義妹5人いる

第1話 一戸建ての侵略者 ③

 子どもだけが残された空間で、俺はごくりと唾の塊をむ。

 中心になって会話を回していた大人たちが姿を消したせいだろう。リビングにはシン、と冷たい沈黙が満ちていた。

 どうしたものかと思っていると、左隣に座るなつが腕組みをして言い放つ。


「まず、気になると思うから伝えておく。お母さんは二階のかいさんと同室、私たちは三階を使わせてもらうことになったから」


 テーブルの表面に目を落としているので最初は分からなかったが、どうやら俺に向けて言っているらしい。

 それにしても、数分前と雰囲気が違う。表情の変化に乏しいのは変わらないが、有無を言わさぬ冷徹な口調には迫力があった。


「あ、そう……ですか」


 同学年だというのに、畏縮した俺はつい敬語になってしまう。

 二階と三階には三つずつ個室があり、俺は二階の一室を使っている。同階の他の部屋は父さんの書斎と寝室なので、後者を夫婦の寝室にするということだろう。部屋が足りないから五姉妹は相部屋なのだろうが、部屋割りについては俺が知るはずもないし、たずねる勇気もない。

 そこでようやく、なつの目が俺を見る。


「それで、同じ家で生活するに当たっていくつかルールを決めておきたいの」

「ルール、ですか」

「ええ。当然でしょ? お互い連れ子ってこともあるけど、性別も違うんだから」


 髪をげながら、なつが冷たく言う。彼女の言うことはもつともだ。年頃の男女が円滑に共同生活を送るには、明確なルールが必要である。お互いの平和と安寧のためにも。


「というか、なぜ敬語? あなたのほうが一か月年上なのよね?」

「それは、まぁ……そう、だな」


 俺は意識して肩の力を抜く。実際は緊張が高まるばかりだったが、それでは遅々として話が進まないのは明らかだ。なんせこの場に、俺のサポートをしてくれる人は誰もいないのだから。


「まず、三階は男子禁制にさせてほしい」


 それは予想通りの言葉だった。女だけの姉妹なのだから、男子を警戒するのは当然だ。


「一階と三階にそれぞれお手洗いと洗面台があったから、無茶な要求ではないと思うんだけど」

「……そうだな。俺はいつも一階を使ってるから大丈夫だ。そもそも、普段は掃除くらいでしか三階には上がらない」


 物わかり良く応じると、オーケー、というようになつが顎を引く。

 そこからは各項目──主に家事についてのすり合わせの時間となった。


「洗濯については、俺はのあとに回すことが多いかな。乾燥機能もついてるやつだから」

「それなら、こっちは今まで通り深夜に回す。乾燥フィルターのほこりりとかは交互にやればいい?」

「ああ。消耗品の補充とかは、しばらく俺に任せてくれて構わない」

「メーカー名だけ教えてもらえればじゅうぶんよ。ゴミカレンダーも見たんだけど……」


 こんな感じで、滞りなく話は進んでいく。俺のやり方や都合を優先しつつ、都度意見を言ってもらえるのはありがたかった。

 そしてこれらの会話から分かるのは、なつが俺同様に家事を日常的にこなしているということだ。大抵の高校生なら家事は親に任せきりで、洗濯機のフィルター掃除まで気が回らない。つきさんは弁護士だと言っていたから、きっと父さんと同じように家を留守にすることが多いのだろう。

 しかもなつの場合は妹が四人。長女としての苦労は、弟妹のいない俺には計り知れるものではない。おそらくはなつも俺との会話から似たような感想を抱いたはずだが、彼女が俺への共感を表情や声色ににじませることはなかった。


「夕食は何時頃? あなたの邪魔にならないように、時間をずらすから」

「作り始めるのは、平日は夕方五時半くらい……かな。だいたいだけど、七時くらいからって感じで」

「それなら、私たちは七時以降に食べ始めることにする」


 メモを取りながらなつがきっぱりと言うのを聞き、そっか、とぼんやり思う。そりゃあ、一緒に食べるなんて発想はないよな。

 ちょっと勘違いしそうになったが、この話し合いは家事を分担して協力するためのものじゃない。なつは言外に──「お互いに関わらないでいましょう」とほのめかしているのだ。


