サンバカ!!!

プロローグ チンピラと聖女の旅の始まり ①


 口の中にはてつさびの味。

 ネモがいつものように運べとスポーツバッグを手渡されたのは昨日の深夜のことだった。十分もたないうちに暗い路地裏で目だし帽をかぶった集団に囲まれ、殴られ、バッグをられ、また殴られ、捨てられた。

 そして今、路地裏のゴミ捨て場で目を覚ましたネモの眼前には抜けるような青空が広がっていた。


「はは、真っ青でやんの」


 視界を半分塞ぐ血と、ゴミの隙間から最悪な気持ちで見上げた空は憎たらしいほどに晴れ渡っていて、空の上にいるという神さまにさえこのみじめな姿を馬鹿にされている気がしたネモは無性に腹が立った。が、ネモのような何も持たないチンピラがその怒りで出来る事は何もなかった。そのどうしようもない現実にたまらず漏れたため息が神さまに見下される青空に溶けて消える。

 たまらず空を仰ぐのを止めたネモは、痛む体でなんとかゴミの山を泳ぐと、アスファルトの地面に両足でしっかりと降り立った。


「すいません、そこのチンピラさん。少し話を聞いてもいいですか?」


 その時、ふと背後から声がかかった。とても美しい声だと、ネモは思った。


「なんだよ」


 振り向いた先にいたのはシスター服に身を包んだ一人の女性。

 身長は百七十センチ程度、派手な金色の長いあでやかな髪がシスターベールの下から漏れだし、顔に少しの影を作っている。その影の下からのぞく顔は優しくほほんでいて、神に仕えるその服を着る資格をその表情一つで示していた。

 天使の様な笑みをたたえた高身長美人。ゆったりしたシスター服の上からでもわかる程大きな胸とわずかに見える谷間はともすればわいに見えてしまいそうなものだが、やはりその表情一つで、母性をたたえた聖なるものにしか見えなくなってしまう。


「この街の名前はレイエスというのであっていますか?」

「そうだけど?」


 頭上に浮かぶ青空よりも、よっぽど美しく爽やかなシスターにすっかり毒気を抜かれたネモは気づけば正直に質問に答えていた。


「それでは……ガルニダ・ジェイコフという名前の男に心当たりはあります?」

「ああ、確か市長がそんな名前だった」


 こびりついた血をシャツでぬぐい、煙草たばこに火をけながらネモは応じる。


「ありがとうございます。いやー、困ってまして。やっぱり私の見立て通り。貴方あなた、優しい人ですね」


 くすくすと笑うシスター。楽しそうに笑うその姿があまりに美しいので、ネモはかなう事ならまだ彼女の顔を見て、まだ声を聴いていたい気持ちになった。そう思ってしまう程度にはネモの日常には何もなかった。


「路地裏のゴミ山の血まみれの男のどこに優しい要素があるんだか」


 何とか話がつながる様に言葉を放ってみたネモの精一杯の言葉は、乱暴な言い様に反して少し懇願するような響きが含まれていた。


「そんなにわいいシャツを着てるからですよ」


 返ってきたのは変わらずおかしくてたまらないといった調子で発された言葉。一安心したネモは自分の体に目を落とす。わいくデフォルメされたサメのキャラクターが印刷されたかいきんシャツが目に入った。


「馬鹿にすんなよ、気に入って着てんだから」

「してませんよ。こんなシャツを着ている血まみれのチンピラ青年なんてこの街じゃ出会いがたい、優しい人ですからね」


 にやりといたずらっぽい笑みを浮かべたシスターはそう答える。ネモの脳みそがクラリと揺れた。


「意味がよくわかんねーんだが」

「そうでしょうか? 私は既にこの街で同じ質問を幾度かしましたが、答えてくれる人なんてまずいませんでした。おまけに財布までスられてしまいまして、信じられない悪徳の街です」


 今までの楽し気な態度を急に崩し、街に毒づくシスターの姿にネモは一気に親近感を覚えて苦笑が漏れた。


「ま、お上りさんはカモだわな」

「そんな悪徳の街で流血して捨てられていたという事は敗れたという事です。敗れたという事は戦ったという事です。この街で勝つのは悪徳です。という事は負けた貴方あなたは正義の人間です」


 不思議な言葉だった。全く正しくない推量が根拠とは到底言えないゆるゆるの地盤の上に構築されている。にもかかわらずネモは、このシスターのたわごとが一切合切正しいような気がして、このまま身を任せてしまえればどんなにいいかと一瞬思ってしまった。そう思わせる力強さと優しさと包容力がシスターのピアノの鍵盤をたたくような軽快な声色にはあった。


