第一話『猫女』――ギシキ――
1.
『猫女』について話をはじめる前にこれだけははっきりさせておきたいのだが、ぼくにはいわゆる『霊感』なんてものはない。
生まれてから十三年、中学二年生になるを迎えた今日に至るまで、幽霊やら妖怪やら、神やら悪魔やら、超能力やら、宇宙人やら、とにかく超常と呼ばれる類のナニモノかを目にしたことなど一度もない。いたって『普通』の一般人、たとえばあなたと同じように――いやもしもあなたが自分は見たことがある、というなら、いやそれだけで『異常』だとは決めつけないけど――これから語るぼくの話は、退屈きわまりないものになるかもしれない。
この話にはそんなもの、いっさい登場しないのだから。
なぜ、そんな『当たり前』のことをあらたまって宣言するのかというと、前述のとおりにもかかわらず、どうにもぼくは、周囲のみんなに霊感の持ち主であると思われてしまうタチらしい。
勘違いしないでほしい。
ぼくはそれらしく振舞ったことなどない(つもりだ)し、むしろそうした話題が出るたびに否定している。ぼくには霊能などなく、超自然的現象に遭遇したことなど一度もなく、むしろそうした現象が存在する、ということに対して懐疑的である、と。
しかし、そのときには納得してもらえても、日にちが経って気がつくと、なぜだろう、ぼくには霊感があり、どこそこで幽霊などを目撃したことがある、という具合になっていて、このソゴはどれほど手を尽くしてもいかんともしがたいようで、もっとも近しい友人ですら、ぼくが否定するのは隠れた事情があるためだろうと邪推する。
たとえばわが親友は、親しげにぼくの肩をたたき、いうのだ。
「わかってるわかってる! この手のチカラは隠してこそ、だよな! うんうん、さすがシンシはわかってる!」
いくらなんでも同い年の中学二年、本気でぼくが超能力者だとは思っていないはずだが、では彼はいったいなにをもってしてぼくがわかっていると考えているのか、というかぼくがいったいなにをわかっているというのかぼくにはわからないのだが、あきらかに彼はぼくが本当にわかってほしいことはわかっておらず、しかし、いちばんの友人にそんなふうに生暖かい目で見つめられてうなずかれると、もはや反論する気力をなくしてもうどうでもいいやぁ、ってなるのだが――
できれば、誤解しないでいただきたい。
ぼく――目良
ただまぁ、そう思われてもしかたない、と思わないではないところも正直、ないでもない。
ひとつ、ぼくの罪を告白しよう。
ぼくの住む町のはずれには、開発途中でほっぽり出されたようなふもとの削れた山があり、その中腹あたりの森に、なにがあったか理由はともかく無人となって久しい『使われていない神社の廃墟』があるのだが、ぼくが小学四年生ぐらいのころ、そこに幽霊が出るらしい、といううわさが流れるようになった。
もともと、ぼくが小一のころからそうしたうわさがあったのが、なんらかの理由で再燃したらしい。
なにしろ身近な地元の話、その真偽を確かめよう、という流れが生まれたのも当然というか、しかたのない話だったろう。
早速、学校でも名の通った悪ガキとその取り巻きたちが実働部隊を結成し、しかして、ほとんど彼らと面識のなかったぼくもその一員に選ばれた。
なぜって?