「っ……」


 そのとき、が何か言いたげに顔を上げたが、もごもごと口の中で言うだけで、何も言葉にはならなかった。りんだるげにスマホを眺め、ふうはにこにことほほむだけで、なつ以外の姉妹はまったく口を挟んでこない。


「くぅ……くぅ……」


 最年少のそらはといえば、こくりこくりと上半身を揺らしていた。もう飽きて寝ている。さすが小学生。

 話し合いにぴりりとした緊張が走ったのは、夕食からの話題に移ったときだった。


「おは日によるだろうし、入りたい順でいいか。お掃除は、最初に入浴する人が担当するってことで」

「……それ、アタシが入浴したあとに、この人が湯船にかるかもってコト?」


 なつの発言に口を差し挟んだのは、りんである。

 その言い様に、俺の口の端が引きつった。こちとら、女子高生の入った残り湯をどうこうする、などという高尚な趣味は持ち合わせていないのだが。


「俺、を飲むこともほとんどないけど」


 軽口をたたくと、りんにぎろりとにらまれる。


「……どういう意味よ?」


 ボールペンを動かすのをやめて、首をかしげたのはなつだった。やり取りの意味がよく分からなかったらしい。俺とりんを交互に見ているが、細かく説明するのも気が引ける。


「えーっと、毎日お湯を張り直すのは現実的じゃないよな、って話」


 りんはお望みかもしれないが、どれだけ水道代とガス代がかかるか、と貧乏性の俺はまず考えてしまう。自分で稼いでいるわけでもないのに無駄な出費は避けたいところだ。

 ……そもそもひとり暮らしのようなものなので毎日シャワーで済ませているのだが、こうなっては言わぬが花というやつだろう。

 なつは小さく息を吐くと、りんを見つめて諭すような声色で言う。


「それは私も同意見。りんは、シャワーを浴びるだけにする?」

「……分かったってば」


 形勢不利と見たのか、渋々ながらりんが折れる。テーブルにほおづえをつく姿は、ねた子どもそのものだ。

 一連のやり取りからしても、なつは四人の妹たちの母親のような立ち位置にあるようだ。彼女の発言は女子高生というより、子を持つ主婦のそれに近い。


「あとは問題や課題が見え次第、おいおい決めていく……ってことでいい?」

「まぁ、うん」

「それにしても、あなたたちってもともと三世帯で住んでたの?」


 ボールペンをテーブルに置いたなつが、俺をじっと見つめる。その疑問は当然のものだったが、俺は緩く首を横に振った。


「いや。俺と父さん、それに死んだ母さんの三人だったよ」

「ふぅん……」


 なつは不思議そうにしていたが、俺はそれ以上説明する気にはなれなかった。

 掃除が大変なだだっ広い家だが、大所帯で生活するならそれもプラスに働く。今までのようにとは行かないかもしれないが、なつたちもプライベートが保たれて、それなりに暮らしやすいはずだ。

 話し合いが円滑に終わると、それまで黙っていたりんが言う。


「ねぇ、喉渇いちゃったんだけど」


 あっ、と俺は今さらになって気づいた。

 ──そういえば、テーブルに何も出していない!

 他にも誰かしら気づいていたのかもしれないが、この家に来たばかりの面々には言いだしにくかったのだろう。つくづく俺は気がかない。


、用意してよ」


 姉を容赦なくパシるりん。ふつう逆ではないかと思うが、「う、うん」と気弱そうなは逆らわずに立ち上がっている。


「ごめん。俺がやるよ。緑茶でいいか?」


 日本一の茶所と称されるだけあり、緑茶は常に切らさないのが静岡県民だ。かく言う俺も緑茶だけはいつでも常備してある。来週あたりからはお楽しみ、川根茶の新茶シーズン到来だ。

