第ニ話『百眼』――ジャガン――

8.

「どうだった?」

「いつもどおりかな。小林さんは?」

「こちらも変わらず。……筋肉痛は?」

「……だいぶよくなった」

「昨日は見るからにきつそうだったからね。いったいどんな勉強をすればあそこまで筋肉痛になるんだい?」

「……秘密」


『儀式』を行った当日の夜は、筋肉痛がすごかった。

 普段使わない筋肉を限界まで酷使したせいか、手足のみならず身体中がジンジン熱い悲鳴を上げて、翌日まで持ち越して、じつは三日目である今日も、歩くと痛い。走れない。

 とはいえ気分はかなり晴れやか。

 もちろん期末テストが終了し、あとは夏休みを待つのみ、ということもあるのだが――

 前を行く小林さんを見る。

 同じく下校中の女子と軽いあいさつをかわしつつ、先を歩いていく。

 たまにぼくにもさよならのあいさつをしてくれる女子がいて、あわててあいさつを返しつつ、自分の変化を自覚する。

 女子のスカート姿が、気にならなくなっている――! 

 小林さんの『告白』からこちらぼくをさいなんできた女子を見るたびスカートを凝視したくなる情動が、きれいさっぱり消えている。

 原因は、はっきり断定はできないが、やっぱり、『百眼の儀式』の影響だろう。

 きっと、あの最後の失敗で、ぼくのなかの深い部分に刻みこまれたのだろう。

 女性のスカートのなかなんて興味本位でのぞきこむと、手痛いしっぺ返しが待っているぞ、と。

 そう考えると『儀式』と『告白』について、タイミングが良かったのか悪かったのか判じかねる。

 小林さんの『告白』がなければもっと余裕があった気もするが、いずれ『告白』はされていた気もするし、ならば『儀式』と重なっていなければぼくの悩みはこうもあっさりとは晴れなかっただろう。

 もっとも、どう考えても『儀式』については悪影響のほうが大きそうなのだが――実際、あれから先輩には会っていないのだが(メッセージでのやり取りはしているが)、なにしろあんなところまで見てあんなことまでしてしまった相手なのだ、先輩に会うことを考えただけで腰からきゅっと震えが走ってなにがなんだか落ち着かなくなる。泣きたくなる。会いたいのか会いたくないのか、そもそもどんな顔して会えばいいのか、とりあえず走って逃げたくなる。

『猫人』のときもしばらく猫耳を幻視してしまったし、『儀式』の爪痕は、深い。

 ふと思い出したように、小林さんが口を開いた。


「……あれ? そういえば私、遠藤の家に行くのは今年はじめてだな」

「そうなの? ぼくはけっこういってたけど。春休みとか泊まったし」

「……もしかして私ハブられてる? ムシられてる? 私だけ?」

「いやいやいや! そんなつもりはないって! ぼくも遠藤も、た、タイミングが、きっと。それにほら、泊まったのいつものアニメマラソンだし!」

「……夏休み、誘われるの期待していい?」

「う、うん! もちろん!」


 今日はこれから、遠藤の家で――正確には遠藤の家の庭にある遠藤用の勉強部屋で――小林さんと三人で、期末試験の答え合わせと銘打ったテスト終わりを祝う打ち上げ。

 準備があるとかで、遠藤はさっさといってしまった――

 たぶん、小林さんに見せられないものを隠しているのだろう。

 小林さんと遠藤は、仲が悪いわけではないのだが、優等生同士お互いにライバル意識を持っているっぽくたまに激しく火花を散らすことがあって、そのためか互いに弱みを見せたがらない(弱みが学帽をかぶって歩いているようなぼくとは大違いである)。

