転生程度で胸の穴は埋まらない

第二章 テルネリカ ③

 シルメニア家の生まれ──つまりこれから救援に向かう街と同じ名の家の生まれらしい。彼女はどうやら街を治める貴族家の娘だったようだ。

 テルネリカが都に来たのは十五日前。街が見捨てられたことを知った直後だ。

 国や親元の貴族には頼れず、こうなったらアデプトに直接交渉しかないと単身で都に渡ってきたらしい。

 そして、それから今日までの間必死に助けを探して……しかし、アデプトと交渉どころか会話すらままならず追い返されて、己の体を一旦治療することすら出来ない状況だったと。


「救援を望むと言ったら、どこに行っても門前払いされてしまいました。今この都に残っているアデプトは都の守護や神の護衛に就いているものだけだ、と。救援を諦めるのなら、私個人の治癒だけはしてくれるとは言われたのですが……」


 でも、そんなことにうなずけるはずがありませんとテルネリカは言う。

 己の身わいさに皆を見捨てるは出来ない、と憤慨していた。


「……」


 コノエは、そんなテルネリカに無言を返す。

 ……なんというか、反応に困って。


「しかし、何度交渉しても成果はありませんでした。そして途方に暮れていたときにコノエ様の話を聞いたのです」


 今から三日前に新たなアデプトの誕生が発表されたという。コノエの最終試験が終わったときだ。その日からテルネリカはずっとあの階段で待っていた、と……。


「……? 三日間、ずっと?」

「はい、そうでなければ最前列は取れませんでしたから」


 浄化の魔法とき水の魔法と延命の魔法でしのいだと言う。

 ちょっと無茶したせいで今朝くらいから一気に死病が進行したときはあせりましたけど、とテルネリカは笑う。うふふ、と上品な仕草で。

 ……いやそれ、笑うところなんだろうか。コミュ障のコノエにはわからない。

 まあ、確かに十五日前に発症した割に症状が進行しているな、とはコノエも思ったし、気になってはいたけれど。


「…………」


 ああ、そうだ、気になると言えば。

 もう一つ、テルネリカが貴族の娘と聞いて気になっていたことがあった。


「……君の」

「はい、なんでしょうコノエ様!」

「……君の家に、エリクサーは?」


 アデプトの治癒以外の、死病を治癒する方法。希少すぎて流通していない薬。

 だが、コノエは以前習ったことがある。貴族家には家人に一人一本分のエリクサーが常備されていると。いざという時のために王から与えられているはずだった。


「エリクサーですか? ありましたけれど……」

「……?」

「私のものは騎士団の皆が使っているはずです」

「……は?」


 ……騎士団?


「十五日前の段階では、こちらに来てアデプト様を探すだけの私より、魔物から民を守る騎士がエリクサーを飲んだ方が適切でした」

「……」

「こちらに来てアデプト様に会えたら治療してもらえると思っていましたし……とはいえ、流石さすがに今朝血を吐いたときはどうしようかと思いましたが。アデプト様に会う前に死んでは救援は呼べませんから」

「………………………」


 テルネリカはやっちゃいました、と照れくさそうに笑う。

 そんな少女の姿にコノエは。


(……うそだろ?)


 ──コノエはそんなテルネリカの言葉に耳を疑う。

 いや、それは正しくない。耳を疑ったのは今だけじゃない。コノエはずっと疑っていた。


(……なんなんだ、この子は)


 血を吐きながら叫んでいたときも、救援を求め続けて治癒さえしてもらえなかったと聞いたときも、三日階段で待ち続けたと聞いたときも、そしてエリクサーを人に譲ったと聞いたときも、コノエはずっと分からなかった。

 ──、この子はそこまで出来る?