 茶菓子の類いは……用意がないな。うん、自分からは触れないでおこう。

 夢の世界から戻ってきたそらが、片目をこすりながら挙手をする。


そら、オレンジジュースがいい」

「わ、悪い。ジュースはないんだ。牛乳ならあるけど」

「牛乳も好き!」

「そうか、良かった。じゃあちょっと待ってて」


 おろおろしている俺を見かねてかなつが立ち上がろうとしていたが、それより先にが提案してくる。


「あの、て、手伝います」


 やっぱりいい子だ、この子……。


「ありがとう、助かる」


 俺はうなずいてみせて、二人ですぐそばのキッチンへと移動する。


「そこの棚から、人数分のグラスを出してもらってもいい?」

「は、はい」


 俺は冷蔵庫から茶こし付きのポットを出す。今日は冷たい緑茶がおいしかろう。

 がグラスを軽く洗ってくれたので、そこに透明感のあるお茶を注いでいく。彼女がお盆に載せた緑茶を運ぶ間に、そらの分の牛乳を用意しておいた。


「ほい、お待たせ……」


 そして牛乳を片手に持つ俺が、空のお盆を持ったとすれ違おうとした瞬間である。

 足裏が、を踏む。

 いでっ、と俺は間の抜けた悲鳴を上げながらバランスを崩す。ヤバいと思うが踏みとどまれない。前のめりに倒れていく俺の目には、世界がスローモーションに見えていて──。


「きゃっ!?」


 かわいらしい悲鳴。それと、誰かがの名前を呼ぶ声。

 どしん! と大きな音を立てて、俺は思いっきり転んでいた。


「い、てて……」


 強い衝撃に顔をしかめながら、閉じていたぶたを開ける。そのまま、息が止まった。

 俺の両腕の間に、身体からだがあったからだ。


「……えっ……」


 至近距離で、目が合う。

 自分の身に何が起こっているのか、いまだ理解できていないのだろう。目を見開いて硬直しているの顔や服には、盛大に白い液体がぶちまけられている。

 言うまでもなく、転んだ俺がぶっかけてしまった牛乳だ。それが彼女の美しい顎のラインを伝っていき、胸元へとこぼれた。

 ……すうーっ、と音を立てて、俺の顔から血の気が引いていく。

 そんな俺の脳裏を、走馬灯のように父さんの笑顔がよぎった。

 ──『オレがいないからって、なつちゃんたちを押し倒さないようにな』


 父さんだって夢にも思わなかっただろう。まさかそんな冗談が、現実のものになってしまうなんて。

 沈黙しているの白い肌が、朱を注がれたように色づいていく。

 いい匂い、からすっかり牛乳の独特の香りに包まれてしまった彼女は、それでもやっぱりれんで、いたいけで、ひどい罪悪感にさいなまれた俺は汗腺という汗腺から汗を噴きだしながら、「あ、あ、あの」とえつのようなものを漏らす。

