転生程度で胸の穴は埋まらない

第二章 テルネリカ ②

 氾濫が始まったダンジョンの入り口からはしようと魔物があふれてくる。そして、しようを吸った人は死病になる。死病とは、名前の通り治療しなければ必ず死ぬ病である。

 死病の発症から死亡までの期間は、おおよそ三十日。末端から症状は始まり、体が腐っていく。末期には魂が腐り、そのあまりの苦痛に病で死ぬ前に自ら命を絶つものも多い。

 予防は薬で出来るが、完全ではない。薬を飲んでもしように長時間さらされればいずれ発症する。

 そして一度発症してしまうと、治療法は二つしかない。高価な薬エリクサーか、アデプトの治癒だ。どちらも一から体を作り直せるほどの力を持つ方法。そうでなければ死病は治せない。

 ──死病とはそんな病だった。

 数千年前、邪神によりダンジョンが生み出されて以来、この世界の人々が戦い続けてきた病。しかし、どれだけ研究しても、通常の方法では克服の見通しは全く立っていない病だ。

 ……故にこそ、この世界で生きる者は皆、死病と氾濫におびえながら生きている。

 ダンジョンは、世界の地下深くで広がっており、その入り口は世界中の至る所にある。氾濫に予兆はなく、昨日まで平和に生きていた村が、今日はしように侵され、魔物にじゆうりんされるかもしれない。

 だから、アデプトは常に不足している。コノエは九千百二十番目のアデプトだが──それは、での話だ。この国なら、せいぜい数十人。

 もう一つの治療法であるエリクサーは材料の増産がかなわず、ほとんど流通出来ていなかった。

 ……各国はアデプトを増やそうと努力しているものの、成果はあまり上がっていない。

 そもそも、アデプトに挑めるだけの強力な加護を手に入れるのが難しい上に、少ない挑戦者のうち九割以上が一年とたないうちに心が折れるからだ。そのあまりに苛烈な訓練に耐えるのには才能とは違う、折れぬが必要だった。

 強制された者が乗り越えられる試練ではない。だからこそ、アデプトにはばくだいな報酬と特権が約束されている。義務は少なく、誰もが羨み、進んで試練に挑みたくなるようになっている。

 ──コノエの薬物奴隷ハーレムなどという欲が笑って許されるのも、それが理由だった。



 コノエは教官を見る。二十五年前、世のために誘うのだと言って学舎に連れてきた人。あの日の言葉の意味を改めて実感して。


「……とりあえず、治療室を借ります」

「うん、好きに使って」


 しかし、今はそのことよりも先にするべきことがあった。腕の中の死に掛けた少女。どう考えても優先するべきはこちらだ。

 教官から受け取った鍵を握り、部屋へ少女を連れて行こうと。


「──アデプト様!」


 教官が現れると同時に静かになっていた少女が、また腕の中で暴れ始める。

 それをコノエは両腕で押さえて。


「暴れると、悪化すると」

「私の体など、……どうでも、いい!」


 血に染まりながら、少女は至近距離でコノエに叫ぶ。無事な所なんてないような、そんなボロボロの体で。

 ……というか、体なんかどうでもいいって。

 軽口ならともかく、全身が腐っている人間がどうしてそう言える?


「……君は」

「時間が、ないのです! 我らの街が、……ごほっ、滅びかけているのです!」


 少女は叫ぶ。ぜえぜえと一呼吸するのも苦しそうにしながら。

 コノエはそんな彼女の背中に急ぎ治癒魔法を当て……。

 ──うん? 街が、滅ぶ? 時間がない?

