が稼いでくれたのが大きかったわね」


 その一方で、すいの口調は苦笑気味だった。


「ほう、何という候補生だ?」


 それまで感情の揺らぎがほとんど見られなかったしよういちだが、この回答には興味をそそられたようだ。──もっとも、平均的な人々に比べれば反応は希薄だったが。


「名前はあらしまこう。私たちと同じ日本人の男子よ」

「ああ、ジアース世界男性で初めてのF型適合者か」


 すいは「日本人の男子」と言い、しよういちは「ジアース世界男性」と表現した。

 すいは神々に仕える代行官だが、勤務地は代行局に固定されている。

 それに対してしよういちは、地球防衛が現在の主な任務だが他の次元へ派遣されることもある。数年前までは別次元を主戦場としていた。

 異次元世界を知識としてしか知らないすいと、マルチバースを飛び回ってきたしよういちの意識の違いが二人の言葉に反映したのだろう。


「邪神にとっても貴重なサンプルのようだな」

「兄さん……。『サンプル』なんて言い方は止めて」


 すいが兄をたしなめる口調は、余り強いものではなかった。


「そうだな。すまん」


 だからなのか、それともそういう話し方が癖になっているのか。しよういちの謝罪は「悪かった」という感情が伝わってこない、淡々としたものだ。

 すいはそれ以上、しよういちとがめなかった。


「一人の候補生に護衛の戦力を固定するのは、現実的ではないな」

「貴重な人材とはいえ、兄さんの言うとおりね……」


 しよういちの指摘に、すいがため息を吐きながらあいづちを打つ。


「自衛のすべを身に付けさせねばなるまい」

「……兄さんが教えてくれるの?」

「命令が出ればな」


 しよういちは神々に仕える正規の戦士。神々の命令無しに勝手なことはできない。

 それはじゆうしんせんの規律にのつとった発言だったが、はたで聞き耳を立てていた代行局員には薄情なセリフに聞こえた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 こうようつきと共に、彼女たちの祖父の家に着いた。

 木造の伝統的な日本家屋で、しきはかなり広い。ただしきの大半は道場で占められ、家自体のサイズは平均的だ。平屋で、現代風に言えば2LDK+Sの間取りになる。

 門柱に掛かっている表札は「ひら」。これはようの母親の旧姓だ。

 ようの祖父、ひらよりみつは現在この家に一人で暮らしている。家事は通いの家政婦が片付けているが、夜は一人だ。身寄りはようの母以外にその兄がいるのだが、現在は仕事の関係で家族と海外に住んでいる。妻とは、十年以上前に死別していた。

 よりみつじようじゆつそうじゆつ、剣道の心得があり、若い頃は地元の警察でじようじゆつを教えていた。警察のけいじようじゆつよりみつが使うじようじゆつは似ていても別のものなのだが、それでも警察が教えをうほど、よりみつの技は優れていた。

 ただ、警察の仕事はある事件が切っ掛けで辞めている。今はしき内の道場で、子供に剣道を教えるかたわら、気に入った若者を弟子に取り、しようばいを抜きにしてしごくのを老後の楽しみとしていた。

 ちなみにこうは、剣道教室の教え子ではない。彼は父親の縁でよりみつの弟子になった。こうの父は警察の道場におけるよりみつの一番弟子とも言えるような存在で、二人の間には仕事上の関係を超えた付き合いがあった。

 そのゆうの厚さは、こうの父親が殉職した直後の一時期、よりみつこうとその母の後見役を務めた程だ。後見役といっても法的なものではないが、よりみつが様々な形で手助けしたかげで大黒柱を失ったこうの一家は立ち直れたという面があったのは否定できない。専業主婦だった母親の就職も、よりみつの口添えで何とかなった。

 よりみつこうを弟子にしたのも彼の父親との縁、後見役としての手助けの一環だった。

 五歳で父親をくしたこうにとって、よりみつは恩人で師匠であると同時に、父親代わりであり祖父代わりでもある。──なお、実の祖父母は父親より先に全員死亡していた。こうは血族との縁が薄い子供だった。


「おお、ようつきも良く来たな。さあ、遠慮せずに上がりなさい」


 よりみつは二人の孫娘を、こうこうの笑みで迎えた。


こうしばし道場で待っておれ」


 そしてこうには、厳格な師の顔でそう命じた。

 扱いの違いに、こうは不満を覚えない。ひらよりみつは自分の師。父親代わりを必要していた時期を、こううに卒業していた。

 言われたとおりこうは、無人の道場に上がってよりみつを待った。

 板敷きの床に正座し、背筋を伸ばしたまま待つ。彼は剣道教室のではなく、じようじゆつそうじゆつだった。

 そのまま十五分以上がっただろうか。


「すまん。待たせたな」


 その言葉と共によりみつは道場に来て、こうの前、神棚を背にした上座に座った。

 よりみつが腰を落ち着けた直後、こうひれした。


「師匠。これまで御指導、ありがとうございました」


 両手を突き、額を床すれすれまで下げた状態で、こうが用意しておいた口上を述べる。


「礼ならば、顔を見せて言うがい」