 一年生のときもどちらが学級委員長(うちの学校では総務と呼ばれる)になるかでぶつかったし(前期は遠藤に軍配が上がり、後期は小林さん、と、総務と副委員長をふたりで交互にやっていて、二年前期の現在は遠藤が総務――)正直ぼくには学級委員になりたがること自体理解の範囲外なのだが――ああいうのは押し付けられてしかたなくやるもの、というイメージがあるのだが――ぼくがそうだったし――たぶんふたりとも、次期生徒会長の座も狙っているようで、いまからふたりがしのぎを削る二学期が怖い。

 そうか、生徒会長――あの先輩のあとを継ぐことになるのか。


「……そういえば、きみの家にも今年はまだいっていないな」

「今年というか、一回もきたことないでしょ? ぼくも小林さんの家知らないし」

「……知りたい?」

「……え? ええと……うん」

「だったら招待しようかな。せっかくの夏休みだし」

「うん! ありがと! 遠藤もね?」

「えー。遠藤もー。どうしようかなー」


 笑いながら、先を行く小林さん。

 基本隣を歩くのだが、今日は筋肉痛のせいでどうしても遅れがちになり――小林さんもわかっていてゆっくり歩いてくれているのだが、結局、後ろに従うかたちになっていて――まあいつもの立ち位置だが――

 そっと、学生帽の下から小林さんのスカートを、盗み見る。

 ほかの女子のスカートはそれほど気にならなくなったのだが、なにしろ『告白』の張本人、どうしても、小林さんのは見てしまう。

『告白』したあの趣味を、封印したままにしているのか、それとも復活させてしまったのか――

『儀式』前ほどではないのだが、ふと、思い出したように気にかかって。

 いっそ本人に聞いてしまえばいいのだろうが、それがまた恐ろしい事態を引き寄せそうで、やっぱり知らない悪魔より知っている悪魔のほうがまし、という結論になるのが情けない。

 それにしても。


(――女子って、やっぱり男とぜんぜん違うな――)


 自分が小林さんの臀部に気をとられていたことに気づき、恥ずかしくなって視線を上げる。

 前を向き先を歩いている小林さんに気づいた様子はなく、ほっとしたところで、階段に差し掛かった。

 一段降りたところで小林さんが足を止めたため、そのままにぶつかりそうになり、

「目良、階段、気をつけて? 手すり使ったほうがいいんじゃないか?」

「あ。うん。ありがと」

 あわてて足を止め、素直に筋肉痛の手を手すりにやって。

 期せずして、階段を降りる小林さんを背後すぐ近くから見下ろす形になった。

 いつもより近い距離から、ぼくよりも背の高い小林さんを見下ろす状態は新鮮で、視線がさまよい、気がつくと吸いこまれるように白いうなじを見ていて。

 頭から首、背中へのラインがとてもきれいで、――ん? なんだあれ? と思わずのぞきこんだところで――



 小林さんのうなじ――背中近く、襟に隠れて普通だったら見えない場所に。

 小さな、かわいらしい『目』がひとつ。

 ぱちくりと。まばたきし――

 確かめる間もなく。

 小林さんが先に進み、距離が離れて角度が変わり、あっという間に見えなくなって――

 ――いやもちろん、気のせいだ。

 首筋に『目』なんてあるわけがない。

 なにかを見間違えたか――汚れか影か、ほくろでもあったに違いない。

 それが『儀式』の記憶を呼び覚まし、連想し、妄想してしまった、それだけのことで、前回『猫人の儀式』のせいでしばらくの間女子の頭に猫耳を空想してしまった、あれと同じことが起きているだけで、なにしろ一昨日の話だし影響があって当然――そう自分に言い聞かせるが――

 』。

 

、『――


(――小林さんは、。ぼくが、うなじを見ていたことに)


(それだけじゃない、きっと、さっき、ぼくがスカートを見ていたことも――)


 なぜだろう、根拠はないにもかかわらず、確信できる。

 理屈ではなく本能で、確信してしまう。

 

 そこに『目』なんてないのに。

 そんなことありえないのに。見えているはずがないのに。

 まるで後ろに『目』でもあるかのように、小林さんは――

(――――!)



「――?」



 ――振り返り。

 小林さんが、笑った。