神々が支配する世界で〈上〉

【1】邪神の標的 ⑧

 敵のじゆうしんせんが少しずつ近づいているのを、しゆうすけは感知した。

 銃撃に費やしていたエネルギーを飛行力に回して加速したのだ。それを察知しても、しゆうすけの心にあせりは生まれなかった。

 現在の高度、二百九十キロメートル。第一次しんいきの境界面まで、あと十キロ。

 現在の上昇速度は秒速三キロメートル。

 相手が追い付くより、しゆうすけが第一次しんいきを突破する方が早い。

 追いつけないと、ナタリアもさとったのだろう。

 彼女の気配が消える。

 瞬間移動を使ったのだ。だが神々の瞬間移動も邪神群の瞬間移動も、いったん物質転送機を経由して再ジャンプしなければ任意の場所には跳べない。

 ナタリアが高度三百キロの上空に出現した瞬間、しゆうすけしんいきの境界面に達していた。

 ナタリアがしゆうすけに銃口を向ける。

 彼女がひきがねを引いた直後、しゆうすけの姿が消えた。

 第一次しんいきを抜けたことにより回復した、しゆうすけを加護する邪神の力による空間跳躍だ。

 放たれた光弾は、熱圏の希薄な大気をむなしく切り裂いた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 神々は地球を直接統治するのではなく十二の代官──『代行官アルコーン』を置いた。肉体を持たぬ神々の代行官は、肉体を備えた人ではなかった。人間を超越した超人でもなければ、天使のような霊的生物でもなかった。

 代行官は地球のはるか先を行く超技術で建造された巨大な人工頭脳だった。ただ「はるか先」とはいえ代行官に用いられた技術は現在地球で使用されている機械技術の延長線上にあるもの。地球人には、理解はできなくても存在だ。自分たちの統治に対する迷信的な恐怖を和らげるため、神々はえて機械技術の産物を統治機構のトップに据えたのだった。

 ただこの統治機構は、無人ではなかった。

 十二体の代行官の内、南極に置かれている『総代行官グランドアルコーン』を除いて、代行官には『代行局』が併設されている。代行局は代行官を補佐する統治補助機構で、選ばれた人類と、神々が創造した合成人間『ディバイノイド』が勤務している。

 ディバイノイドと人間の、外見上の差異はごくわずかだ。代謝機能も見掛けの上では人間と同じ。酸素を吸い二酸化炭素を吐く。有機食品を摂取して肉体を維持する。

 ディバイノイドは機械部品を持たない完全有機体だが、機械技術とは異なる神々のテクノロジーで代行官と直接つながっている。代行官から直接指令を受けるディバイノイドは代行局において、人間の局員よりも上位に位置する。

 とはいえ、人数は人間の局員の方が圧倒的に多い。代行局運営の実務面は大部分が人間局員に任せられていた。

 代行局に勤務する人間は、わば世界政府の職員だ。じゆうしんせん程ではないが、局員はしんれきの世界におけるトップエリートだった。


 こうようが入学することになっている『アカデミー』は、その名称から分かるとおり日本の山麓にある。そこには、隣接する形で代行官・代行局も置かれていた。アカデミーは代行局の付属施設という位置付けだから、ある意味で当然だ。

 アカデミー入学を目前に控えた貴重なじゆうしんせん候補がはいしんへいの襲撃を受けたというしらせは、代行局を大きく揺さ振った。新入生の安全が確保されたことで動揺はひとず収まった。しかしはいしんへいを逃がしてしまったことで、みようにちに控えている入学式の警備態勢見直しが各部署で慌ただしく論じられていた。

 その混乱のなか、一人のじゆうしんせんが管理部を訪れた。じんがいを着用していないスーツ姿だったが、その男性のことは代行局員ならば誰もが知っていた。

 代行局の管理部はじゆうしんせんの配置やスケジュールのマネジメント、および作戦上の後方支援や私生活の厚生を担当する部署だ。それを考えれば、じゆうしんせんが個人的に訪れてもおかしくはない。


すい、少しいか」

「兄さん。ええ、いわよ」


 まして、この会話でも分かるとおり訪ねたじゆうしんせんと訪ねられた管理官はきようだい同士。彼の訪問に奇異の目を向ける者はいない。──憧憬のまなしは向けられていたが。

 じゆうしんせんは人々の尊敬とせんぼうを集める存在だが、その男に向けられる視線はそのようななものではなかった。

 彼の名はこんしよういち。地球人で最初にじゆうしんせんとなった七人の内の一人。その中で唯一、今も現役の戦士として神々に仕えている英雄だった。

 憧れと崇拝を集めながら、しよういちには少しもその功績を鼻に掛けている様子が無い。局員の視線に気付いていないかのごとき無表情だ。

 そんすうを当然のものとする傲慢とも違う。一切の余計な感情を排して任務にのみまいしんするプロフェッショナルの姿、とでも言うべきだろうか。そんなたたずまいが彼にはあった。

 今もしよういちは自分に向けられている視線を全て無視して、というより全く意識せずに、妹であり管理官であるすいに話し掛けている。


アカデミーに入学予定の新候補生がはいしんへいに襲われたと聞いた。現時点で判明している情報が欲しい」

「耳が早いわね……。もしかして代行官アルコーン閣下から対応を命じられたの?」


 代行局員は人間もディバイノイドも完全な機械でしかない巨大人工頭脳を「閣下」の敬称付きで呼ぶ。なお余談だが、ディバイノイドは人間の代行局員から「きよう」を付けて呼ばれている。

 すいの反問に、しよういちは「いや」と首を横に振った。


「代行官閣下から直接話があれば、わざわざお前をわずらわせには来ない」


 そしてこう補足する。


「兄さんのサポートが私の役目なんだから、わずらわしくなんて思わないけど」

「お前は俺の専属ではないだろう」


 すいは何か反論し掛けた。


「それより襲撃について教えてくれ」


 だがしよういちがリクエストを繰り返す方が早かった。

 既に述べたとおり、管理部の仕事はじゆうしんせんの後方支援全般。任務に関わる可能性がある情報の開示を求められたなら、答えないわけにはいかない。

 特にしよういち代行局に所属するじゆうしんせんのリーダー格だ。むしろ要求される前に事件の詳細を伝えておくべき相手だった。


「出現したはいしんへいは一体。襲われた候補生に被害は無し。たいらつきとナタリア・ノヴァックの二名で撃退したわ」

「そのはいしんへいの名称は?」