「私、世界を救わないといけないから」
「それは……悪いな、時間を取らせて。手短にするから、世界を救う片手間に聞いてくれ」
もちろん罰ゲームに決まっていた。
そうでなければ、将臣はこうしてもはや使われてもいない体育館裏の焼却炉前になんか突っ立ってはいないし、貴重な金曜日の放課後をカラスの不吉な鳴き声と共に過ごしたりはしないし、ただでさえの三白眼を一層不審げに細めては、組んだ腕の上で忙しなく指をバタつかせたりはしないはずである。
あと二週間もすればもう夏休み。高校生が最大限に自由を謳歌する季節なのだ。
だから鬱陶しいくらいの西日だって、昼までには崩れてくる寝ぐせ直しだって、十代の脂ぎった汗をたっぷり吸ってほのかに香ばしいワイシャツの匂いだって、ともすればぼんやりして意識を失いそうなくらい退屈極まりない日常の繰り返しだって、何とか我慢出来るのに。
「ずっとまえからすきでしたおれとつきあってくださいおねがいします」
こんな、一息で吐き出せるクソみたいな茶番は、到底許せそうもなかった。
「──ええ。まあ、いいわよ。そこまで言うなら」
翼をモチーフにした髪留めが横殴りの太陽に閃いて、彼女の同意が現実のものとなる。
まさか、梅雨の降水確率よりも的中濃厚なはずだった敗北が、より災難の純度を増した敗北になってしまうなんて、将臣その人よりもこの茶番を仕組んだ啓示の方が予想だにしなかったはずだ。
──頷くのか、そこで。そこは基本断っとくとこだろ。
将臣の本心なんて誰も慮っちゃくれないのである。内心の感情がめったに表情に出ない自分の『後遺症』を呪うばかり。
「そこまで言うなら、私の──この、風花四天閃序列第三位〝ノーブル・ラーク〟の〝ガーディアン〟になってもらうから。光栄に思ってね?」
「……よ、よろこんで。う、うれしいなあさいこうだなあがーでぃあん」
男将臣、自らの告白をちゃぶ台返しする度胸はなく、時すでに遅し。今更、後には引けないのだった。
その胸元をメスで真一文字に切り開けば、さぞかし頭を抱えた心臓が、やべーよどうしよこれマズイやつだよ、と血の気の引いた顔面真っ青でブルブルドクドクしているのだろう。その青さは血液の流れに乗って、いよいよ本体の顔色に伝染しつつある。
──おかしい。こんなの全然、『普通』じゃない。
罰ゲームに決まっていて、カラスの鳴き声は極めて騒々しくて、三白眼には逸らすような逃げ場所もなくて、暑くて前髪が邪魔で汗が臭い、そんな高校二年の夏。
学年一の奇人・貴家雲雀がゆんゆんした何かを発信し続けていた夏。
楠木将臣に、人生初の彼女が出来たのは、そんな電波的な夏のことだった。
折戸啓示といえば硬派である。
校則違反の茶髪に夏には極めて鬱陶しいロン毛に真っ赤なピアスに蛍光色インナーカラーと、その容姿の何をもって硬派なのかは将臣にもよくわかっていないが、かすかあたりに言わせると、彼女を積極的に欲しがらないとか、購買のパンはいつもフランスパンしか食べないとか、焼きそばはかた焼きそばに限るとか、チョコより煎餅派だとか、最初はともかく、つまり硬いものが好きなだけじゃねえかという下らないオチである。
そんなエセ硬派の啓示が、夏を前にしても意地でも崩さぬ長袖ワイシャツに包まれた長い腕をぬんっ、と振りかざし、ニヤついた笑みで将臣に声を掛けたのは昼休み突入直後のこと。
「将臣、おもしれーことを考えた」
「今忙しいから後にしろよ」
将臣といえば折悪く目に反逆を企てたまつ毛の指名手配に躍起になっていて、涙目を浮かべてはおのれゆるさんと息巻いて、目ヤニばかりの収穫を報告してくる己が指の不甲斐なさを嘆いていたものである。
