転生程度で胸の穴は埋まらない

第二章 テルネリカ ①

1


「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」


 救いを求める声が迫ってくる。コノエはそれにされて一歩下がる。なんだこれと思う。頰が引きつるのを感じる。彼らに脅威は感じないものの、しかし困惑している。

 彼らは階段を上ってくる。段々と近づいてきて、コノエは逆に一歩二歩と下がる。

 ……いや、本当にどうしようか、これ。

 困ったコノエが引きつった頰をいて……そんなとき。


「……?」


 ふと、気付く。見慣れた色が見えたからだ。赤い色、血の色だ。そしてその色に染まった、小さな人影──子供が人々の波にまれたのをコノエは見た。


「……少し、そこを退いてくれ」


 コノエはとつに動き出す。血が見えた場所を目指して、人の波を注意しながらかき分ける。


「……ぅ、ぁ……ごほっ」


 すると、そこにはうめき声をあげる一人の少女がいる。金色の髪と、とがった耳が見えた。エルフの少女だ。その子は階段の途中にうずくまって血を吐いていて、どれほど吐いたのか服と階段の広範囲が血の色に染まっていた。

 コノエはひとまず少女を抱えて、人の輪の中から連れ出して。


「……これは、ひどいな」

「……ぁ……ぅ」


 腕の中を見て、そして少し息をむ。なぜって、その少女は……。


「……死病か」


 ──全身が腐りかけていた。

 末期の死病。手足は赤黒く染まり、ただれ、力が入らないのかだらりと垂れ下がっている。青色の目は焦点が合っておらず、おそらくほとんど見えていない。

 口から吐き出した血は肺がただれているからだ。内部に血がまって、それを何とか吐き出して、でもまたすぐに血がまって、というのを繰り返している。

 まさしく、死の一歩手前。あと数秒後には息を引き取っていてもおかしくない。そんな状態。

 この体で、どうしてベッドではなくこんな場所にと思って──考えるまでもないことだった。治療を求めて来たのだろう。アデプトなら、死病を治せるから。


「……ぅ……ぁ……ぁ?」


 うめき声をあげるエルフの少女、見た目的には十代前半か半ばというところだ。……まあエルフである以上、外見と実年齢は一致しないのだろうが。


(…………しかし、死病か)


 コノエはそんな少女の姿に、一瞬、先ほど渡された相場表と金貨が頭をよぎり──慌てて頭を振る。流石さすがにこの状況では治療する以外の選択肢はない。

 だってとつとはいえ、もうこの子を腕に抱き上げた。なのに、治療もせずにそこら辺に放り投げるのは人として駄目だと思う。見捨てるのなら最初から抱き上げるべきじゃなかった。


(……この場での治療は……無理か。一度戻ろう)


 なので、コノエは──周囲の人々はそれどころではないので無視しつつ──きびすかえす。

 そして階段を上りながら少女に治癒魔法をかける。

 それに死病を完治させるほどの力はない。ここまで進行した死病はそんなに簡単に治せるものではなく、もう少し落ち着いた場所での治療が必要だ。でも、何もせずに運んだらその間に死んでしまいそうだったから。