 ダメだ。頭もれつも回っていない。まずは謝らなければいけないのに。それで話を聞いてもらえるようだったら、これは事故なのだと釈明して……。


「……私、思うのよね」


 空転する思考をぶった切ったのは、なつの声だった。

 感情の一切が読めないのに、ぞっと鳥肌が立つほどに冷え冷えとした声が、顔を上げられない俺の頭上へと降りかかる。


「足腰が丈夫な十代の若者が、女の子とすれ違うときに都合良く転ぶ、なんてことがあるのか。その拍子に、牛乳をぶっかけてしまう……なんてことが、現実にあるのかって」


 少なくとも今までの人生では一度もないですと思ったが、口には出せなかった。この場での失言は致命傷だ。もちろん、俺にとって。


「悪いけど、言い訳は聞かない。聞くつもりもない」


 ぴりり、と引きつるような緊張がうなじに走る。


「──!?」


 退くようにから離れた瞬間、視界の左隅をせんこうが横切った。

 驚いて顔を向けると、無表情のなつがそこに立っていた。ばばば、ばちばちばちっ。彼女の手元で、小さな雷が落ちたような音が連続して響き、青白いスパークが散る。

 この十七年間、平和に生きてきた俺は実物を目にする機会がなかったが、それは身をまもるための防犯グッズ──スタンガンだった。


「うっ」


 それを手にするなつが一気に距離を詰めてきたかと思えば、俺の頭はキッチンの正面にたたきつけられる。ふうか誰かが小さな悲鳴を上げるが、そちらに構う余裕はなかった。

 ──壁ドン。

 そんな生易しい言葉では形容できないほどの衝撃に、息が詰まる。

 ひたと腹部に当てられるのは、硬いスタンガンの感触だ。側面部にあるスイッチに指を当てているが、押してはいない。だが、俺が何かひとつでも間違えれば、なつの細い指は躊躇ためらわずにスイッチを押すことだろう。

 頭と背中をキッチンに張りつけたまま、俺の心臓はうるさいほどに拍動していた。

 頰を一筋の汗が流れていく。格闘技でもやっているのか、なつの身のこなしには一切の隙がなく、逃げられる気はしなかった。

 俺の身体からだに密着したまま、片膝を立ててしゃがみ込んだなつが淡々とささやく。


「ふぅん。この状態で震えずにいられるなんて、大したものね」


 ……ごくり、と俺は唾をむ。彼女が放つ、ひりつくような殺意に当てられて、言葉が喉から出なかったのだ。



 その間にりんそらに助け起こされ、ふうからタオルを渡されている。だが俺はそちらに目を向けることもできなかった。心底、なつという人間に圧倒されていたからだ。

 親の前だからと、取り繕った外面ではない。数分前までの冷静な無表情でもない。本来、女子高生が身にまとうようなものではない異様で圧倒的な気迫──手負いの獣のような殺意こそが、彼女の本性なのだと知る。

 それなのに、あり得ないくらい甘い香りが俺のこうをくすぐる。柔らかな髪の毛が頰に当たる。そのギャップに、脳が焼かれそうになる。

 誰もじろぎひとつしない、凍りついた空気の中。


「──ひとつ、忠告する」


 暗い目でスタンガンを構えたなつは、骨の髄まで凍りつくような低い声音で続けた。


「私の妹たちに近づくな。さもなくば、お前の命はない」


 ……脅しではない、と俺は確信する。

 この女は、やる。やると言ったら、絶対にやる。スタンガンどころか、刃物でもなんでも取りだして、俺の命を容赦なく刈り取る。

 それはすべて、そう、最愛の妹たちのために。


「親同士が結婚しても、私たちは赤の他人よ。会話も干渉もいらない。家でも、学校でも、私たちが必要以上にあなたと関わることはない」


 色づいた唇からつむがれるのは、怒気をはらんだ宣告だった。妹をはずかしめた俺への怒り、だけではないだろう。もっと大きな何かになつは憤り、あらがっている。そんな気がした。


「ね、分かった? 分かったなら、何も言わずにうなずいて」


 どうやらなつは、せっかちな性分でもあるらしい。ぐい、ぐいぐいぐい、とスタンガンの先端が強く腹に押しつけられてきた。

 俺はたまらず全身に脂汗をかきながら、こくこくと首を縦に動かしてみせる。

 その反応を確かめると、なつがようやく手を離した。素早く立ち上がって、心配そうにに駆け寄る。


、大丈夫? とりあえずお入っちゃいましょう」


 妹の背にそっと手を当てながら、他の姉妹に明るい声音で呼びかける。


「他のみんなは、そろそろほどきをしましょうか!」


 怒気も殺意も、その残り香さえもじんも感じさせない。姉という題の肖像画のように頼りがいのある横顔が、俺の視界から消えていく。

 誰もいなくなり、静寂に包まれたリビングで、俺は力なくキッチンへと寄り掛かったまま天井を見上げる。


 それが、なつ──恐怖のスタンガン女ことみやながなつと、俺の出会いだった。




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義妹5人いる(2)の書影
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