良くも悪くも見た目で目立つ啓示と、良くも悪くも特徴的な振れ幅のない将臣だが、入学して最初の席位置で隣になり、その後の紆余曲折の果て不思議と意気投合し、それなりにつるむようになった。入学から登校するようになった当初の将臣は割と特殊な状況にあって退屈を飼い慣らしており、啓示も毛色は違えどまた似たような状況だったからだ。
二年になって席は離れてしまったが、こうして何かと絡んできては、雑談などに興じる関係だ。一年の途中のいつの頃からかかすかがくっついて、三人でバカやっていれば、声を大にすることはないまでも退屈なりに学校生活は楽しい、と将臣は思っている。まず普通の男子高校生と言っていい。
「無駄にまつ毛なんか長いからそんな目に遭うんだ。今時はまつ毛も五分刈りくらいにしとけばいいんだよ。まさに視界が開けた感じになんだろ」
「余計ゴミ入るだろバカか──お、逮捕。なんだよコイツこんなに奔放に育って。そりゃ目にも刺さる。死角に生い茂る鼻毛と変わらん風格だ。啓示見ろよコレ」
啓示は硬派なので、すくすく成長したまつ毛などぺしっと無情に払いのけ、
「購買にパンを買いに行ったアホが今からオレとオマエの飯を調達してくるわけだが、どうせフランスパンとプレーンのベーグルしか買ってこねえ。もうすぐ夏休みだってのに、ルーチン過ぎて退屈極まりない」
「ま、アホだからな。日常をわざわざ崩すこともないだろ。というか俺達がそれを指定してるんだから違うの買ってきたらそれはそれで問題なわけだが」
二人が指す『アホ』とは、言うまでもなくかすかのことである。かすかはアホなので、『仲間内で一番背が低いやつは昼休み開始と同時に購買で飯を買ってくる義務がある』という啓示の意味不明なルールを鵜吞みにして、こうして毎日チャイムと同時の購買ダッシュを決め込む。最初は単なる冗談だったのだが、あまりにもいい笑顔で毎日戦利品を見せびらかしてくるのでそのまま放置している。本人が満足なら二人が言うことは何もない。きっと前世は忠犬か何かだったのだろう。
もう数分もすれば尻尾をパタパタと振るかのようにご機嫌なかすかが戻ってくるはずだ。
「だからオレが刺激をやろうと思ってな。退屈しのぎに付き合えよ」
「はあ……ま、どうでもいいけど。で、どうすんの」
これはいつもの適当な思い付きか、と将臣は早々に話を聞くことを諦めた。啓示のこの茶番もまた日常なら、期末試験が終わって夏休みまでの間が微妙に手持無沙汰なのもまた日常。適当に相槌でも打つだけのマシーンと化せば、それで将臣のお勤めご苦労さんというものだ。
心を切り離して、今日はゲーセンでも寄ってから帰るかなー、と、可も不可もなかった自分の試験結果のように平坦な現実を思い浮かべる。見事に薄っぺらくて退屈だと俯瞰しつつ、これでいいのかと自問する。これでいいのだと自答する。いいはずなのだと。
いつもこうだ。将臣はどこか希薄な日常の中にいる。何から何まで噓みたいに曖昧になるときがある。退屈な日常を支える土台が、実はあと一ミリ力を加えるだけでひび割れてしまうかもしれない──何故かそんな焦燥に駆られる、矛盾に満ちた瞬間が。
こんなにも自分は何事もない普通を望んでいるのに、それを壊したいという願望が、ここではない何かに吸い込まれるような衝動が、鎌首をもたげて将臣を手招きするのだ。
啓示の魔手は、そんな上の空の現実の中にするりと滑り込んできた。
「コクれよ」
「はあ……ま、どうでもいいけど、で、どうすんの」