 あまりに穏やかじゃない言葉だった。これは、治療より話を優先した方がいいかと思う。


「……街? ……どこの街だ」

「シルメニアです! ……キルレアンの麓、ミネアの連なり、シルメニアの街に、ございます!」


 問いかけると、少女は叫んで返し──コノエは、一つ情報を思い出した。

 キルレアン、その場所については聞き覚えがあった。


「……先日の大規模な迷宮氾濫か」


 少し前の話だ。遠方の辺境伯領で氾濫が複数しよで同時に発生したと聞いていた。

 あまりに広範囲でしようが広がったと。だから、普段学舎にいるアデプトにも募集が掛けられて──教官のような、特殊な役目に就いている例外を除いて全員がそちらに向かっていた。

 コノエは、そのときまだ最終候補生だったので、詳しい話は聞いていなかったが。


「……街が滅ぶような状況だったのか」

「その通り、です。……我らは、見捨てられました」


 つまりは、先ほど教官が話していた内容と同じだ。この世界の広さに対して、アデプトの数はあまりにも少ない。少女の街には、アデプトは派遣されなかった。

 少女は語る。街──シルメニアは十五日前にしようまれ、予防薬を用いたものの、今や五千人の住民の全てが死病に侵され苦しんでいると。そして魔物にも囲まれていて、街を守る結界はいつ破られるか分からないと。

 ──だから、一刻の猶予もないのです! と少女は叫ぶ。血を吐きながら、腐った皮膚が破けて、そこから血を流しながら。死のぎわに立って、しかし、コノエをしっかりと見据えていた。

 コノエはそんな少女の壮絶な姿に息をむ。


「アデプト様、どうか我らの街を! ……っ、今この時も、民が苦しみ続けているのです!」

「──」

「どうか、どうか、かなえて頂けるのなら、この身、もとに咲くのように……っ……ぁ、ごぼっ」


 ──そこで、少女は塊のような血を吐く。

 言葉が途切れる。手から力が抜ける。体から生命力がどんどん抜けていき──。


「──ぁで、ぷと、さま」

「……君、は」


 ──それでも、少女の目に宿る力は消えなかった。

 ただただコノエの目を見て、決してらさなかった。……コノエはそんな少女に。


「……わかった」


 うなずく。そして、引き受けるから無理をするのを止めてくれ、と。

 ……少女の気迫に、気付いたらそう言っていた。



 それから少しの時間がった。

 少女の治療は無事終わり、コノエと少女は借りた治療室にいる。

 教官はいない。少女の街に移動するための転移門の準備をしてくるとそちらへ向かった。

 転移門は世界中の街に設置され、どれほど離れていても一瞬で移動できる魔道具だ。だが大きなものは運べない上、ばくだいな費用が掛かる。そして起動に時間が必要だった。

 ……つまり、教官はしばらく帰ってこない。

 部屋の中はコノエと少女の二人だけだった。


「あの、アデプト様。コノエ様とお呼びしてもよろしいでしょうか……?」

「……好きにしてほしい」


 コノエは隣に座る少女を見る。妙に近い距離に座っている。

 少女の死病は完全に治り、今は健康体になっている。赤黒くなっていた肌は元の真っ白な色を取り戻していた。

 美しいと言われる種族エルフだけあって、治ってみると少女はわいらしい外見をしている。れいな長い金髪に、よく見ると少し金色が入った青色の瞳。そんな娘にすぐ近くで見つめられて……コノエは、いつものように逃げたくなってくる。


「それにしても、コノエ様を待つと決めて正解でした。他のアデプトの方には全く連絡が取れず……新しくアデプトになられる方がいると聞いていちの望みを懸けてあの階段で待っていたのです」

「……そうか」

「意識がもうろうとして、目が見えなくなった時はもう終わりかと思いましたが。誰かに抱きかかえられたと思ったらまさかコノエ様だったなんて」


 いと高き方々、森の神様と生命の神様に感謝を、と少女は言う。ニコニコとコノエに笑いかけてくる。

 少女はコノエが街への救援を引き受け、治療してからずっと笑顔だった。そして、ずっとコノエに語りかけていた。逆にコノエはほとんど口を開かなかったが。

 ──少女の名は、テルネリカ。