ウィザーズ・ブレイン
第零章 二人の騎士~Beautiful days~
子供のように、無邪気に奇跡を信じるのではなく
大人のように、ただ現実を受け入れるのではなく
この世に死があるを知り悲しみがあるを知り絶望があるを知り
それでも、明日を夢見るのを
(
I-ブレインが抑揚のない声で叫んだ。
あっと思ったときには、すべてが遅かった。
痛みをこらえて立ち上がる間もなく、
「どう? そろそろ降参しない?」
言葉こそ辛らつだったが、彼女の声はかすかにうわずっていた。気遣わしげなその表情を見たとたん、張り詰めていた
体中の力が抜け、どっと汗が
「……ま、まいった……降参……」
荒い息をつきながら、かろうじてそれだけ絞り出すと、そのまま草の上に大の字になってしまう。全身の筋肉が悲鳴をあげているようで、とても起き上がれそうにない。
冬の
「だめじゃない。この前から、なんにも進歩してないわよ」
苦笑混じりのその言葉に、反論する気にもならない。七二戦全敗という戦績は控えめに言っても情けない数字だったし、こっちは体力も気力も限界まで絞り尽くしたというのに、彼女の方は余裕
「……なんで……そんなに元気なんだよ」
「あら。疲れるのは、体に頼ってるからよ」
彼女は慣れた動作で
「……
「ほら動かないの。汗、
「うわっばか!
「こーら。
すったもんだのすえに、なんとか膝枕だけは勘弁してもらったものの、人に見られたら言い訳のできない格好であることに変わりはない。首筋をなでるタオルの感触がくすぐったくてなんとか逃れようとするのだが、動いちゃだめ、とばかりに細い腕に押さえ込まれてしまう。
「ああ、もう。たった三時間ちょっと特訓したぐらいで、どうしてこんなに汗だくになっちゃうの? ちゃんとI-ブレインが使えてない証拠よ」
いかに
「
彼女のお説教は続く。いつものことだがこれが始まると長い。はじめのうちこそ、ああ、とか、うん、とか返事をはさんでいたが、しまいには面倒くさくなって適当に聞き流してしまう。
どこか遠くで、名前も知らない鳥が高くひと声鳴いた。
ぼんやりと見上げた空は、木々の
もうすぐ春だな、そんな考えが頭に浮かんだ。
「……ねえ。ちゃんと聞いてる……わけないわよね」
「聞いてるよ」
「
「これ以上強くなってもしょうがないだろ。
「私より強くなってくれないと、困るのよ!」
彼女より弱いとどうして困るのか、さっぱりわからない。
「そう言われてもなあ……大体、なんで騎士なんだよ」
口を
彼女は、
「祐一、もしかして騎士になったこと後悔してるの?」
「は?」
「ごめんね、私……」
「いや、そうじゃない!」大慌てでさえぎる。「そうじゃないけど……名前がなあ」
うまい言葉が見つからない。右手に握ったままの騎士剣を掲げると、
「これだって、単に技術上の都合で剣の形になってるだけだろ? 騎士剣、なんていかにもな名前、つけなくてもいいと思わないか?」
「そうかな。私は結構気に入ってるんだけど」彼女の
「だって、騎士っていう肩書きがあると、すごくかっこいいことをしても恥ずかしくないような気がしない? なんか、
あまりにも彼女らしい物言いだったので、思わず吹き出してしまった。
「なんで笑うのよ!」
「いや、
「関係ないわよ、そんなこと。ここは中世ヨーロッパじゃないもの」
「じゃあ、二二世紀の日本の騎士は、どんな騎士道守るんだ?」
「そうねえ……たとえば」
ふいに、ひときわ強い風が吹き抜け、幾千幾万の木の葉がこすれ合う
それを合図にしたかのように、すべての物が静まり返る。
「騎士、
「聞いてて、恥ずかしくなる」
「なにが恥ずかしいのよ。じゃあ、次は
とっさに体を起こしかけ、すぐに押さえ込まれてしまった。
「なんで、おれの分まで雪が考えるんだよ!」
「かたいこと言わないの。すごくいい言葉、思いついたんだから。いい?」
ちっともよくなかったが、気がついたときには、彼女の顔が鼻先すれすれまで迫っていた。
「…………」
予想していたよりもはるかに恥ずかしくて、そのくせ妙に心に残る言葉だった。
「なあ、もっと
「こういうの、嫌い? いい言葉だと思わない?」
いい言葉には違いなかったので、しぶしぶ
「じゃあ、決まりね。これで祐一も本物の騎士よ。ちょっとは、やる気でてきた?」
「ああ、でてきたよ。だから、はやくどいてくれ!」
声がうわずっているのが、自分でもわかった。彼女の顔は、いまだに目の前数センチの場所にあった。
「いいじゃない。もう少しだけ、このままで」
心臓が、
「はやく、私より強くなってね……」
目を閉じ、唇は心もち上を向いて、彼女の顔がゆっくりと近づいてくる。そして。
ふわり。
ふいに、二人の間を、なにかが通り過ぎていった。
頭上の
大ぶりの桜の枝一面に、鈴なりに連なる無数のつぼみたち。
その中に一輪、ここ数日の陽気にさそわれた気の早い花が、風の冷たさに身を
春。
すべての命が芽吹く恵みの季節は、もう、すぐそこまで迫っていた。
「桜が咲いたら、みんなでお花見でもしましょうか」
笑いながら、ぽつりと彼女が
「……そうだな」
悪くない考えだった。
結局、この日の約束が果たされることはなかった。
春は、二度とやってこなかった。
青い空も桜の木も、永遠に失われてしまった。
そして、
──彼女は、最後の最後まで、本物の騎士だった。



