ウィザーズ・ブレイン

第二章 それぞれの帰る場所~A week──the first day~ ③

「だって、錬はそんなにぼろぼろで、相手に傷ひとつつけられなかったんでしょ? そういうのは、負けっていうの。……あとでせんとうデータのチェック、やろう」


 錬のI-ブレインは生まれつきのものだが、その構造を解析して『マクスウェル』をはじめとする数々の戦闘用デーモン、つまりほう能力用の特殊プログラムをデザインしてくれたのは、この真昼だ。『さまざまな能力のプログラムをバラバラに作ってあつしゆく保存しておき、必要に応じて展開する』という錬のI-ブレインの基本コンセプトはこの兄の発案によるもので、本人いわく『画期的な発明』らしい。

 しばらく、三人は無言で肉まんをむ。

 真昼が四つ目の肉まんを取りながら、ところで、と口を開いた。


「結局、今回の仕事の報酬って?」


 錬がほいほいつられるぐらいだから、よっぽどいいものなんだろうね。そう言って、肉まんにからし醬油をつける。錬は、口の中の肉まんをゆっくりと味わってから答えた。


「んー、シティの永住パス。三人分」


 真昼と月夜の動きが、同時にとまった。無言で顔を見合わせる。錬は気づかないふりをして、二つ目の肉まんに手を伸ばす。合成植物たんぱく製の生地はふかっと柔らかく、中からは肉汁のうまみがじんわりと染み出してきた。


「……れん。いっつも言ってるでしょう? 私たちがシティに住まなかったのはあんたのせいじゃないって……」

「うん……それはわかってるんだけど……うわっ!」


 頭にあたる柔らかい感触。次のしゆんかんには錬は、つきの胸の中に抱き込まれていた。

 月夜の柔らかい手が、静かに錬の頭をなでる。錬は、だまってなすがままにされた。


「気持ちはうれしいけど、もう二度と、こんな危ないことしちゃだめだよ」

「……ごめん」


 そうそう、とひるがあとを続ける。


「昨日、帰ってくるなり倒れただろ。あのあとたいへんだったんだから。月夜が、『錬、死なないよね』、『錬、死んだらどうしよう』、って涙ぼろぼろこぼして……」

「真昼! 変なこと言わないで!」


 月夜が、顔を真っ赤にして慌てた。

 真昼が声を立てずに小さく笑う。

 つられて錬も笑う。

 六畳一間のリビングに、肉まんの湯気が、ほわっと立ち上った。


「だいたいのことはわかったわ」


 食事が終わったあとで、作戦会議になった。月夜は朝食の後片づけをしながら、真昼は端末の情報を拾い集めながら、錬からおおよその説明を受けた。


「とにかく、依頼主の正体はまったくわからないわけね?」

「うん。メールボックス見たら、名指しで依頼が入ってたんだ。こうシティの軍用ポートのパスコードと一緒に」

「そーいうのが、一番危ないのよ」錬が食べなかったために二つ残った肉まんを小皿に移し、


「あ、錬。ラップがきれてるから、作って」

「わかった」答えて錬は、かなり広い台所の半分を占める、巨大な機械の操作卓に飛びついた。

 強化タングステンの重厚なボディーに、無骨で冷たい印象を与えるその機械は、月夜の開発した『分子配列変換システム』だ。情報制御によって原子を設計図通りに並べていくことで、水と炭素、空気中の酸素と窒素、そして土中の金属分子から、任意の有機化合物とたんぱく質を合成するこの機械。月夜に言わせると、やっぱ私って天才、ということになるらしい。

 だが、二段ベッドほどの大きさの物々しい機械から、ごうんごうんという地の底からひびくようなごうおんとともに、肉まんの生地やらポリエステルのラップやら有機洗剤やらが吐き出されてくるさまはとんでもなく間抜けで、錬はいつも笑いそうになってしまう。

