孤高の電波美少女と恋で繋がったらギガ重い 完結記念SS
糖度3000倍の催眠術
将臣が雲雀の部屋に来ることも珍しくなくなったわけだが、毎度毎度、雲雀の匂いが充満する絶対聖域に足を踏み入れる度、まるで甘いお菓子の家に迷い込むような感覚に襲われる。
いい加減慣れないものかと我ながら呆れるわけだが、だって彼女の部屋だし、二人っきりだし、こんなの慣れるわけないだろとも思う。今も部屋の主である雲雀がベッドに腰掛けて優雅に本を読んでいるのだが、ちらちらとタイツに包まれた脚を横目で盗み見て必死に心を落ち着かせ――られるわけもなく、
「……ん?」
ふと、将臣は雲雀が読んでいる本のタイトルに気が付いた。何やらキナ臭いフォントで『今日からあなたも催眠術師! 禁断の心理テクニックゥ!』とある。『ゥ』がいかにも胡散臭い。
「雲雀、それはなんだ? お手製の魔導書とかじゃないよな」
あなた私を何だと思っているの、とジト目で睨まれる。睨まれたくて言ったも同然である。
「奏にもらったのよ。『これで将臣先輩を意のままに出来ますよ』ですって」
「……個人的には、魔導書と大差ない展開だと思うワケだが」
「奏に伝えておくわね。あなた魔法使いの才能があるわ、って」
心底呆れたという口調だが、その浮つく声には溢れる好奇心が存分に滲んでいる。どうやら
「……将臣くん。ちょっと、試してみてもいいかしら?」
ほらきた。
ぱたんと本を閉じ、雲雀がベッドから身を乗り出してきた。瞳の中のワクワクが、獲物を見つけた猛禽のようにギラリと光る。
「いいぜ。美人催眠術師のお手並み拝見といこう」
将臣がわざとおどけて言うと、雲雀はこほんと一つ咳払いをして、真剣な面持ちで将臣の正面に座った。雲雀がその気になれば、催眠術などという回りくどい手段を使わずとも、将臣など容易く意のままに出来るだろうが、こういうのは雰囲気が大事である。
「いい? 私の目だけを見ていなさい。あなたはだんだん眠くなる……」
ゆっくりとした、どこかぎこちない口調で、雲雀が呪文を唱え始める。テレビで見たことのあるような、振り子代わりに彼女の白く細い指が目の前で左右に揺れていた。
――やっぱりきれいだな、雲雀の目。あとめっちゃ真剣で可愛い。口がとんがってる。
「……どうして笑うの。私は大真面目よ」
「ああ、悪い。続けてくれ」
マガオミの真顔仮面が剥がれ落ちていたとは何たる失態。
今度こそ心を無にして、雲雀の瞳だけを見つめる。鏡のように煌めく漆黒。そこに映る自分の顔は、今度こそ平坦で面白みのない真顔――を精一杯取り繕っている。
「私の声だけを聴いて。あなたは――私のことが好きで好きで、仕方がなくなる……」
被験者将臣は語る。この催眠術師、ガチである。
真剣八割照れ二割の声音で紡がれる言葉が、将臣の脳を甘々に締め付ける。本当に催眠術かどうかは割とどうでもいい。もっと耳元で聴きたいその呪文、唱えよ、A・S・M・R――
雲雀ボイスに浸っていると、しばらくして雲雀がおずおずと口を開いた。
「どう、かしら? 何かこう、胸が熱くなったり、私に抱きつきたくなったりは……しない?」
期待と不安が半々に混じったように、こちらを窺っている。その上目遣いの表情だけで、将臣の胸はとっくに熱くなっていたが、それを顔に出すほど真顔歴は短くない。
「うーん、残念ながら、かかってないみたいだな」
将臣がしれっと答えると、雲雀はあからさまにがっかりしたように肩を落とした。
「やっぱりこういうのを鵜呑みにしては駄目ね」
「ちなみにどういう催眠なんだ?」
「……彼氏がもっと自分を好きになってくれる催眠術」
不満げに唇を尖らせる雲雀に、将臣はたまらなくなって、その肩をそっと引き寄せた。
「当たり前だろ。そんな催眠術、俺にかかるわけがない」
「……どうしてそんなに自信たっぷりなの? 私、こういうの下手なのかしら」
「自信っていうかさ」
将臣は、驚いて目を見開く雲雀の耳元に、そっと唇を寄せる。
『だってもうとっくに、俺は君のことが好きで好きで、仕方ないんだから』
雲雀の白い頬が染まったかと思うと、みるみるうちに瞳がとろりと粘性を帯びていく。我ながらちょっと心配になるくらいの効き目だった。唱えよ、A・S・M・R――
「催眠術ってのはこうやってかけるんだ。術者が照れたらダメなんだぞ」
「……ずるいわ、将臣くんは。いつも真顔だから、そういうことを言えるのよ」
「事実だからな」
雲雀は、ぷいっと拗ねたように顔をそむけた。もちろん将臣が照れていないと思ったら大間違いだが、しばらくバレることはなさそうである。
肩を寄せてお互いの熱を交換したまま、しばらく、甘い沈黙が部屋を支配する。
やがて、正気に戻った雲雀が何かを思いついたように口を開く。
「ねえ将臣くん。もう一度私に催眠術をかけてみて」
「身構えたら効果ないやつなんじゃないか、こういうのって」
「ううん。多分大丈夫。ばっちりだと思うわ。呪文はこう」
不思議そうな顔をする将臣を、今度は雲雀が真っ直ぐに見つめ返す。そして、自分がされたのと同じように、将臣の耳元に唇を寄せて、ゆっくりとした声で囁いた。
「『私が――将臣くんにキスしたくてたまらなくなる』」



