勇者は論理で死に絶える

プロローグ

──真実より価値ある未来──

 けんそうを吐き出して静まりかえった夜。

 頰に触れたふいの冷たさに顔を上げると、にびいろの空から白い粒が舞い落ちてきていた。

 それは、この冬最初に降る雪だった。

 立ちこめた分厚い雲がまたたく星の光を隠して世界をモノトーンに染めている。


「やっぱり、死ねなかったね」


 のっぺりとした夜の闇に有機的な輪郭を与える白のコントラスト。

 そのどちらにも紛れることのない、世界から浮き立つ名探偵が言う。


「…………おまえは、いったいなにをどこまで知ってるんだ?」

せんさいいち。十五歳。『異世界転移トリップ』をまされて勇者になったのは六歳のとき。他人のウソがわかる【虚構破りノン・フイクシヨン】のギフトを持っていて、なぜだかとっても運が悪い」


 並べられたプロフィールはすべて正しい。

 さっき奪った銃の弾丸が発射されなかったのも、僕の運が絶望的に悪いから。

 リボルバークイーンに説き伏せられるまでもなく。自分で自分を殺すことは何度も試した。

 けれどそれらはことごとく失敗に終わってきた。

 天井にくくった縄はいつもあとすこしのところでほどけて。多量の薬は胃の中で溶けるより先に吐き出されて。飛び込むつもりで向かったふみきりではいつも決まって先に事故が起きていた。

 僕の運は尽きている。

 ゆえに、僕が願ったことは決してかなわない。

 だからついに自分で自分を殺すことはあきらめて探偵に頼ってみたら、一緒によくわからない「名探偵」とかいうのがついてきて、結局計画はご破算にされてしまった。


「最初からこうなることがわかっていたのか?」


 最初から──『ここに勇者はいない』という論理を提示したときから。

 あるいはもっと──ここに現れるよりもまえ──僕がリボルバークイーンに殺されようとしていると知った瞬間から。


「もちろん。ボクは名探偵だからね」

「未来がわかるギフトでも持っているのか?」

「ううん。ボクはギフトなんて持ってないよ」


 キッパリと否定する彼女の言葉にウソはない。

 ここに現れてから、ずっとそうだ。

 人があたりまえにくウソを彼女は一度も口にしていない。


「おまえさえやってこなければ、今度こそ僕は死ねるはずだったのに」

「うん。そうだね。だからきたんだ」


 やはり、彼女が今日ここにやってきたのは偶然ではない。


「未来がわかるわけでもないのに、どうして僕が殺されようとしていることがわかった?」


 彼女はふふんと鼻を鳴らすと、ピンと一本指を立てて言うのだった。


「ボクは未来がわからないとは言ってないよ」

「……なんだと?」

「あのね、いち。ギフトなんてなくたって、目先の問題を順繰りにたどっていけば、その奥にある原因がどんな形をしているのかはだいたいわかるものなんだよ」


 アザを作り続ける子どもの環境に改善すべき点があるように。修理に出されたガラクタが大切な思い出をまとっているように。問題には、必ずそれを発生させている原因がある。

 その根本まで目を向けることができれば、起こりうる問題を予測し、あらかじめ解決のために動いておくことができる。それは実質的な未来視といえる。

 だが、目先の問題を順繰りにたどるということは、すべての問題を解いていくということ。

 そんなことが可能なのは、どんな問題もなかったことにできるやつだけだ。


「だから、名探偵ボクのまえで救われない人間はいないのさ」

「…………救い、ね」


 なんとも耳心地のいい言葉だ。

 たしかに僕は彼女に命を救われた。

 けれどそれは僕の望んだことじゃない。

 強引に生かされたところで、僕の中に根づいた絶望が消えるわけじゃない。


「ねえ、いち。どうしてそんなに死にたいの?」

「どうせ名探偵はそれも知ってるんだろ」


 そう言い返すと、僕のまえで膝を折ったひとりはすこしだけ悲しそうな顔をする。


「…………べつに。心の底から死にたくてしかたがないってわけじゃない。だけど僕はおまえがどんな言葉でけむこうとたしかに勇者で。勇者は勇者になった時点から探偵に命を狙われ続ける。そういうのに、疲れたんだよ」

