扉の外

第1章 ①

「心配することはありません。私が助言することはひとつだけです。あなた方は、私に従えばいいのです。今までと同じように指示を待つだけでよいのです」


 その声はおだやかだった。金属をこすり合わせたかのようなみみざわりなノイズが混じっていたが、あんかんを得ることができた。

 正面の大きな液晶画面に、アニメ調にデザインされた二つの目と唇が大きく表示されている。目は時折まばたきをし、唇は言葉に合わせて動いていた。

 のりゆきは、薄暗い室内で画面をじっと見つめていた。壁に寄りかかり、かたひざを立てた状態でぼやける思考状態を回復させようとしていた。半そでのワイシャツからは、むわっと汗のにおいがたちのぼっている。


「私はソフィアです。あなた方を守るための存在です」


 画面の唇が動く。先ほどからずっと同じようなことをしやべっているのだ。

 紀之は室内に目をやった。目覚めた時は、いつもの高校の教室かとさつかくしたが確実に違った。三十人の生徒が授業をするにしてはゆったりとゆうがある。

 室内には机の代わりに椅子があった。ソファーのようなリクライニングシート。それが三十個ほど並んでいる。

 クラスメイトの姿も見える。紀之の向かいの壁際に数人、画面の逆サイドの壁のりようすみに固まるように十数人ずつ。夏服の学生服を着た男女。あれらは確かに紀之のクラスメイトだ。おびえたウズラのように部屋の隅に集合している。

 クラスメイトはただうように固まり、ソフィアと名乗った画面のキャラクターに視線を送っている。

 室内の高めの天井には、茶色いスポットが点灯している。微妙な暗さは、現実感がなく夢の続きを見ているかのように錯覚させる。


「心配はいりません」


 ソフィアはまたも同じようなことを言った。紀之が目覚めた一時間前から、ずっとこの繰り返しだった。この状況で心配にならない人間はいるまい。目が覚めたらここにいた。そんな特異な状況だった。

 何が起こっているのか、ここはどこなのか。

 紀之は視線をさ迷わせながら考え続けていた。そんな思考を感づいたかのように、画面のソフィアは表示された両目をゆっくりと瞬いた。


「ここは宇宙船の中です。あなたたちは、宇宙空間にいるのです。地球は核戦争が始まってしまったのです。でも、心配はいりませんよ」


 ソフィアはそう言った。ノイズを垂れ流しながら、さらりと現実をも流した。ここは宇宙船の中であると。

 室内からは、疑問の声がき起こった。弱々しい悲鳴のようだった。ただ声が出ただけだ。何か薬でも飲まされているのかもしれない。体が思うように動かないのだ。それが、この密室でのパニックを防いでいるのかもしれないが。

 画面のソフィアは両目をまばたき続ける。


「そろそろ皆さん目覚めましたか。心配はいりませんよ。この宇宙船はノアのはこぶねなのです。優良な遺伝子を運ぶ箱舟です。箱舟はこうはいした地球を捨て、旅をしている最中なのです。あなた方は選ばれた優良な遺伝子というわけです。おめでとうございます」


 安っぽいファンファーレが響き、画面に花火のアニメ画像が表示される。

 そんな映像を見て、のりゆき何故なぜか笑ってしまった。


「ねえ、本当かな」


 紀之の横から声が発せられた。隣に座っていたセーラー服姿の女子はおおだった。ボーイッシュなシルエットが亜美だったことに、紀之は今気づいた。


「はあ?」


 紀之はあくびをするように返事をした。まだ頭のもやが晴れていない。


「だから、宇宙船とか宇宙とかさ」

「おめでとうって言ってるから、そうなんじゃないのか」


 亜美は紀之の適当な返事に、気分を害した様子もなくうなずいた。


「さて、まずは私の紹介からいたします。私はソフィア。あなた方の言葉で表現するなら人工知能です。私はあなた方のガイド役としていつしよに荒廃した地球から脱出したのです」


 ソフィアは右目を閉じてウインクをする。

 そんなソフィアの話を、生徒たちは私語もせずに聞いていた。ただ指示を待っている、そんな生徒の姿。私たちは管理される側なのです。指示を待っています。紀之は鼻で笑った。


「あなた方の存在した地球では戦争がエスカレートし、人類の滅亡の危機にひんしてしまいました。そこで、人間という遺伝子をつなぐために、あなた方がこうして、ノアの箱舟というべき宇宙船で脱出することになったのです」


 ソフィアは一方的に説明を垂れ流し続けている。

 ここで画面は目と口が消え、爆発する地球のアニメーションが表示された。炎に包まれる地球からはロケットが。ロケットは宇宙空間に飛び出ると加速し、背景の星がびゅんびゅん流れていく。そして、不意にロケットの前に緑色の星が出現した。


「目指すはらくえんです。地球のような争いもないエデンのその。あなた方は待っていればいいのです。楽園にはすぐに到達いたします。また、それまでの間快適な生活を送るためのシステムも存在いたします」


 画面に再び目と口が表示された。


「心配はいりませんよ。食料はなくなることはありません。娯楽だって存在します。あなた方は、受験に苦しむこともなく、排気ガスを吸ってぜんそくになる危険もないこの場所で過ごせばいいのです。こう考えてください。この場所はひとつの安全な国であると」


 室内は静まり返っている。せきばらいひとつ聞こえない。ソフィアの言葉のしんを測りかねているのだ。この特異な状況はなんであるか。本当に宇宙船なのか、でなければどこなのか。何のためにこの場所にいるのか。

 室内にはゆったりとした椅子が並んでいるにもかかわらず、皆ゆかに座っている。自分たちが座るための椅子なのか、指示がでるまで座るのをためらっているのか、だれもくつろいではいなかった。


「ただし、この場所をひとつの国だと例えるなら、今までの社会と同様に基本的なルールも存在します。ただし心配はしないでください、私に従っていれば生命の保証はされ、ここで暮らすことができるのです」


 のりゆきは違和感を覚えた。ソフィアと生徒。両者の関係の違和感。ソフィアの口調はていねいなものの、こちらに命令をしている。そもそも、話を信じるのなら、人間である生徒のほうが立場は上位であるはずだ。

 そう考えつつも、紀之は立ちあがりもせずに画面を見つめた。他の生徒も皆座っている。この状況で目立った行動は取りたくなかった。皆も同じことを考え、ソフィアの言葉を聞いているに違いない。


「ルールは特別なものではありません。今まで生活を送ってきた中で学んだルールどおりです。まずこの世界では暴力は禁止です。行き過ぎた行為を発見した場合ペナルティーがあります。この世界に暴力は必要ありません」


 紀之は室内を見渡した。どこかに銃でもセットされているというのだろうか。


「次に、あなた方にも仕事をしていただきます。その仕事とは、ここにいることです。ここにいる限り、この世界での存在価値を満たしていることになります。この部屋から外に出ることは自由です。しかし、いったん外に出たら、戻ってこられる保証はありません」


 この部屋の外。外には何があるのか。もやもやとした不安と好奇心が紀之の頭に浮かび上がった。


「この二つさえ受け入れれば、あなた方がこの国からついほうされることはありません。この世界も皆平等ですよ」


 紀之は最後の言葉に引っかかった。この世界も皆平等。この世界もと言った。では、果たして地球の世界は平等だったと言えるだろうか。富を独占する国もあれば、に苦しむ国もある。富める国でさえ、ひんの差は激しい。支配される者と支配する者。得る者と奪われる者。あの世界は平等だっただろうか?