そのころにはすでにぼくには霊感がある、という誤解が広まっていたからだ。
ぼくはもちろん、うわさを訂正し誤解を解こうとした。
「だから、違うんだって! 本当に、ぼくは幽霊なんて見たことないんだよ?」
「なんで隠すんだよ。一組のやつがいってたぜ? おまえが音楽室でモーツアルトの目が動くのを見たところを見たって――」
「だ・か・ら! それは勘違い、ぼくの思いこみなんだってば! 七不思議のことは聞いていたから、あの絵があんまり怖すぎて、動いたような気がしてびっくりして思わず叫んじゃっただけで!」
「気がしただけで叫んだ? それだけで? 思わず? 授業中みんなの前で?」
「だ・か・ら! ぼくは、……本当に、その、すっごく怖がりなだけなんだって!」
おのれの恥を正直に告白したにもかかわらず、彼は納得しなかった。
それどころか『怖がり』であることを理由に、ぼくに同行を強要した――人には感じられないことを感じられるからこそそんなに『怖がり』なんだ、その『怖がり』こそ『霊感』があることの証左だ、と。
納得したわけではなかったが、彼の言い分にあまり効果的な反論もできず(当時はまだ小学生だったのだからしかたがない)、また、彼が学校でも有名な悪ガキ大将で、同級生であるにもかかわらずぼくより頭一つ体躯も大きかったため(まぁ、ぼくが小さいほうなのも確かだが)、結局、ぼくは彼のチームに同行することを承諾させられ、土曜の夜、その『廃棄された神社』を訪れた。
夜の元・神社は、ありていにいって、恐ろしかった。
じつは、『昼』にその場所を訪ねたことは何度かあって――日の明るいうちですら雰囲気があって怖かった――それなりに慣れているつもりだったのだが、『夜』のそこは、もはや別世界だった。
季節は夏。
境内に続く石造の階段はぼくの背丈ほどもある草木に覆われ確かめられず、手足で掻き分けながら進まなければならないそこはもはや見慣れた日本の風景ではなく。時折踏みつける木石のたぐいは夜のトバリに彩られみどりがかかってこの世のものとも思われず、たまに足元で蛇らしきものが蠢き、バッタらしきものが跳ね、そのたびにぼくたちはびくりと背中を震わせた。
それまではそれなりにあった仲間うち――ぼくをのぞいた――のくだらぬ掛け合いも、鳥居跡にたどり着いたころにはすっかり鳴りを潜め、沈黙がぼくらを支配していた。
ただただ懐中電灯の光点だけが、元気よく飛び回っている。
石造りの鳥居は左右不揃いの柱が二本立っているだけで、屋根部分(笠木、というのだったか)はまるで通せんぼするかのように柱の間に砕け落ち斜めに地面に埋まっており、にもかかわらずそれがもともと鳥居であったことは一目瞭然で、その先がかつて神のマシマす場所であったことをわかりやすく知らせていた。
ぼくたちは、鳥居をくぐらず(地面に埋まった石屋根をまたがず)、その脇を抜けた。
階段と比べて境内は、それほど森の浸食はなく、驚くほど『庭』の部分が残っていた。
ところどころ草木が小山をつくっているが、しかし階段を隠していたほどではなく、夜闇のなかでもちょっと光を向けさえすれば白い道が浮かび上がって、建物――拝殿のありかを教えてくれる。
手水舎は見当たらないが、拝殿までの途中には社務所も見える。
物いわず、静かにたたずむ廃墟群。
訪れてあらためて、この神社が思った以上に広いことを知る。
これほどきちんとした神社が、なぜ使われなくなったのか。
なぜ、その後も整理されず再利用もなく、山中にぽつんと残されているのか。
一種不思議な感に打たれつつ、ぼくたちは、歩を進めた。
ほとんど先頭を歩いていたぼくの足は、気がつくと、正面にある拝殿ではなく、少し離れた社務所のほうに向かっていた。
しかし、だれも疑問を呈することなく、ついてくる。
時おり、ぼくの横を歩く悪ガキ大将の視線を感じたが、気にせずぼくは歩き続けた。
