勇者は論理で死に絶える

プロローグ

──勇者と探偵──

〝勇者は、勇者であることがバレてはいけない〟


 いつもの帰路。小さな墓地をふたつ抜けた先にある曲がり角。

 そこにあった死体をまえにして、鈍化した頭がそんな鉄則をはんすうする。

 ガードレールにもたれかかった幼い肢体。伸びた膝にかぶさるスカートはブラウスからあふれた血でドス黒く汚れている。黄色い帽子がうなれた顔にかかってその表情はうかがえない。

 それでも、砂利道にぶちまけられた血と、ピクリとも動かない身体からだと、潮の匂いに紛れて運ばれてくる冷たい死の気配が雄弁に語っている。彼女がすでに殺されていることを。


「あーれ? みつかっちった」


 曲がり角の先からきこえる、舌を巻いたような声。

 ブーツで道の砂利を蹴り上げて、はずむような足取りで彼女は姿を現す。

 ブロンドのショートは沈みゆく夕日の残光をのせてくるんと毛先をひるがえし、切れ長の目はその輪郭に薄いシャドウを引いている。

 ざっくりと開いたネルシャツの奥では豊満な胸が無防備な谷間をさらしていて。しにされたへその下で留められたデニムのショートパンツが股下に逆三角形の陰を作っている。

 季節は冬。吐く息も白く変わりはじめる十二月の時分。

 死体のかたわらに立って僕を見据えているのは──いかにも頭の緩そうなギャルだった。


「いえーい、ぎゃるぴーす」


 こちらに差し向けられた二本指がクイクイと動かされる。


「ねえ、キミ、下校中? だけどここ、通学路じゃないっしょ?」


 たしかに中学指定の通りはべつにある。国会議員と宗教家のポスターばかりが目につく田園のストリート。車もだいたいそっちを通るし、民家もそのあたりに集中している。

 そんな生活道路からは外れた海岸線。船着き場には漁からもどった船がビットにくくりつけられて並び、周囲の鉄工所は十七時のチャイムですべての作業員を吐き出している。

 捨てられたゴミと油が浮いている海を泳ぎたがる物好きがいるはずもなく。

 隔絶されたように、周囲に人の気配はない。


「こんなところでなにしてんのさ? キミ」


 言いながら、眉にかかった前髪を払う彼女の手に握られているのは、銀のリボルバー。

 造船業で成り立つのどかな田舎町には似合わないその武器と、死体をかたわらに置いて動じない慣れた様子が、彼女が何者であるかを教えている。


「…………探偵……?」

「いやいや、まさか。ちがうちがう。アタシは通りすがりのただのギャルだよ」

「ウソだ」


 そんな言葉が口をついて、僕ははっと右目を押さえた。


「…………はっとして押さえるべきなのは、その口なんじゃないかにゃ?」


 ギャルは着崩したネルシャツを羽織り直すと、ニィッと口角をげて名乗りを上げる。


「アタシの名前は『リボルバークイーン』。秩序の番人にして、無秩序の敵たる、探偵だ」


 ────『探偵』。

 それは現世を生きる『勇者』にとっての敵であり、正義の執行人。

 公に武器の所持と使用を許された者の肩書き。


「どうしてアタシがただのギャルじゃないってわかった?」

「こんな田舎にただのギャルが通りすがるわけがない」

「それは偏見っしょ。ギャルだってふらっと田舎にいきたいときもあるよ。海もあるし」

「このあたりの海は泳げたものじゃない」

「アタシにとって海は泳ぐもんじゃなくて眺めるもんなの」

「投棄されたゴミと工場の油が浮いているような海を?」

「そのほうが逆にエモいって感じがする」


 ウソだった。彼女に汚れた海を眺めて浸る感傷はない。

 だから「ウソだ」と言いかけて、今度はちゃんと口を押さえて言い直す。


「……ただのギャルがリボルバーなんて持ってないだろ」

「なるほど。それはたしかに」


 いかにもおどろいたような顔でうなずく彼女の横を足早に通り抜けようとする。

 そんな僕の腕に彼女がスルリと腕をからめる。

 僕は持っていたカバンを落としてグイと引きもどされた。


「……だけどさあ、キミもただの中学生じゃないよね?」


 抱きすくめられて、首筋に大きな胸が押し当てられる。

 顔を包み込むやわらかな感触と窒息感。

 頭上から垂らされた声が冷たく僕のうなじをっていく。


「死体をまえにして取り乱すこともなくスタスタ帰れるただの中学生はいないっしょ」

「探偵が勇者を殺すことは知ってる」

「いやいや、それは順序がちがう。アタシが正体を明かすまでは、ただの殺人鬼の可能性だってあったはず。なのにキミはアタシが探偵だと確信できているような口ぶりだった。なんでかにゃあ? まさかそこで殺されてる幼女が勇者だと知ってたとか?」


