さくら荘のペットな彼女

第一章 さくら荘へようこそ ⑩

 二年の新しいクラスでは、今朝のつかれがひどすぎて完全に上の空だった。

 放課後には、千尋からましろの学校案内を丸投げされた。

 どこに連れて行っても、興味があるのか、ないのか、よくわからない反応をましろはしていて、自分が酷く無力に思えてきたものだ。

 帰りも空太がましろを連れ帰ってきた。なぜなら、ましろはわずか十分程度の道を覚えていなかったからだ。

 学校案内が終わったあとで別れ、空太は一度りようまでもどってきたのだが、一時間っても、二時間経っても、ましろは帰ってこなかった。

 心配になってさがしに行くと、帰り道どころか、学校内で迷子になっているのを発見した。

 しかも、本人にその自覚はないようで、今から帰ろうと思っていたとのたまった。

 それだけじゃない。

 さくら荘に帰るちゆう、今週の買い出し当番だった空太は、さきたのまれた牛乳を買うためにコンビニに寄った。

 そこでも、ましろはやってくれた。

 お店の商品を、レジも通さずにぱくりと食べた。あまりに自然にたなからバームクーヘンを取り、あまりに堂々と開封し、あまりにおいしそうにほおるものだから、空太はしゆんじようきようを理解できなかった。


「えっと、しいさん? 何をしていらっしゃるのですか?」

「バームクーヘンを食べてる」

「どうして?」

「好きなの」

「好きで許されたら警察いらないんだよ!」

「たくさんあるのに」

「そりゃ、商品だからな! 売り物だからな!」


 ましろは小首をかしげ、わからないって顔をする。


しいって、どういう人生送ってきたんだよ?」

「絵をいてきた」

ほかには?」

「絵を描いてきたの」

「…………」

「絵を描いてきたわ」

「聞こえてるから! 他の言葉を待ってんだよ!」


 そこでさわぎを聞きつけた店長に見つかり、そらはめちゃくちゃずかしい思いをしながら何度も何度も頭を下げた。その間に、ましろはバームクーヘンを完食し、二個目に手をばした。


「椎名! お前はおれをどうしたいわけ? 何かうらみでもあんの?」

「食べる?」


 かわいい顔で、ちぎったかけらをあ〜んしてくる。


「いらんわ!」

「おいしいのに」


 結局、からふくろと、半分減った袋をレジに通してもらった。空太とは顔見知りの店長で、おかしな子だとげらげら笑ってくれたのがせめてもの救いだった。


「というのが、今日一日でわかったおそるべき事実です」

「ま、仕方ないわよ」


 そう言ったのは、ひとりビールで酒盛りをしているひろだ。


「この子、美術の勉強しかしてないせいで、ちょっとつうじゃないから」

「いやいや、ちょっとじゃないでしょ!」


 散々な言われようにもかかわらず、話題の中心人物であるましろは器用にはしを操り、エビフライをまるはだかにしていた。その後、がした衣をごくごく自然な動作で、空太の皿の上にせてきた。


「なにしてんの?」

だつした」

「ちょっとおもしろいこと言ってる場合か!」

「面白くはないわ」

「そこは否定しなくていいだろ!」


 わずかに首を傾げた後、ましろは解体作業に興味を移し、二ひき目のエビフライもただのエビにしてしまった。がしたフライ部分を、またしても空太の皿に置く。それから、丸裸のエビを一口でぱくり。


「ものすごくへんしよくだって話よ」

「先生、そういうことは全部先に言ってください!」


 新たな問題点がりになったことにショックを受けていると、すきだらけになったそらの皿から、今度はさきがエビフライを二ひきさらっていった。こうの声を上げる間もなく、美咲の口に収まる。