 確かに、テルネリカの言っていることは正しい。

 合理的と言えば、合理的な判断だ。街の者を守ろうとするのなら、正しいのかもしれない。

 助けが来なかったから、死病に苦しみながらも他者に薬を譲り、腐り続ける体を引きずって都にやってきた。

 アデプトに救援を求め続けた。治療を望めば、己だけなら助かったのに。その道を捨てて、より多くを救う手段を探した。死にかけても叫び続けた。

 言葉にすれば簡単だ。いかにも正しいように聞こえる。

 薬なんて要らない。救援を見つければどうせ治るんだから、ちょっとくらい苦しみが長引いても仕方ないと。

 コノエも、目の前で見ていなければそう言うかもしれない。

 机上の空論ならさかし気にうそぶくかもしれない。

 ──けれど。


「──」


 分かっているのか? 身体からだが腐るんだぞ?

 いや、分かっていないはずがない。なにせ当事者だ。

 地獄のような苦痛の中で。己の体が変わり果てていくのをたりにして。

 そんな正しいだけのことを、一体なぜ出来るというのか。コノエには理解出来ない。


(……わからない)


 地位や権力に付随する責任だろうか。

 確かに貴族には統治する街を守る義務がある。民を守り、国力を増し、いずれ邪神を打ち倒すことが貴族の責務だ。そしてそれと引き換えに貴族は強力な加護と権力と富を得る。

 つまりこの子は貴族として正しい行いをしている。

 しかし、それでも──。


(──人は、そんなに正しくは生きられない)


 間違える。やすきに流れる。逃げ出してしまう。

 少なくとも、コノエの知っている人間とはそういう生き物だった。最後の最後には、己の身を取ってしまうのが人間だった。


(どうしてこの子は、そこまでする?)


 痛みや絶望をくつがえすものを、コノエは知らない。理解出来るような生き方をしていない。

 だからコノエは二十五年前に、あの願いを。


「コノエ様?」

「……いや」


 と、テルネリカが黙り込むコノエをのぞき込んでくる。

 ……その視線から目をらし、小さく息を吐いて。


「……それで、契約書の準備は?」

「あ、はい! もちろんございます!」


 コノエは強引に話をらし、差し出された契約書にざっと目を通す。

 しよう汚染の都市駐在。期間は三十日。ただし日数は状況に合わせて増減。報酬は金貨千枚。

 まあ、教官からもらった相場表通りの金額だ。


「……」

「……あの、足りませんでしょうか……?」

「……いや、これでいい」


 黙っていると、なにか誤解したのかテルネリカが不安そうな顔をし──コノエは首を振る。相場通りなら、それでいいと思った。金貨千枚もあれば、きっと都にしきを買える。奴隷も薬も買えるだろう。だから、それでいい。

 コノエはその場でサインして、テルネリカに二枚ある契約書の片方を返す。


「……よかった」


 テルネリカは小さくつぶやく。瞳を潤ませる。

 ありがとうございます、ありがとうございます、と何度も頭を下げる。これで故郷が救われます、と。でもコノエは契約書を抱きしめるテルネリカに何と返せばいいのかわからない。


「──二人とも来なさい。転移門の準備が出来たよ」


 教官が呼びに来たのは、そんなときだった。



 コノエは転移門の前に立つ。そこは学舎の正門の隣に建てられた巨大な建造物の一室だ。石畳の敷かれた無骨な部屋の中に、人と同じくらいの大きさの石造りの門がある。周囲には魔法陣が描かれ、光る魔石が各所に埋め込まれていた。

 魔力が飽和していて、何かが焼けるような音がしている。そして、その中心には光の渦があった。

 転移門。ここを潜れば、そこはもう少女の故郷だ。そして、コノエの初仕事が始まるのだろう。散々訓練を積んできたので緊張もなくコノエは足を前に出す。


(……しかし、なんか色々すごいことになってるな)


 コノエは今更ながらそう思う。

 もっと気楽なアデプト生活のつもりだったんだけどな、と少し遠い目をして。


「では、では! すぐ行きましょう!」

「……ああ」


 コートを引っぱるテルネリカに促される。

 コノエはそれに逆らわず、光の渦の中に足を踏み入れ──。