「それだけ?」


 名探偵が思っているとおり──あるいは知っているとおり──それだけではない。

 こいつに隠し事はできない。ここまでのやりとりでそれは嫌というほど思い知らされていた。

 だから僕はため息交じりに白状する。僕の中に巣くう、ちゃちな悪魔の存在を。


「…………僕はさ、いつか、自分が人を殺してしまうような予感がするんだよ」


 運が尽きている僕には、望んだ終わり方を選べない。

 でも、ふつうに生き続けようとしたって様々な〝偶然〟が関与して、僕の人生には厄介な問題が持ち込まれてくる。

 そういう不幸な偶然にあらがうために、僕は今日までべつの不幸をぶつけることで問題をそうさいしてきた。

虚構破りノン・フイクシヨン】のギフトは関係ない。

 これは勇者だからではなく、僕本来の性質であり、生来の宿命。

 身に降りかかる不運を振り払うために──僕は問題を起こさずにはいられない。


「人を殺さない」というのは、そんな僕が僕に課したかせだ。

 それをやってしまったら、いよいよ僕は僕を許せなくなる。

 けれどそのかせがいつ外れるともしれない。

 だれかを助けるため。自分を守るため。正義のため。

 もっともらしい理由をつけて、僕はいつか〝必要なこと〟としてだれかをあやめてしまうような気がしていた。


「運が尽きている僕の望みは決してかなわない。だから人を殺したくない僕は、おそらくいつか人を殺してしまう。そうするしかない状況に追い込まれてしまう。そうする理由を手に入れてしまう。だからそのまえに、僕は僕という存在をほうむっておかないといけないんだよ」


 それが、僕が死のうとしていた理由。僕が生きていてはいけない理由。

 僕は、いつか自分が制御のかない悪魔になってしまうことを恐れている。


「…………」


 僕の話を黙って聞き終えたひとりがなにか言おうと口を開く。

 けれどすぐに彼女は唇の端を結び直した。

 それでいい。これは僕の内心の問題だ。名探偵にも解きほぐせない。

 解きほぐせないなら、安易に他人の事情に立ち入るべきじゃない。

 それがわかっているから、ひとりはじっと僕のほうを見つめるだけにとどまっている。見つめる目を細くして、結んだ唇をとがらせて、おもむろにこちらに顔を近づけてきて──。