 僕は胸の間でかぶりを振る。


「なら、どうしてまず『探偵』の存在が浮かんだんだろう? もしかして、ずっと考えてた? 〝いつか目の前に探偵が現れるかもしれない〟って」


 ────これ以上関わってはいけない。

 本能が鳴らす警鐘に従って、僕はリボルバークイーンのことを突き放す。

 彼女はよろけることもなく跳ねるように一歩下がると、チラと視線を下げて笑った。


「なあ、もっとお話ししようぜ。千才一愚くん」


 僕は散らばった教科書をカバンの中へと押し込んでいく。


せんさいくんのポイントはふたつだ。どうしてアタシが探偵だとわかったのか。そしてアタシのウソに気づいたとき、どうしてそれをうっかり指摘しちゃった口じゃなくて、右目を押さえたのか。まるでそっちに見破られたくない真実があるみたいに」

「目は口ほどにモノを言うからな。あれはこれ以上探偵に余計な追及をされないためだよ」

「へえ。じゃあやっぱり、アタシが探偵だと気づいたのは〝あの瞬間〟か」

「…………ッ」


 そう。僕がリボルバークイーンのことを探偵だと確信したのは、彼女が平然と死体のかたわらに立ったときでも、手にしたリボルバーを見せられたときでもない。

 彼女が、自分が探偵であることを否定したとき。ウソをいたとき。


「────ウソだ。と、あそこで言いきれるのは……アタシの正体を知っているやつか、かれたウソがウソだとわかるやつだけだ」


 ドクン、と、僕の心臓が大きく脈打つ。


「つまりはそれが、おまえのギフトだ。せんさいいち



『ギフト』──それは異世界から帰還した「勇者」だけが持つ超常的異能。


「常人」と「勇者」を分かつ、唯一にして決定的な差異。ゆえに。


 ────〝探偵は、勇者の『ギフト』を明らかにしなければいけない〟


 そしてそれが明らかにされてしまったら、探偵が勇者へと向けるものは「論理」から「力」へと変わる。


「…………ふん。どれも根拠に乏しい推論だ。バカバカしい。帰らせてもらう」

「それって十秒後に殺されるモブくんのテンプレ発言だぜ?」


 カバンを抱えて立ち上がり、慌てて逃げ去ろうとする僕の背後で、銃声。

 おどろいて飛び上がり、立ち止まって振り返った視線の先には、銃口をあかねぞらへと向けて笑うリボルバークイーン。


「あはは! びっくりした? 撃たれたと思った?」

「…………なんのつもりだよ?」

「シリンダーに一発だけ残ってたからさ。アタシ、気になるんだよ。そういうの」


 そんなウソをいて、リボルバークイーンは掲げていた銃口を下ろしていく。

 そして、カチャリと。彼女はそれを自分のこめかみへと押し当てた。


「…………だから、なんのつもりだよ?」

「アタシはもっとお話ししたいんだよ、せんさいくんと。としも近そうだし、まずはお茶でもどうですかって誘ってやってんの。なのにそっちがすっかりビビっちまってるみたいだから。先にリボルバーこいつが怖くないよってことを証明してやろうと思ってさ」


 弾倉が回されて、撃鉄の起こされる音がして、引き金に指がかけられる。


「もう弾なんか入ってない。だからこいつを撃っても、アタシは死なない」


 それもやはり、真っ赤なウソだった。

 弾丸はまだ装塡されている。

 彼女はまだ弾倉に弾が残っていることを知っている。

 だから僕にはそれがウソだとわかる。

 わからないのは〝なぜ〟の部分だ。

 なぜ彼女は、銃にまだ弾が残っていると知っていながら、自らを撃とうとしているのか。


「…………やめろっ!」


 刹那のしゆんじゆんとつの判断。

 僕は目の前で行われようとしている無意味な自殺を止めるために駆け出した。

 そして彼女の銃を奪い取ろうとしたとき。突き出された二本指によって僕はクイと顎を持ち上げられて、そのまま放り投げるように砂利道に転がされた。

 同時に耳元で鳴らされた銃声が脳を揺らし、放たれた弾丸が地面の砂をらす。


「うわっ、びっくりした。せんさいくんの見立てどおりだった。どうやらホントにまだ弾が残ってたみたいだ。ああ、あぶなかった」


 抑揚のない声はひどくくぐもって聞こえる。

 立ち上がろうとしても、身体からだにうまく力が入らない。

 ぐわんぐわんと、終わったはずの銃声が耳の奥でずっと鳴り響いている。


「……だけど、不思議だなあ。どうしてわかったんだろうなあ? 銃の持ち主でもないせんさいくんが、この銃にまだ弾が装塡されていることを。アタシが大丈夫だって言ったのに。そういうウソを吐いたのに」


 リボルバークイーンはニヤリと笑うと、グイと背筋を曲げて僕のことを見下ろす。


「いえーい、ぎゃるぴーす」


 差し向けられた二本指。その間から突き出された銀色が、僕の額に押し当てられる。

 垂らされていた目尻が、暴いた真実をまえに鋭くとがる。


「────さて。なにか、言い残すことはあるか? ウソがわかる勇者くん」