魔王城、空き部屋あります!

プロローグ 決戦 ②

 バルバトスの口車に乗せられて不平等な和平条約を結び、実質支配下に置かれてしまった国は数知れず。過去に勇者と呼ばれた者たちも皆、自分探しというあてのない旅に出たり、ばくにのめり込んで身を持ち崩したり、剣の道を追求して世捨て人となったり、散々な末路を辿たどってきた。

 しかしこの度勇者となった騎士・シグナは違った。

 あまりにも馬鹿正直で欲が無く、かつ、魔王を倒すという使命にのみ没頭しているシグナには、バルバトスの甘言が全く通じない。


「駄目で元々と、最後の交渉に挑んでみたものが……もういい。貴様などを相手に文化的な手段を用いたのがそもそも間違いだったのだ。日向ひなたで干からびたヒキガエルよりも価値のない人類ごときが余に歯向かう事自体が増長であり、万死に値する!」

「ひど……ひどい事言うな!? それを言うならお前の罪こそ、たとえ神が許しても僕が許さない! そして僕が許した時は神が許さない!」

「それはズルではないか貴様!?」


 二人はひとしきり声を荒らげたが、これ以上のやり取りは不毛と判断したか、共に口をつぐんだ。

 もはや、お互い舌戦で勝敗を決めるつもりなど毛頭ないのだ。


えいごうの滅びの罰よ、冥府より闇をまといてあらわでよ。……『ゲヘナの無音の歌』!」


 詠唱と共に、バルバトスのてのひらに紫色の炎が宿った。

 握りしめられた炎は柄となり、柄から細長く伸びた炎は刃を形成した。

 ゲヘナの無音の歌。それは魔王バルバトスが持つ禁忌の魔剣である。

 刀身に七つのあなを持ついびつなこの剣は、物理的な強度を無視してありとあらゆる物体を確実に破壊するという恐るべき力を持つ。

 そのまがまがしい刀身の輝きをたりにし、シグナのせいかんな顔つきはさらに引き締まった。

 バルバトスが魔剣を手にしたならば、シグナもまたそれに見合った武装で応じなければならない。


「神権拝領。我が信に応え、奇跡をここに示したまえ。『アークトゥルス』!」


 シグナが天に掲げたてのひらの上に、青白い光の輪が生じる。

 光の輪は火の粉を散らしながら中心に向かって集束し、まばゆい装飾を持つ剣の形を成した。

 せいこうけんアークトゥルス。

 それは勇者シグナが神に授けられた、人類の希望の聖剣。

 決して持ち主を傷つけることはなく、かつ、どんな破壊の力にも傷つくことはない守護の力を持つ。

 シグナが人々から勇者と呼ばれるに至ったのも、真に正義の心を持つ者でなければ触れることすらできないという伝説を持つ、このアークトゥルスを使いこなす騎士だったためである。

 魔剣を手にした魔王と、聖剣を手にした勇者。

 にらみ合っての呼吸はわずか三拍。地を蹴って猛然と斬りかかったのは、意外にもシグナの方だった。

 対するバルバトスは悠然と構えてそれを待つ。戦場において、まるで「用事があるのならば貴様から出向いて来い」と言わんばかりの態度だ。


「はああっ!」


 その傲慢をたたるべく、シグナは大上段から斜め下へと強烈に切り下げた。

 アークトゥルスが攻撃よりも防御に優れた剣とはいえ、勇者シグナの剣術は人類に並ぶ者のいないレベルに達している。直撃を受ければ魔剣の刃がもたない。

 悲鳴を上げる魔族の視線の先で、バルバトスは剣を斜めに構え、斬撃をいなした。

 狙いを外したシグナの聖剣の切先は床にめり込み、そのまま広間の床に巨大な亀裂が走る。遠巻きにこの戦いを眺めていた魔族の群れが、慌てて二方向に避けるほどの長い亀裂だ。