せんぱいまでなにしてんだ!」

「こーはいくんだけ、ましろんから分けてもらってずるいじゃん!」

「だったら、このだつがらを持っていけ!」

「育ちざかりなんだもん!」


 美咲が堂々と胸を張る。


おれもですよ!」

「あたし、思うんだけど、ノーパソとノーパンって似てるよね」

「なんの話だ!」

「はいはい。ダダをこねてないで、かん〜、ビール出して」


 完全に出来上がっているひろが、からになったかんを空太の方に転がしてきた。


「自分でいけ!」

「あんたの方が近いでしょ」


 無言だったじんが苦笑いしながら立ち上がり、冷蔵庫からビール缶を出して千尋にわたした。


たかはほんといい男ね〜。神田とはおおちがいよ」

「先生はビールくれればだれでもいいんでしょうが! つか、今、話題にしてるのは、しいをどうするかってことですよ!」

「ま、両親からはかいが必要なレベルだって聞かされてたくらいだしねえ。だから、さくらそうで預かることにしたんだし」


 介護。あながち間違っていないからおそろしい。


「だったら先生が責任を持ってフォローしてください!」

「おいおい、無茶言うなよ、空太」


 口をはさんで来たのは、いち早く食事を済ませ、次々にケータイでメールを送っている仁だ。


「この会議は無意味だって」

「それだと俺が困るんですよ!」

「考えるまでもないだろ? 俺はたまにしか帰ってこないし、美咲に他人のめんどうを任せるなんて無茶だ。幼なじみの俺が言うんだから間違いないよ。それに、千尋ちゃんは絶賛コンカツ中で、今からこぶつきにしたらかわいそうだ」


 ひとり名前が挙がらなかったが、それは挙げるまでもないという仁の意思表示だ。


「だから、最後の望みをじんさんにけてるんじゃないですか!」

「なんだよ、それこそ無理ってもんだろ。おれ、月曜は演劇学部四年のあささん、火曜はナースののりさん、水曜はお花屋さんのさんで、木曜がわかおくさまさんだろ? 金曜はレースクイーンのすずさんって決めてるし、土日はOLのさんが帰してくんねえもんよお。どこにもすきないって」

「このモテブルジョワめ! すっかりマハラジャにクラスチェンジしやがって! 将来はインドで暮らす気か、このやろう!」

「そう、興奮すんなよ。別に悪いことしてるわけじゃないんだし」

「自覚しろ! 少なくとも、人妻はりん的にまずいですって!」

「あ、そういやそうだな。こないだだんにばれそうになってまじでやばかった」


 メールを打ち終わったのか、ようやく仁がケータイを置いた。

 同時に、ひろが本日六本目のかんビールをぐびぐびと飲む。


「私としてはたかどくに、かわいいがかかるのをのがすわけにはいかないから、その線はどの道、せんたくに入れてないわよ。つまり、かんがどうわめこうが


 それに仁がちよう的に笑っている。いや、明らかに楽しんでいる。


「あの、あえて聞きますけど、先生の選択肢には俺のほかだれか入ってんですか?」

わくは四つ用意したけど、四枠ともあんたでまってるわね」


 予想を上回るふざけた回答にも、そらひるまない。ここで退いたら簡単にし切られる。


「だいたい、俺は近々さくらそう出て行く予定なんで、無理でしょ、ほら、無理ですよ」

ねこの飼い主見つかったのか?」


 うすく笑った顔を仁が向けてきた。

 答えなどわかっているくせに聞いているのだ。


「あのさ〜」


 フライの油でくちびるをテカテカにしたさきは、ノーパソの画面を見ている。


「なんすか?」

「『ぞくな会合に時間を費やすほどぼくひまじんではない。落ちるぞ』ってりゆうすけが言ってるんだけど……って、あ、落ちた。カムバ〜ク! って、もどってくるわけないか……というわけで、ごちそうさまでした。おなかいっぱいだよ」

「はい。んじゃ『ましろ当番』は空太に決定な。解散!」


 ケータイを持って仁が席を立つ。そのまま部屋に戻らずげんかんの方に向かった。今日は火曜日だからナースの紀子さんの日だ。

 その仁の背中が見えなくなるまで、ものげな顔で見送っていた美咲も、


「おつかれちゃんだよ。さ〜てあたしも、リテイク作業の続きしよっと。やるぞ〜、作るぞ〜、できちゃうぞ〜」


 と言ってノーパソをたたむと、スキップするような足取りで二階に上がっていく。