ウィザーズ・ブレイン

第二章 それぞれの帰る場所~A week──the first day~ ①

 ポットに一杯のコーヒーと、テーブルシュガー。ミルクは合成に手間がかかるから、できるだけ使わないことにしている。

 一杯目をカップに注ぐと、苦いような甘いような香りが、三畳ほどの空間いっぱいに広がる。砂糖を大さじで二杯半。甘めのコーヒーを飲むと頭がよく働くのだ。


ひる・仕事用・歴史』とタイトルのついたディスクをボイスレコーダーに差し込み、スイッチをオンにする。


「……西暦二一九八年二月一四日。記録者名、あま真昼。題目、第三次世界大戦と地球連合のほうかいについて」


 数秒の間を置くために、コーヒーをひと口。それから、ゆっくりと語りだす。


「世界大戦のぼつぱつと、それによる文明の崩壊について論ずるためには、まず、西暦二〇八二年の地球連合の発足までさかのぼらなければならない。

 人類史上初めて結成された、現実的な実行力を持った世界組織。そこにいたる要因は、大きく三つに分類される。ネットの発達、人口問題の解決、そして、シティの建設。

 このうち、ネットと人口問題に関しては、特筆するには及ばない。

 二〇世紀末に端を発するコンピュータネットワーク網、いわゆる『ネット』の発達による、国家や民族といった概念の実質的な消失。

 人工しよくりよう生産プラントの実用化による食糧問題の解決。太陽光、地熱、風力などのフリーエネルギーと、月で採掘されるヘリウム三によるかくゆうごうがもたらした、エネルギー問題の解決。

 けんちく学の革命といわれた『積層方へい都市』の建設による、人口密度とかんきよう問題の解決。

 これらのしよ要素は、いずれも戦前の歴史学者達によってすでに議論の尽くされた問題であり、特につけ加えるべき命題を見出すことはできない。

 だが、第三の要素、積層方閉鎖都市『シティ』というシステムが人類に与えた、文化・社会面へのえいきようについては、いささか議論の余地があるように思う」


 いったん言葉を切り、ボイスレコーダーをオフにする。

 次のしゆんかん、地の底からひびくような重苦しいごうおんとともに『処理が終了しました』という機械合成音が響いた。ぴったりのタイミングだ。

 部屋の一角、というより本来なら六畳はあるこの部屋の半分を占拠する、そのばかでかい機械、分子配列変換システムに歩みより、取り出し口を開く。

 両手のひらに少し余るほどの白い物体を取り出す。滑らかな手触りで、やわらかく、少し引っ張ってみてもちぎれる様子はない。

 申し分ないできだ。今日は調子がいいらしい。

 給湯器の温度を五〇度に設定し、ボウルにいっぱいに湯を張る。先ほどの物体は少し小さめのボウルに移して湯の中につけ、表面をラップでおおって湯せんにかける。

 席に戻って、コーヒーをひと口。

 再び、ボイスレコーダーのスイッチをオンにする。


「……さて。

 有史以来人類の生み出した中で、万里の長城についで巨大な建築物がこの『シティ』であることに関しては、異論をさしはさむ余地はない。

 直径二万メートル。高さ一万メートル。内容積、約二〇〇〇キロ立方のドーム型都市。その外観とサイズから、『バベルの塔の再来』として宗教関係者からの反対運動が起こったという、第一都市『ワシントン』建設当時の記録が残されている。

 二〇〇〇万人の生活を恒久的に維持することが可能なこのシステムのたんじようによって、人類は当面の人口・環境問題から解放され、同時に、画一化されたシティの環境は、あらゆる貧富の差、地域格差を消し去り、国家の消滅と地球連合発足の直接の引き金となった。

 だが、このシステムが『人類のほとんどすべてが、一つの建築物から一歩も出ることなく一生を終えることができる』という、歴史上かつてない異常な状況を引き起こしたことは、あまり指摘されていない。