「ふっ!」


 今度はバルバトスが、シグナの首を狙って剣を下方より跳ね上げた。体勢の崩れたシグナは剣を構え直して受け止めることができない。

 しかし、この一撃もまた決定打とはならなかった。シグナが自ら聖剣の刃を手で握って強引に引き寄せ、攻撃の軌道に割り込ませたからだ。

 本来、そんな動きをすれば自分の剣で自分の指を切り落とす羽目になる。

 決して持ち主を傷つけることはないという聖剣アークトゥルスの特性をかした、変則的な防御だった。


「ふん。聖剣の勇者が随分と邪道の剣術を用いるではないか!」


 必殺の一撃を防がれた魔王は、忌々し気に嘲る。


「実戦的と言え。全てはお前を討つためだ!」


 勇者は再び剣を振るう。

 一撃、二撃、三撃と甲高い音を立てて刃が交差する。

 切り結ぶ両者の力はきつこうし、やがてつばいの形となった。

 魔王バルバトス、勇者シグナ。

 互いに一歩も退かない二人の戦士が間近でにらう。

 ただ二人が剣を押し合っているだけで、余剰のエネルギーが宙を走り、床のじゆうたんは裂け、壁の装飾や照明までもがはじけ飛んだ。


いまいましいやつよ。余の城に傷をつけた罪は死をもっても償いきれんぞ、シグナ!」

「黙れバルバトス。貴様が今まで破壊した城がいくつあると思っている!」

「いちいち覚えておらん。容易たやすく壊れる城が悪いのだ!」

「ならばこの城もこれから悪い城にしてやる!」


 ついには床全体に放射線状の亀裂が走り、広間そのものが激しく揺れ始めた。

 同時に、二人の戦いを観戦する魔族たちの間にはざわめきが広がっていた。


「な……何だ? おかしいぞ」

「魔王様のお姿がゆがんで見えるような……?」


 剣を押しあう魔王と勇者の姿が、まるでろうそくの炎のように不規則にゆらめいて見える。

 全力のつばいを続けながらもこの異変を察知したバルバトスは、小さく舌打ちをした。


「おい。聞け、シグナよ。余と貴様の力の衝突により、この場に何らかの異変が生じ始めている。このままでは取り返しのつかぬ事態を招くぞ」

「ならば退け、バルバトス。それで異変とやらも治まるだろう」


 バルバトスはため息をつき、諭すような口調で語り掛ける。


「下らぬ駆け引きはやめる事だ、シグナよ。余が少しでも退けば、貴様はそれを好機と見てさらにこちらへ踏み込み、余へ致命の一撃を与えるつもりであろう?」

「それはこちらの台詞せりふだ。舌先三寸でこちらの隙を狙おうとは、いかにも卑劣極まりない魔族らしいやり方じゃあないかバルバトス!」

「たわけ! そのようなそくな手段を使わずとも、余はこのまま実力で、一瞬で貴様に押し勝てるぞ! ちょちょいのちょいなのだ!」

「ならば今すぐやってみせればいい! できないんだろ! できないんだろ!」

「は? できるが? できるが、ちょっと危ないから一応やめろと言っておるのだ!」

「そっちが言い出したんだからそっちがやめるのが道理だ!」

「うるさいわ、道理など知ったことか! 気が付かなかった貴様がやめろ!」


 子供じみた罵り合いの最中にも、二者の放つ破壊の力は際限なく膨れ上がっていく。

 もはや誰も立っていられないほどの勢いで床が揺れ、柱がきしんで悲鳴を上げていた。

 このまま見守るべきか、王に加勢すべきかと右往左往する部下たちに、バルバトスは大声で指令を下した。


「総員、退避! 決着がつくまでこの城を出よ!」


 その言葉を皮切りに、の子を散らすような勢いで魔族たちは広間を出て行った。

 圧倒的な力の巻き添えを食う恐怖と、伝説となるであろう戦いの行く末を見届けたいという思いが、兵たちの判断を迷わせていたのだ。しかし、王の命令とあれば撤退せざるを得ない。

 バルバトスの英断だ。

 そうして、謁見の間には魔王と勇者だけが取り残された。


「ぬううううううう!」

「うおおおおおおお!」


 二人きりになってもなお、バルバトスもシグナも、力を緩めるそぶりは一切見せなかった。周囲には激しく火花が散り、そこかしこから城のきしむ異音が発生している。