「…………ッ!?」


 僕はとつに顔をらした。

 その横を通りすぎていったひとりの唇が、そのまま後ろの墓石と重なった。


「……むえっ!?」


 ぺっぺっと舌を出して服の袖で口元を拭ったひとりは、むっと眉を持ち上げて再び僕に顔を近づけてくる。


「な、なんのつもりだ!? ばか!」

「ばかじゃないですー! 名探偵ですー!」


 無理矢理に僕の唇を奪おうとしてくる名探偵の攻撃を僕はすんでのところでかわし続ける。


「あのね、いち! 思春期に抱える問題のほとんどは、キレイなお姉さんと唇を重ねればなかったことになるの! だからじっとしてて!」

「むちゃくちゃだ!」

「大丈夫! ボクには全部わかってるから!」

「こっちはなにもわからない! 一から十まで説明しろ!」


 ひとりの顔をグイと突き放して僕は身の安全を確保する。

 ひとりは所在なさげな唇に指を当てて慰めると、やれやれとかぶりを振る。

 そしてしかたないと立ち上がって、ため息交じりに言うのだった。


「探偵になりなよ、いち

「…………どうしてそうなる?」

もえと同じ『ゼロ・ディテクティブ』になれば、いちも勇者であることをとがめられなくなる。そしたらすくなくとも、いちが死ななきゃいけない理由の片方はなくなるでしょ」


 勇者でありながら探偵として生きることを許されたゼロ・ディテクティブ。

 たしかにその立場を得れば探偵から命を狙われることはなくなるだろう。だが。


「そう簡単になれるものでもないんだろ?」


 気持ちひとつでだれでもなれるなら、勇者は全員ゼロ・ディテクティブになっているはずだ。


「もちろん、相応の実力は示さないといけない。でも、いちならきっと大丈夫だよ」

「僕はだれも殺したくないんだよ。たとえ相手が勇者であろうともな」

「なら、だれも殺さない探偵になればいい」


 惑星を模したイヤリングが舞い落ちてくる雪白を乗せてひるがえる。

 夜の闇にまれて消えない銀色が一条の光となって目の前できらめく。


「…………だれも殺さない探偵?」

「そう。人を救って、勇者を救って、世界も救う──そんな最高の、名探偵に」

「今日のおまえみたいに見えている真実にフタをして、全部なかったことにしろって?」

「ボクはべつに真実にフタをしているわけじゃないよ。ただ、先延ばしにしているだけ」

「自慢げに言うことかよ」

「いいじゃん。先延ばしにして、よりよい答えが出るのなら」


 よりよい答え。

 僕を殺さずにいてよかったと認められる未来。

 僕が殺されずにいてよかったと思える未来。



『────名探偵は、真実より価値ある未来を示す』



「大丈夫。いちならきっとなれるよ。ボクを超える名探偵に」

「…………どうして?」

「だって、ボクがそう思っているから」


 ──そう思っているから、そうなる。

 トートロジーみたいな因果論。根拠も証拠もあってないようなふざけた

 だがそれは未来がわかる「名探偵」が口にしたときのみ、納得せざるをえない真実味を帯びる。


「…………僕には自分が探偵になっている未来なんて想像もできない」

「うん。問題ない」

「……僕はただふつうに生きたいだけで、だれかを救いたいだなんて高尚な理想はない」

「うん。大丈夫」

「僕にとって問題は起こすものであって、解くものじゃない」

「いいんだよ、それで。どんな手つきで触っても、探偵が問題とたいすれば必ず答えは導き出される。そしてその答えが正しいものであることは、このボクが保証してあげる」

「どうやって?」

「この人生をかけて」


 ひとりはポン、とたたいた胸を張ると、僕に向かって手を差し伸べる。


いち


 ささやくような声音で名前を呼ばれて。見上げた姿は夜をなぞる雪にさえ触られないほど凜々しく見えて。そして、彼女は。

 こちらを見つめる端正な顔に、無敵のほほみを浮かべて言うのだった。


「────ボクが、キミの神さまになってあげる!」


 なんて不遜なことを言うやつだとあきれた。

 なんて押しつけがましいことを言うやつだとまいがした。

 なんて救い方をしてくるんだと、うちひしがれた。

 それは僕が心の奥底でずっと求めていたもの。もっともほつしていたもの。

 望んでいたのに。望んでいたから。永遠に手に入れることはできないと思っていたもの。

 自分自身をりようする絶対的な正しさ。信じる価値のある──信じたいと思える存在。

 ────ひとりのぞみ

 神さまにさえ見放されたような僕に、いつか制御のかない悪魔になってしまうかもしれない僕に、それでも生きていいと言ってくれる相手。生きるべきだと言ってくれる相手。

 そんな存在が現れてしまったら、もうそれ自体が、僕にとってかけがえのない救いになってしまう。


「わるくない話でしょ?」


 勇者として今日まで生きてきて、自分自身でさえ信じられなかった価値。欠けていた存在理由。生きる意味。それらすべてを一身に引き受けて、代替するように、彼女はほほむ。

 そのほほみはリードつきの首輪となって、僕の心の弱い部分にかけられていく。

 拒むことなんて、できるはずがない。

 だって僕はすでに思ってしまっていた。

 彼女が信じる未来を──僕を生かした選択を──まちがいにはしたくないと。


「…………今まで、おまえがまちがっていたことは?」

「ない!」


 数瞬のためらいもなく、ひとりのぞみはそう言いきった。

 その言葉にも、やはりウソはなかった。

 僕は長いため息をひとつ吐き出して、覚悟を決めた。


「…………なら、目指してみてもいいのかもな。だれも殺さない、名探偵ってやつを」


 今までただの一度もまちがえたことがなく、これからもまちがえるつもりがない──そんな、神さまみたいな──悪魔みたいな──名探偵に出会ってしまったのが運の尽きだ。

 そう思えたから、僕はキスの代わりに名探偵の手を軽く握り返して笑ってみせた。