魔王城、空き部屋あります!

プロローグ 決戦 ①

 最後の決戦が始まろうとしていた。


 舞台は剣と魔法と奇跡の支配する世界ロッケンヘイム、オーシュ大陸の山間部にそびつ魔王の城。

 けんろうな城壁で二重に囲われ、四つのせんとうを持つこの城は、昼の光の中でさえ見る者の身をすくませるまがまがしい迫力に満ちていた。

 巨大な城門を抜けて城内に入れば、通路の壁には不気味な怪物をかたどった浮き彫りが施され、各所にかれたかがりが紫の炎をともして、その浮き彫りの影を生き物のように不規則に揺らめかせていた。


「とうとう来たな、この時が」

「ああ。今こそ決着の時だ」


 感慨を含む二つの声が、この城で最大の規模を持つ謁見の間によく響いた。

 集った数百体の魔族が固唾をのんで見守るのは、向かい合って立つ二名の人物。


 一方は彼ら魔族の主君、魔王バルバトス。

 流れる銀の髪から突き出す角はまがまがしくあかく、怪しくぎらつく瞳は黄金。身体からだを覆うローブは全ての光を飲み込むように黒く、まるでその空間に底なしの穴が開いたかのような異質な存在感を生んでいる。


 魔王の言葉を受け正面から向かい合うのは、魔族にとっての宿敵、人類最強の戦士。聖なる剣の祝福を受ける、勇者シグナ。

 まぶしい白銀のかつちゆうと深い藍色のマントをまとう、見るからにせいかんな青年であった。

 無数の魔族に囲まれているにもかかわらずその瞳に恐れの色は見られず、ただ己の使命を全うする気概のみがあふれているようだった。


 二人がこうしてじかに対面するのは初めての事だった。

 魔族と人類。はるか昔から争いを続けてきた二つの種族、その頂点に立つ二者が、今ここに決戦の時を迎えようとしているのだ。


「魔王バルバトスよ。一つ、聞かせてくれないか」


 死闘の幕開けを前に、シグナは唐突に問いかけた。

 バルバトスは腕組みした姿勢でわずかに片方の眉を上げ、短く鼻を鳴らす。


「いいだろう。この魔王が慈悲をもって質問の権利をくれてやる」

「質問一つでなんという恩着せがましさだ。これだから魔族は」


 露骨な嘲りに不快感を示しつつも、勇者シグナは問いただす。


「魔王の本拠地にしては、ここは兵の数が少なすぎる。しかも、この場に集った魔族の戦士たちが手を出さず、魔王であるお前が自ら僕との一騎打ちに応じるとは一体どういうわけだ?」


 疑念はもつともだ。

 シグナは魔王軍の軍勢を相手に連戦、死闘を覚悟してこの城を訪れた。にもかかわらず、城門はやすやすと開かれ、回廊を歩く最中も誰一人としてシグナへ挑みかかってくる者は居なかったのだ。