「…………ぁ……ぅ? ……ぁでぷと、さま?」

「ああ」


 治癒した効果か、少女がかすれた、しかし意味のある声を出す。

 コノエは返事をしつつ小走りで門を潜る。振動を少女に伝えないように気を付けながら。すると途中、両脇に立つ門番の一人と目が合う。

 ……彼は何も言っていない。でも、コノエは『お早いお帰りで』なんて言われている気分になる。というか、本当にそうだ。教官とか神様に送り出されたばかりなのに。

 まあ教官はともかく、神様は良く帰ってきたねという雰囲気で笑ってくれそうだけど。


「……ぁの、ぁでぷと、さま、どう、か」

「……ああ、君のことは治す。心配しなくていい」


 コノエは門番の視線から逃げるように足早に門から離れ、前庭を走り抜ける。

 そして学舎の治療室、今の時間はどこが空いていただろうか、と──。


「──ぁ……アデ、プト様!」

「……?」


 ──そのときだった。コノエの腕が突然つかまれた。驚いて腕の中を見ると、強い意志が宿る目とコノエの目が合う。

 先ほどまで身動き一つできなかった少女だった。死病に侵され、死にかけた少女。

 顔は死病で赤黒く染まり、口角から血をあふれさせ……しかし大きく目を開いてコノエを見ていた。


「アデプト様……どうか街を。……ごほっ、私の街を」

「……?」


 ……街? 自分ではなくて?

 首をかしげるコノエに、少女は必死に言葉をつむぐ。


「……どう、か。どうか。私の街を……ごほっ……アデプト様の……がなければ、我らの……」


 血を吐きながら、必死に。叫ぶように。そしてその叫びに合わせてゴボゴボと吐く血の量も増えていって──コノエは慌てる。


「……落ち着きなさい」

「いいえ、いいえ! ……ごほっ、ごほっ」


 少女を落ち着かせようとして、しかし、少女は叫ぶのを止めない。

 そして、そうしている間も少女の体は壊れていく。彼女の体は治っておらず、重症のままだ。先の治癒魔法で少し持ち直したとはいえ、一歩間違えばすぐに死んでしまうだろう。

 それなのに、少女はそんなの知ったことかと血を吐きながら叫んでいる。


「どう……して、どうして、落ち着いていられるでしょう! ……ごほっ、このままでは……どうか! アデプト様!」

「……落ち着かないと、悪化する」

「……私の体など……っごほ……それよりどうか、どうか!」


 少女が腕の中で暴れる。コノエは少女が落ちないよう体を押さえ込み……困惑する。

 なぜこの少女は叫び続けるのか、そんなことが出来るのか。コノエは少女をまじまじと見る。叫ぶ内容よりも少女自身が気になった。

 ──だって、この少女が今この瞬間も感じているのは地獄にも等しい苦しみのはずだ。

 コノエは知っている。死病の末期、全身と──魂の腐敗。

 大の男でも発狂する苦痛のはずだった。コノエは死病を知るがゆえに困惑する。少なくとも過去見てきた末期の患者は、皆身動き一つ出来ない状態になっていたのに。


「なんでも、なんでもします……だからどうか、どうかぁ……」

「……」


 少女はポロポロと涙をこぼす。必死にすがってくる。コノエは、そんな少女に──。


「──おや、帰ってきたんだ」

「……教官」


 そのとき、教官が学舎の入り口から現れる。

 そして、ちらりとコノエの腕の中の少女を見た。


「治療室なら一部屋空けてる。好きに使うといいよ」

「……ありがとうございます」


 教官が鍵を渡してくれる。礼を言いつつ、それを受け取って。

 ──うん? 空けている? 教官の言葉に違和感を覚える。空いているじゃなくて?

 コノエはどういうことかと教官を見る。

 すると、教官はそんな視線に苦笑を返した。


「なに、いつものことだからね」

「……?」

「あのお出迎えは、アデプトなら誰もが経験するものだよ。就任したての新人のアデプトならもしかしてと、救いを求めて多くの民が詰めかけてくる」


 あそこにいたのはね、金がない者達だよ、と教官は言う。

 相場の金額が払えない者達が、最後の望みをかけて来ているのだと。


「もちろん、無視する者も多いけどね。中には情にほだされて最初だから、と一人二人助ける新人もいる。そのために一部屋は空けておくようにしているんだ」

「……」

「これが、この世界の現状だよ。アデプトがあまりにも足りていないんだ」



 この世界では、時にダンジョンがはんらんする。

 氾濫は、ダンジョンにしよう核と呼ばれる邪悪な結晶が誕生することで発生し、それを破壊するまでは終わらない。