 それに。


れん、できた?」

「……できたけど」


 灰色と茶色のチェック模様の入った半透明のシートを取り出し、つきに手渡す。


「……なによ、これ」

「だから……ラップ」


 この機械、よく故障するのだ。


「また? で、今回はなに?」


 錬は無言で、山のようなエラーメッセージを吐き出しつづける操作端末を指差す。作動音も、がたんがたんと不規則かつ不吉に変化し始めた。

 月夜は、やれやれとため息をつき、せつけんまみれの指をきんきゆう停止スイッチに伸ばす。機械は、その後も数秒間不平を並べ立てたあとで、動作を停止した。


「……電子系と機械系と両方いっぺんっていうのは、はじめてね」

「前にこわれてから一週間もったから、つけがまわってきたんじゃないの?」

「実用化は、遠いわね……」月夜は苦笑し、台所に向き直った。


「完成したら、町の費用でもっと大きいやつ作るんでしょ? 耕作プラントの代わりに」

「一応そういうことになってるけど、そんな簡単にできるものでもないし。ま、気長にやりましょ……ところでひる」月夜は、食器を片づける手を止めてリビングをのぞき込んだ。「そっちはどうなってるの?」


 テーブルの端末とにらめっこしていた真昼が、渋い顔を上げた。


「どうも、まずいことになってる」

「やっぱりがせネタだった?」

「そうじゃなくてね」真昼はかぶりを振った「なぞの依頼主さんから、メールが届いてる」

「それのどこがまずいの?」

「あて先が、メルボルンのダミーじゃなくて、ここなんだ」


 月夜は、ひたいに手をあててかすかによろめいた。

 仕事上のメールのやり取りには、三人とも、シティ・メルボルン跡地の廃棄されたホストの中に作った、ダミーのメールボックスを使っている。

 そこではなく、プライベートでしか使わない自宅の端末にメールが届いたということは、つまり、依頼主にこっちの正体がすっかり知られているということだ。


「……もう、絶対に降りれないじゃない、この仕事」

「そういうこと。あと、メールの元をたどってみたんだけど、こうシティの中らしいんだ」

「なんで、シティの中からなわけ? 大体、らしいってなによ」

「シティのネットに侵入できないんだ。なんだか知らないけど、神戸シティ全体が自閉症モードに入って、外部との接触を遮断してる」端末のスイッチをオフにし「思ったよりも大事みたいだ。とりあえず、背後関係をもう少し探ってみる」

「そっちはあたしがやっとくから、ひる、あんたはれんのI-ブレインの調整したげて。今回のせんとうデータの解析も」

「わかった……例のナイフ、表面走査すませて工房に置いてあるから、あとでチェックしておいて。論理回路がすごいことになってる」


 論理回路とは、幾何学的なパターンを組み合わせることで個体の情報に一定の構造を与える技術だ。原理的には旧世紀のオカルトにおける『ほうじん』に近いものだが、一原子単位の微細な調整が必要とされるため、望んだ効果を得るのは極めて難しい。


「あれ作るの、大変だったのよ……。ほかには?」

「別口の依頼が六件。隊商のえいが三件、工業プラントのサルベージが二件、あとつきに名指しで、服飾プラントの修理。けっこう報酬いいけど、どうする?」

「んなもん、無視よ、無視」


 二人がてきぱきと話し合うのを聞きながら、錬は、一番大事なことを思い出した。


「……そういえば、あの子は?」


 真昼が無言で、月夜の部屋を指差した。錬がなにも説明しなかったのでとりあえずベッドに寝かせて、かわりに昨日は月夜がリビングのソファーを使ったらしい。


「悪いけど、あんたのパジャマかってに借りたから。もう、裸じゃないわよ」

「……いや、それはべつに、どうでもいいんだけど。ちゃんと、かぎとかかけてある?」


 錬のほおが、かすかに赤らむ。横で真昼がくつくつと笑った。


「ちゃーんと、かけてあるわよ。前に三人で作った『絶対あけられない』特製のやつを」


 その言葉が終わらないうちに、扉のノブがゆっくりとまわった。

 ノブは半分ほどまわったところでその動きを止め、かすかな機械音を立てる。扉がなん度か前後に小さく揺れ、あきらめたようにノブがゆっくりと元の位置に戻っていく。

 しばしのちんもくに続いて、ひかえめなノックの音がリビングにひびいた。


「……ほらね?」