 魔族の戦士たちはただ遠巻きにシグナの歩みを見守り、広間にたどりいてみれば城主であるバルバトスが待ち構えている。あまりにも不可解だった。

 バルバトスはこの問いを受け、静かにうなずいた。


「余の部下は世界各地に散り、それぞれが余の領地拡大にいそしんでいる。よって、城内に残っている兵は必要最低限。余の護衛に大軍を配備する必要は無いのでな」

「ならば、この城に残っている兵は戦わない?」

ないことだが。ここに居合わせている部下たちでは、全員が束になってかかっても貴様にはかなうまい」


 容赦の無いバルバトスの評価に、よろいを着込んだオーガや翼を折りたたんだガーゴイルが悔し涙をこぼす。


「それでも犠牲を積み重ね、多少なりとも貴様を消耗させることは可能かもしれん。だが」


 バルバトスは一度言葉を切り、芝居がかった調子で高らかに宣言した。


「無駄な犠牲は不要。余が直接戦い、勝利すれば終わる話だ」


 途端に、地を揺らすような拍手喝采が巻き起こった。


「「「我が王! 我が王! 我が王!」」」


 魔族の兵たちが拳を振りかざし、熱狂した。拍手と叫び声は風を産み、シグナの前髪を揺らすほどであった。

 しかし、その異様な空気の中でもシグナの闘志が揺れる気配は無かった。


「それは油断というものだ、バルバトス。僕がその傲慢な鼻をへし折る!」

「フン。そうは言うがシグナよ。貴様、余を倒した後はどうするつもりなのだ?」

「……何だと?」


 バルバトスが邪悪な笑みを浮かべる。


「余の調べでは、貴様が所属するイアセノ王国は国王派と教皇派に分かれ争っている。現状は国王派がやや優勢、というところであろう」

「そうなのか?」


 きょとんとしているシグナの表情に、バルバトスは拍子抜けして肩を落とした。


「……そうなのか、ではない。貴様の住む国のことだぞ」

「僕は権力争いには興味が無い。そんな事に気を配っている暇があれば、剣の腕を磨く!」


 堂々と胸を張るシグナに、バルバトスは大げさにため息をついて、首を横に振った。


「興味は無くとも、貴様は既にその舞台に立っているのだ。もし貴様が余を倒すことがあれば、貴様が所属する星詠騎士団の手柄となる。教皇直属の騎士団だ。すると、どうなるか分かるか?」

「どうなるんだ?」

「あのなあ……」


 何一つ理解していないシグナにバルバトスはいらち、頭をきながら懇切丁寧に説明した。


「貴様は国を救った英雄としてはやされる一方、国王派に命を狙われることとなるだろう。教皇派に余計な力をつけさせ、勢力を逆転させかねない不安要素だからな」


 この予想は、まったく根拠のない妄言というわけでもない。バルバトスの調べでは、近年、イアセノ王国の国王派は権力を保持するために度々後ろ暗い手段を用いているのだ。


「シグナよ、余との取引に応じよ。余が部下を率いてイアセノ王国へ侵入し、国王派のみをたたく。その後は貴様の望み通り、正々堂々と余との勝負に臨めばよい。悪い話ではないと思うが?」

「うーん……? そ、そんな事をしてお前に何の得があるんだ?」

「余とて、相対する勇者にその後の保障が無いまま戦っては気分が悪いというだけの話よ。全ての憂いを断った上で、気持ち良く決着をつけたいではないか」


 無論、バルバトスの狙いは別にある。

 シグナがこの取引に乗れば「教皇派の勇者シグナは、国王派を排除するために魔王との取引に応じた」という火種を作ることができる。あとはこのうわさを広めるだけで、国王派と教皇派が勝手に潰し合う事になるだろう。

 労せずに敵対戦力を大幅に削ろうという、打算まみれの提案だった。

 しかし、続くシグナの発言によってこのもくは崩れ去った。


「よくわからないが、断る!」


 バルバトスの額に、びきりと青筋が立つ。


「何がよくわからんのだ」

「何もかもだ!」


 勇者はキラキラと目を輝かせ、ぐっと拳を握って答えた。


「派閥だとか、勢力だとか……僕には難しいことはわからない! ただ、お前を倒すという使命だけがこの体を突き動かすんだ! それ以外の事は、終わった後で考える!」

「この脳筋馬鹿勇者がぁあああ!」


 突然、バルバトスの怒りが爆発した。


「な、なんだ急に! どうした!?」

「余の策を見破ったというのならともかく! こんな単純な話の何がわからんのだ、この馬鹿が! 自分の置かれた状況くらい把握しろ!」

「わ、わからないものはわからない! 正直に答えたのにどうして怒られるんだ!?」

「おのれ……やはりこの馬鹿相手には交渉が成立せん……!」


 バルバトスはみした。

 魔王バルバトスが人間たちに恐れられたのは、その類まれなる武力、魔法の威力もさることながら、情報収集能力と交渉の巧みさにもあったのだ。