正確にいえば、気にする余裕はなかった――白状しよう、前述のとおり人一倍怖がりであるぼくは、夜の神社の雰囲気に、もういっぱいいっぱいだったのだ。同行者がいたからここまでこられたというだけで、ひとりだったらとっくのむかしに逃げていて、とてもじゃないがこのままむかし神さまが祭られていたであろう神殿を訪ねることなど不可能で、まず、安全な場所の畳の上に倒れこんで一息つきたかった――
そう、ぼくは知っていた。
拝殿のほうは壁は腐り床は草に突き破られてとても休める場所などないが、社務所のほうは、それほど荒廃していない、ということを。
その戸は、一見南京錠で厳重に閉じられているように見えて、そのじつひっかけてあるだけであり、たやすく進入が可能で、その先には畳の敷かれた部屋がある、ということを。
そう、ぼくは知っていた。
にもかかわらず、ようやく社務所前にたどりついたとき、ぼくは思わず息を呑み、全身を緊張に固めた――
なにか霊感がささやいた、わけでは決してない。
ただ、あらためて、気づいたのだ。
ぼくは、この社務所を『昼』に訪ねたことはあっても、『夜』にきたことはない、という事実を。
いま、目の前にある戸を開けたとき、そこに広がるのは自分の見知った光景ではなくて――
幽霊や妖怪が存在すると、考えているわけではない。
ただ、わかってもらいたいのだが、実在の有無を論じることと、それを怖がることはまったくべつの話なのだ。誤解されがちな部分なのだが、たとえ信じていなかろうが怖いものは怖いのだ。たとえそんなものいないと、存在しないと理解していても、理性ではわかっていても本能的に恐ろしいと感じることはどうにもならない。
怨霊なんていうものが存在しないと思っても、ぼくは決して、東京とかに祀られている恐ろしいお歴々がたに不敬を働こうとは思わない。
たたりの存在を信じずとも、やっぱりたたりは恐ろしい。
そんなものがいるはずないとはわかっている。
でも、この戸を開けた先に、なにかがいたら――
恐怖に身を震わせながら、しかし、ぼくの手は意思に反して動いていた。
戸は廃屋とは思えぬほど滑らかに動き、ぼくと、その背後からの懐中電灯の光が、屋内の闇をあらわにし――
そこに見出した存在に。
ぼくは身体を凝固させ、目を見開き、絞るような嗚咽をもらした。
ぼくに起こった異常を察知し、肩ごしにぼくの視線を追った悪ガキ大将は、小さく悲鳴を上げてたちまち回れ右、走り出し、その様を目撃していた仲間たちも我さきにといまきた道を逆走しはじめた。
当然ながらぼくも、その後を追い、逃げ出した――
――この話は、ここまでだったら、単なる肝試しで終わっていたかもしれない。
しかし、このトン走がまずかった。
ぼくたちは必死で逃げた。
全力で走った。
悪ガキ大将はともかくその仲間たちはなにも見ていないだろうに、まさに命駆けに駆け、それに置いていかれまいと、ぼくと大将も死に物狂いで彼らを追った――
それが悪かったのだと思う。
ぼくはその場で立ち止まり、冷静に、みなに説明するべきだったのだろう。
自分の見たものの正体を。
でもわかってほしい、そのときのぼくは小学生で、人一倍怖がりで、とかくとにかく恐怖のあまり、いっぱいいっぱいで――
夜闇のなかを闇雲に走れば、事故が起こるのは必然だった。
ただでさえ元神社の石段は、草で覆われ苔がむし、ろくに視認できなかったのだから。
当然の結果としてまず先頭が階段を踏みはずして転げ落ち、ぼくをのぞいたみんなが大きくダイブして、説話に聞くレミングのごとくその後に続いた。
運のいいことに、重傷を負ったものはいなかった。
何人かがたんこぶをこさえ、あざにまみれ、しばらく包帯が必要なほど手足をすりむき、ひとりは石段に口をぶつけて前歯を折ってしまったが、骨折までしたものは奇跡的にいなかった。
しかし大怪我は大怪我、この幽霊調査は『肝試し』から『事件』となってしまい、ぼくたちはシコタマ怒られた。