「長々とあてずっぽうにもならない妄想をご苦労様だシスターさんよ。結果は大外れ。俺はネモ。ただの街のチンピラだ」


 それでもネモはそんな気持ちを胸に押し込んであいそうな言葉を投げた。


「昨日、ヤクの配送中に拉致られて朝までボコられて捨てられただけだよ。アンタの言う所の悪徳側の人間さ」


 吸い終えた煙草たばこをぐしゃりと足で踏み潰しながらこれでいい、とネモは思った。いくらシスターの推論が心地よくとも、それに溺れて現実の自分を偽るのはなんだかこのシスターへのひどい裏切りに感じて、そんなことをするくらいなら、真実を伝えて逃げ出される方がずっとマシだと思えた。


「ふふふん、ネモさん。私の質問に答えてくれた上に、自己紹介までしてくれる。それほど優しい悪徳というのはなかなかがたい個性とは思いませんか?」


 しかし返ってきたのはネモのそんな心情すら見透かしたように笑うシスターの言葉。


「アンタも負けないね」

「それが女一人、こんな世の中で生きていくコツですから!」


 止めの一撃、ふんすと胸をはってはじけるような笑顔。出会ってからわずか数分だが、ネモはもう完璧にこの謎のシスターが好きになってしまっていた。


「分かった分かった。俺の負けでいい。俺は優しくて正義の善人だ。しかしそんな俺が名前と仕事までしやべったんだ。自分だけ謎のシスターでいるってのはちょいとバランスが取れてないんじゃないか?」

「うーむ、これは一本取られましたね。正義のネモさんにそこまで言わせてしまっては私も名乗らざるを得ないでしょう。私の名前はイグニス・ファルフレーン」


 そして相変わらずの楽しくてたまらないといった笑顔と、人を惑わす声音でこう告げた。


「神話の時代より幾千年を生き、かつて世界を治めていた聖女ですよ」

「聖女、ねぇ……」


 ネモは得意満面で胸を張り名乗りを上げたイグニスとは対照的に渋い顔で顎をでた。


「はい。何を隠そう私こそ古の昔、豊かで平和な世界を作り、治めていた聖女なのです」

「初耳だよ。そもそも世界を誰かが治めていたことすら初耳だ」

「おや、今は誰も治めてはいないと?」

「そうさ。街やら国やら、トップはいれど、キングはいない。今はそんな世界だよ聖女様」

「あちゃーです。あちゃー。そりゃそんな世界じゃネモさんのような善人がゴミ捨て場に捨てられるのも納得という話ですよ」

うれしい事言ってくれるじゃねーか。それじゃアンタの治めてた世界じゃ、俺みたいなのは救われてたって訳だ」

「それはもちろん。ネモさんのような善人が報われる素晴らしい世界にするだけの力が私にはありましたから。それはもう強力で、不可思議で、残忍で、美しい力の数々が私の体には宿っていたのですよ」

「よっしゃ病院行こう。いい医者を知ってんだ。大丈夫、錠剤数種類と入院三ヶ月でぶっ飛んでるおつむのアンタもいつの間にか真人間だ」

「むぅ、信じてないですね」

「当たり前だろが。アンタが美人じゃなけりゃとっくに尻尾巻いて逃げ出してる程度には荒唐無稽な話だよ」

「あら、うれしい事言ってくれるじゃないですか。実は私の体に宿る不思議な力というのは私を面白く思わない九十九人の人間に無理矢理分割され、契約書を交わされて、体の所有権とともに奪われてしまいましてね」

「美人を差し引いても逃げ出したくなってきたな」

「私を失った世界は荒れに荒れ、今の形になりました。そして私は不死となり、今こうして貴方あなたの前に立っているという訳なのです」

「ほんとにアンタ負けない女だね」


 ネモは苦笑して新しく取り出した煙草たばこくわえ、火をけた。


「それで? 聖女サマはどうしてこの街に? まさか草の根活動でこの悪徳の街を浄化しようとでも?」

「それこそまさかですよ。私、今の世界を結構気に入っています。欲望に忠実な人間、正義に殉じる人間、そのどちらにもなれず日和見主義が板についた人間。これこそが人の営み! 人は清廉潔白に生きてこそ輝くなんて私の治世観の幼稚さをちょうどここ数千年、思い知らされていた所です」

「なぁ、病院に行かなくても俺ので薬なら何とか手に入れるからそれを飲もうぜ。明らかに症状が出てる。大丈夫良くなるって」

「むきー! なんでわかってくれないんですか!」


 イグニスは思いっきりネモの頭を殴りつけた。グーで。


「痛っ! 殴った!? 聖女様が殴った!?」

「おや、普通の聖女は殴らないのですか?」

「殴らねぇよ! いいか? 仮にも聖女を名乗るなら非暴力主義で禁欲的に暮らす、博愛の精神と慈愛にあふれたせいな女性であれ! これは絶対だ! 男の夢なの! 聖女は!」


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