ウィザーズ・ブレイン

第二章 それぞれの帰る場所~A week──the first day~ ②

 中期には、生物学とスポーツ生理学の発達によってけいがい化したオリンピックに代わる、『平和的な代理戦争』の手段として。

 後期には、労働の消滅によって生きる意義を見失った市民の向上心をあおるステータスシンボルとして。

 シティ体制の存続した一〇〇年間、軍隊組織はしゆくしようと拡大をり返しながら、存続しつづけた。

 この事実が、全面的にではないにせよ、シティというかんきようへい性によっていたことは否定できない。当時のシティ市民の一般的な感覚として、なによりも優先されるべきは自分のシティであり、連合議会の権威はそれより一段下に存在するものだった」


 大さじ一杯ほどの餡をすくい取り、生地で包む。片手でひだを取りながら、もう片方の親指で餡を押し込むようにするとやりやすい。そして、これが肝心なのだが、包み終わりはかならずひねって閉じる。そうしないと、蒸したときに餡が飛び出してしまう。

 すべて包み終わったら、底にうす紙をりつけて台の上に載せ、またしばらく休ませる。


「……ここに、もう一つ重要な歴史的事実が存在する。

 ウィッテン・ザインWZ型情報制御能力者、のちに『ほう』と通称されることになるその第一号が、ハノーバーのフリードリッヒ・ガウス記念研究所でたんじようし、『情報制御理論』が単なるじようの空論から実用的な工学へと踏み出したのが、西暦二一八三年。

 大戦ぼつぱつの三年前にあたるこの年の一月には、月のヘリウム3の枯渇化が深刻な問題として取り上げられ、残されたわずかな埋蔵量の優先権をめぐって、連合議会はきんぱくした空気に包まれていた。

 そのために、情報理論の実用化は遅れた。

 各シティはこの新たな理論に関してへい的な姿勢をとり、独自の研究を進めていった。

 互いに交流のないまま、研究方針は二転三転し、代替エネルギーとしての実用化のめどがたたないうちに、大戦が勃発。必然的に、研究は軍事利用一本に絞られていった。

 人々は、画期的な兵器としてほうを受け入れた」


 台所の片隅で、先ほどから蒸気を上げているせいのふたを取り、一つ一つ、お互いがくっつかないように並べていく。あとは、一五分ほど蒸せば完成だ。


「戦争によって人類はへいしていった。わずかばかりのエネルギーはまたたく間に浪費され、総人口は一〇年で半減した。そして、ニューヨーク市を中心とした連合軍と、上海シヤンハイ市を中心とした共和軍が正面から激突したアフリカでの戦いで、最後のいちげきが振り下ろされた。

 人類がはじめて経験した『魔法災害』。共和軍に従軍した一人の魔法士によって、アフリカ大陸全土で五三のシティのかくゆうごう炉が同調して暴走。アフリカ大陸のおよそ九割が消滅し、軍人、民間人、合わせて七〇億人以上がいつしゆんで消し飛んだ。

 もはや、戦争に勝者も敗者もない。だが、そのことに気づいたときには、すべてが遅かった。

 人類に残されたのは、わずか七つのシティと二億人足らずの人口。その半分以上が、シティに住むことすらできず、シェルターや発電プラントのまわりに街を作り、かろうじて生存圏を維持している。シティにしたところで、いつまでその機能を維持できるかはわからない。

 試算によれば、太陽を遮る遮光性ガスが分解するまで、およそ一〇〇〇年。人間という生物にとって、その時間は長すぎる」


 今のフレーズは、結構かっこよかったな。そんなことを考えながら、蒸籠のふたを取り、出来栄えを確認する。

 我ながら、かんぺき

 ボイスレコーダーのスイッチを切ろうとして、ふと思いとどまる。なにか、めの言葉があった方がよくないだろうか。

 少し考え、あまひるは言った。


「今、西暦二一九八年。人類は、その歴史に幕を引こうとしている」


 それから、たった今でき上がったばかりの肉まんを皿に取り、リビングに入っていった。


「じゃ、ほんっとに、背後関係とかなんにも調べないで受けたの? 報酬につられて!」

「だから、そのことは昨日からなん度も……痛! 痛いよつきぬえ。もっと優しくしてよ!」


 まだ乾ききっていない傷口に消毒薬をぶっかけて細胞活性剤をすり込みガーゼと包帯でぐるぐる巻きにする、というあまりにずさんなりように、あまれんは目に涙を浮かべて抗議した。