結果、詳細が学校中に広まって、元神社に幽霊が出るといううわさがまことしやかに語られるようになり、そしてこのトン走のきっかけとなったぼくは、ますます霊感があると思われるようになってしまったが――
ここではっきりさせておこう。
悪ガキ大将がなにを見たかはともかく、このときぼくが見たものは、『幽霊』などでは決してない。
というか正直、最初から、ぼくはこの場所に幽霊なんて出ないことを知っていた。
いまこそ告白するが、この元神社に幽霊が出るらしい、といううわさ自体、もともとぼくのせいで生まれた根拠のないものだったのだ。
小学校に入学したてのころ、廃棄された神社があると聞いて(なぜか怖がりの人間は、その手の情報に敏感なアンテナを持つ)、そのころから人一倍怖がりだったぼくは、もはやいてもたってもいられずこっそりその神社をおとずれた。
不思議なもので、怖がりな人間は怖がりゆえに、怖いものに近づいてしまう。
それについてはいろいろ持論があるのだが、やはりわかりやすいのは、いわゆる怖いもの見たさ、というか『知らない悪魔より知っている悪魔のほうがまし』という心理ではないだろうか。
未知の闇、というものはその怖さに際限がないので、ぼくたちは怖いものの存在を知ると、せめてそれが想像『してしまう』ほど怖くない、ということを確かめずにはいられないのではないだろうか――
と、いうわけで、ピカピカの小学新一年生だったぼくは、子供でありながら引率なしにひとりっきりでその神社を訪れ――当時からすでに隠された秘境、といった感じだった――訪れてすぐ自分なりに折り合いをつけ、ここには怖いものなどいない、目標は達成されたと結論し、奇声を上げて逃げ出した。
ところが、自分ではこっそりしていたつもりだったがだれかに見られていたらしく、神社から悲鳴が聞こえてどこかの子どもが走って逃げた、といううわさが広まってしまった。
おそらくそれが、幽霊のうわさ話のもととなったのだろう。
さらにいえば――こちらのほうは想像なのだが――ぼくはその後もときどき、もちろん昼限定だが、怖くないことを確かめにその元神社を訪れていて、そのつどやっぱり怖くなってホウホウノテイで逃げ出していたのだが、前回のテツを踏むまいと十分注意していたにもかかわらず、その逃げ出すところをまたもだれかに見つかって、そのため今回うわさが再燃してしまったのではないだろうか――
つまり、幽霊を見たものなどおらず、ぼくの行動のせいでうわさが生み出されただけで。
その場所に幽霊などいなかったのだ。
それでも、とあなたは思われるかもしれない。
それでも、悪ガキ大将やぼくが思わず逃げ出すような『なにか』を見たのなら、そこには『なにか』がいたのでは? と。
そして、『それ』を見ることができたなら、やっぱり霊感があるのでは? と。
だがあいにくと、その可能性はほとんどない。
なぜなら、悪ガキ大将がなにを見たかはともかくも、ぼくが見たのは、長い黒髪をだらしなく伸ばして顔を隠した、白い服に身を包む、見上げるほどに背の高い『女性』――
――前夜に見たホラー映画の登場人物だったのだから。
なぜ人一倍怖がりのくせに幽霊調査の前日にホラー映画なんかを、と思われるかもしれないが、妹はぼくが翌日調査におもむくことなど知らなかったのだからしかたがない。一つ下の妹はぼくと違って豪胆で、ホラー映画が好きであり、そしてぼくは人一倍怖がりすぎて怖いものは確かめなければ気がすまず、ぼくらが一緒にホラー映画を見るのは定例のイベントだった。
その日見た映画はなかなかの出来で、怨霊に扮する『女性』の怪演は、眠るのに妹の助けが必要なほどのものだった(つまり、手を握って眠ってもらった)。
それが心に焼き付いていて。
だからこそ、この先に恐ろしいものが待ち受けているかも、と想像しながら戸をあけたとき、ついついぼくの想像力は、壁にある凹凸の影やら模様にその『ホラー映画の登場人物』を見つけ出してしまったのだろう(これを類像効果? とかいうらしい。つまり科学的に説明できる現象)。