 シティは、国家という概念を消滅させたが、一方で国家よりはるかにへい的な政治単位の、温床となったのである」


 座ったままの体勢でボウルに手を伸ばし、湯せんによって二倍ほどにふくらんだ白い生地を台の上に取り出す。

 軽くガスを抜き、包丁を使って切り分けていく。このとき間違っても手でちぎったりしてはいけない。断面が荒れると、最後に蒸すときに生地が破れてしまう。

 切り分けた生地は丸めて形を整え、かんそうしないようにラップをかけて休ませる。手もとのタイマーを一〇分にセット。

 空になってしまったカップに二杯目のコーヒーを注ぎ、再び言葉を紡ぐ。


「……地球連合じゆりつ宣言は、二〇八二年三月一〇日、ジュネーブの国際会議において満場一致で採択された。このしゆんかんに地球上から『国家』が消滅し、世界は最小の自治単位である『シティ』とそれらの代表会議である『連合議会』によって運営されることとなった。

 この頃、地球上の総人口は、二〇〇億人に達しようとしていた。

 さまざまな発展があったことは、否定できない。

 人類にとって残された唯一の問題である『老い』と『病』に対して、積極的な研究が行われた。一〇〇年、二〇〇年先を見越して、外宇宙に向けた移民船団が送り出された。大気制御衛星が南極と北極に打ち上げられ、人類は、天候さえ自由に操るすべを手に入れた。

 世界からは、差別も貧困も争いも消え、だれもが思い描いた理想郷がそこにあった」


 ぴたりと、言葉が止まる。ここから論理を逆転していくわけだから、理想郷があったと言いきってしまうのはおかしいかもしれない。そんなことを考えていると、手もとのタイマーが一〇分を知らせた。

 戸棚からめんぼうを取り出し、生地を直径一〇センチほどに丸く伸ばす。このとき、生地の中央は厚く、端に近い部分をうすめに伸ばすのがコツだ。


「では、なぜ大戦は起こったのか。

 一般的に、この原因は大気制御システムの暴走と、それに続く冬の時代の到来にあると言われている。西暦二一八六年、事件発生の日付から『コード五一四』と呼ばれることになるその事故の原因は、一二年を経た現在でも判明していない。

 南極と北極の大気制御プラントが、世界中の空に遮光性の気体をき散らした。本来なら干ばつの対策に使われるべきこの気体は、自然には分解しにくく、最終的に実用化にはいたらなかったものだった。

 何重にも施された安全機構がなぜ作動しなかったのか、それ以前に、安全性の問題から一〇年以上も前に破棄されたはずのその気体がなぜ衛星に積まれていたのか。反地球連合組織のテロ、シティ上層部のいんぼう、気象衛星管理官が麻薬常習者だった、当時のニュースからはさまざまなおくそくを読み取ることができる。

 いずれにせよ、この事故の発生がなければ、地球連合とシティ体制は現在でも存続していたことだろう。

 月のヘリウム三の枯渇化が叫ばれ、エネルギー供給の九〇パーセント以上を太陽光発電プラントに移行していた人類にとって、この事故は致命的だった。地熱、風力などの補助的な生産手段だけでは人類のすべてを養うには到底足りず、旧時代の化石燃料や核分裂に関するノウハウは、すでに失われつつあった。

 同年六月三日、シティ・ミュンヘンが自国近郊の地熱発電プラントの占有権を主張したのを皮切りに、世界は戦争状態に突入していく。

 だが、第三次世界大戦の原因を考察するためには、もう一つ、『軍隊がなければ戦争はできない』という当然の事実から、目をそむけることはできない」


 しゃべりながらめんぼうを転がすのは、なかなか難しい。議論が白熱してくれば、なおさらだ。途中何枚か破れてしまいやり直しもあったが、どうにか完成。

 冷蔵庫から作り置きのあんを取り出す。材料のほとんどは共同管理の耕作プラントで合成された人工ばいよう品だが、白菜だけは隊商から仕入れた本物だ。きっと、おいしいだろう。

 コーヒーをひと口。息を吐く。


「そう。

 世界平和が歴史上かつてないほどかんぺきな形で実現されていたにもかかわらず、地球上のすべてのシティは、いずれもほぼ同程度の、過剰なほどの軍事力を備えていた。

 初期には、地球連合体制に対するぬぐい難い不信感のために。