「……ひどいよ、月姉」

「あんたがばかやったからでしょ。いい薬だわ」


 弟の恨みがましい視線にそっけなく答えつつ、天樹つきは治療具のたぐいを薬箱に投げ込み、細胞活性液と消毒薬にぬれ光る指を、ジーンズのすそで無造作に拭った。

 今日の服は、色気のないトレーナーにジーンズ。おとといに見たときは、油まみれのつなぎの上下。昨日は見ていないが、絶対にジーンズかつなぎのどちらかだ。

 姉がそれ以外の服を着ているところを、錬は見たことがない。

 年は二二、しゆは機械製作。長い後ろ髪を無造作に束ね、化粧っけのかけらもないその顔は、それでもはっとするほど美人で、錬はいつも、もったいないなあ、と思ってしまう。


「まったく。軍がらみの仕事は危ないから気をつけろって、あれだけ言ったのに」

「……月姉……怒ってる?」

「当たり前でしょ!」


 いまだふんまんやる方ない様子の月夜の前で、錬はしゅんと小さくなった。

 かべにかけられた木彫りのはと時計が、午前八時を告げた。あのあと、追跡者をまくために旧ロシアの石油パイプラインを通って日本海に抜け、ようやく帰り着いたのは午後六時だった。簡単な傷の手当てを受けて、そのまま気を失うように眠ってしまい、目が覚めたと思ったらもうこんな時間。ひどくおなかがすいている。


「朝ご飯は?」

「……あんたね、ほんっとに、反省したの?」

「ちゃんとしたよ。だから、あさごはん!」

「……今、ひるが作ってるわよ」


 言い終わると同時に台所の扉が開き、肉まんのいいにおいが、ほわりとリビングいっぱいに広がった。


「おはよっ、真昼にい


 錬が元気よくあいさつすると、おはよう、と静かな答が返ってきた。

 天樹真昼は、錬より七歳年上で、月夜より五分だけ年下、つまり、月夜と真昼は双子だ。男と女の双子だから二卵性のはずなのだが、この二人は錬の目から見ても本当にそっくりで、それなりに親しい人でも髪型と服装ぐらいでしか区別できない。


「真昼兄、ご飯作りながらなにやってたの?」

「仕事だよ。メルボルンの近くに学校を作ろうとしてる奇特な人がいてね、歴史と数学の教科書作りを頼まれたんだ。あとで編集手伝ってね」

「……なんか、すごく変な教科書になりそう」

ひる! のんきに話してないで、あんたも説教ぐらいしなさいよ!」

つき、朝から怒鳴らない。れんも、反省したよね?」

「したした」

「ああ、もう!」月夜は頭をかきむしり「すぐそうやって甘やかす! だいたい、私の分子配列変換システム、フードプロセッサー代わりに使わないでってなんべん言ったらわかるの?」

「ああ、ごめん。便利だからさ、つい」

「ついじゃない!」


 目をり上げて怒る月夜に、真昼はあくまでも静かな笑みで答える。

 この二人、顔は同じでも、性格は正反対。どうして、こんなにすぐ怒鳴る方が『月の夜』で、常に落ち着いて絶対に声を荒らげたりしない方が『昼』なんだろうと、錬はいつも不思議に思う。

 きっと、人間の性格を決める神様だかでんだかが、生まれるときにうっかり名前を取り違えたのだろう。

 三人がめいめいの席についたところで、そろって手を合わせ「いただきます」


 真昼が、小皿にしようを取ってからしを溶きながら、ああそういえば、と錬にたずねた。


「今回は、負けたんだって?」


 錬は、肉まんの裏のうすがみを丁寧にはがしながら、少しむっとして答えた。


「別に負けてない。ちゃんと目的は果たしたんだから」