幽霊の正体見たり、枯れ尾花。
そう、そのときぼくが見たものは、前夜見たものの投影物、ぼくの人一倍怖がりな想像力が生み出した錯覚の産物だったのだ。
悪ガキ大将が見たモノのことはわからない。
じつは彼にこそ霊感があって、本当にナニモノかを見てしまったのか、それともなにも目撃しておらず、恐怖が高じて耐え切れず逃げ出してしまっただけなのか――大人からの質問にも、仲間にさえ、彼は「なにかを見たような気がする」とお茶を濁すだけで、具体的なことはしゃべらなかった。
そしてぼくも、正直に「壁の陰影からホラー映画の登場人物を連想してしまいました」とはいえなかった。
歯を折るほどの大事になってしまった以上、はっきりと「幽霊なんて見ていません」と答えて悪ガキ大将――あわてすぎて前歯を折ってしまった本人――のメンツをつぶしてしまうことがいいことだとは思えなかった(忘れないでほしいがそのときぼくは小学生で、悪ガキ大将はぼくより一回り大きかった)。そのため、悪いことだとは思いつつ、ぼくは沈黙を守り、その結果――自業自得ではあるが――幽霊のうわさが否定されることはなく、それを見たということになったぼくはますます霊感がある、と思われるようになってしまったが――
――というわけであらためて繰り返すが、本当に、いろいろな誤解やすれ違いから変なふうに思いこまれているだけで、ぼくには霊感などない。
ただ、人一倍怖がりなだけ。
さらにいえば、ぼくは霊感に類する存在もまた信じていない。
人は死んだらそれまでだと思っているし、妖怪なんているわけないと確信している。
語弊を恐れずいってしまえば、そんなものみんななにかの『勘違い』の結果なのだ。
なにしろぼくはある意味『勘違いの達人』なので、このことについては自信がある。
つまりこれからする『猫女』の話も、本物の猫女を見たと考えているわけではない。
結局は人一倍怖がりなぼくの妄想の産物だった、ということである。
すべては、不幸な誤解や勘違いの結果、だったのだ。
前置きが長くなってしまったが、さぁ、あらためて、この点を理解し踏まえてもらい、そのうえで、聞いていただきたい。
いま、ぼくの目の前には、十人に聞けば十人が――たとえ不承不承であっても――美人と答えるような女性がいる。
ぼくの通う中学校の、一つ上――新三年生となる先輩で、生徒会長を務める才媛だ。
そんな彼女はいま、ぼくの目の前で――
服を脱ごうとしている。
いや、すでに脱ぎはじめている。
学校で指定されているジャージの上着をあっさり脱ぎ捨て、下に着ていたTシャツを、まくりあげ、肩から抜く。
長い髪が勢いよく空中にパラリと広がり、落ちる。
上は飾り気のない薄い青色の下着一枚だけになり、しかしその手は止まらない。
ジャージパンツを脱ぎ落とし。
ついには、その下に穿いていた、学校指定の体育用短パンへと――
それをぼくは、ただただじっとながめている。
手持ち無沙汰で――とはいえないかもしれない。
なぜならぼくの両手は、すでに埋まっているから。
左手は、手のひらだけでおさまるほどに小さな子猫を胸もとに抱き。
右手には、その子猫を傷つけるために用意された、闇のなかでもくっきりとギラギラ光るナイフを持って――
――もしもあなたがなにか犯罪を目撃した、と感じて思わず携帯に手を伸ばしても、ぼくにはあなたを責められない。
じっさい、ぼく自身、いまもってぼくを潔白とはいいはれないでいるのだから。
ただ通報するまえに、まずは聞いていただきたい。
前述のとおり、ぼくは誤解されやすいタチで、つまり、これからはじまるのは犯罪なんて恐ろしげなものではなく――とはいえ法を犯していないともいいきれないのだけれど――すべては不幸な勘違いやすれ違い、そして奇天烈な思いこみの結果、なのだから。
舞台はくだんの元神社、その地下にある謎の『暗室』――
すべてはそこで、はじまった。



