ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説
Color 2 幻影の銀色 -phantom silver- ④
この疑問がある。それがずっと気になっていた。飴屋はうなずいて、
「キャビネッセンス。私はそれをそう名付けて、呼んでいる──人の生命に価値があるとして、それに匹敵するものは何か、その存在を人間自身はどれほど意識しているのか、その辺りに、私の興味がある」
飴屋はずっと同じ表情で、優しげで柔らかな眼差しなのだが──あまりに変わらないので、どこか人形のようにも見えてくる。
「あなたは──」
と柚純が呼びかけようとした、そのときだった。彼女の携帯端末が着信を告げた。見ると、古嶋俊輝からの連絡だった。雨宮美津子との話が終わったので、柚純を呼び出したのだろう。
「えと──」
と顔を上げると、そこにはもう、誰もいなかった。
がらんと広い、共用自習室のフロアがただ広がっていて、何の気配も残っていなかった。ただ、紙に包まれた
「…………」
柚純は少し茫然としていたが、すぐに気を取り直して、携帯端末の通話に出た。
「話は終わった?」
開口一番にそう言うと、古嶋は悪びれもせず、
〝安心してくれ。審査は続行だ。まだまだ君にはチャンスがあるよ〟
と言ってきた。胸の奥から湧き上がるムカムカした気持ちを押し殺しながら、柚純は、
「あんたの出世のためにも、よね」
そう言うと、古嶋の笑い声が聞こえてきて、
〝わかってるじゃないか──お互いに頑張ろう〟
と
(まあ、こいつには飴屋のことは教えない方がいいよな──)
と決心していた。
*
霧間凪は、末真和子が無事に帰宅するまで、陰からずっと見守っていた。彼女を追跡していた連中の正体は摑めなかったが、おそらく例の〝プルハ・メルハ〟
(末真は〝お守り〟を確認してしまっている……何らかの干渉がされることは避けられないだろう)
凪は、末真宅の周辺も慎重に探り、何者も潜んでいないことも確認する。そして……違和感を覚えた。
(あの、街をふらふらしている連中もそうだが……今回の相手は、どうにも隙が多いような感触があるな……)
うかつな手掛かりを残しすぎるし、逃げ出した奴らの中には凪が顔を確認して、既に身元が割れている者も数名いる。その全員が、問題の予備校に在籍していて、
(おそらく、あそこに〝元凶〟の〝真犯人〟がいるんだろうが……あれだけの人数を支配下に置いている割には、統制が今ひとつ取り切れていないというか……色々とツメが甘い)
だが、そのユルさこそが恐ろしい、と凪は思っている。ずさんな計画は、取り返しがつかなくなるとすぐに暴走し、とんでもない凶行につながってしまうことが多い。敵の愚かさとは
(誰が犯人であろうが……そいつは今、タカをくくっている。自らの才覚に自惚れて、足下から崩れ落ちることを予期できていない……これは、こっちも慎重にやらざるを得ないだろう)
凪は末真和子がいるであろう方角に視線を向けながら、深い息を吐いた。
すると、それまで何の気配もなかった背後から、
「もしかすると、末真さんを
と声が掛けられた。いきなりの声だったのに、凪はそれに驚いた様子もなく、ゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、奇妙な人影だった。
黒帽子を
「ブギーポップ……どういうつもりだ」
凪の方はシンプルな怒りを込めて、黒帽子を睨みつけている。
「ぼくに〝つもり〟なんてないよ。ぼくはなにしろ自動的だからね。意図も策略も何もないのさ」
とぼけたように言う黒帽子に、凪は、
「末真和子に近づいて、何をするつもりだ? おまえの方が先に、彼女を巻き込んでいるんじゃないのか」
と鋭く問う。これに黒帽子はマント越しに、肩をすくめるような素振りをして、
「だから、それはぼくじゃないって。いまひとつ報われない宮下藤花にだって、友達の一人くらいいてもいいだろう」
と軽い調子で言った。凪は顔をしかめて、
「その辺の御託に、オレは付き合うつもりはない──だが末真和子にはぎりぎりまで、自力で耐えてもらうしかないだろう。そのときにおまえが邪魔になったら、オレは容赦なくおまえを排除するからな」
と迫る。黒帽子はこれにまったく動じることなく、
「宮下藤花はともかく──君はどうなんだい。末真さんと友達にならないのかい。向こうはそれを望んでいるようだけど」
と訊き返した。言われて、凪の顔に暗い影が落ちる。
「オレは──オレにはもう、友達はいない」
その横顔には、深い後悔の傷がはっきりと刻まれている。だがこれにも黒帽子は投げやりな口ぶりで、
「君はまだ、勘違いをしているようだね。自分の力不足で、大切な人を失ってしまった、とか思い込んでいる。そんなことはない。それは傲慢な発想だよ」
と告げる。凪が顔を上げると、黒帽子は左右非対称の顔を向けながら、
「
「知った風な口を利くな……!」
凪の眼に、はっきりとした
「君はいつまで、無力な子供を心の中に抱え込んでいるつもりだ。そんなに自分を憎んだって、なんの価値もないことぐらい、とっくに悟っているだろうに」
と白けきった口調で突き放すだけだった。凪は顔を伏せて、奥歯を嚙みしめるが、もう反論はしようとしなかった。
その代わりに、ふう、と大きく息を吐いてから、
「……価値、価値か……おまえは知っているのか──〝生命と同じだけの価値あるもの〟の意味が?」
と、改めて質問した。もう声には乱れはなかった。これに黒帽子は、ここで初めて
「いや──君はきっと、それには近寄れないだろうね、炎の魔女」
「あ? どういうことだ?」
「君はあの〝紙切れ〟には関係できないだろうって言っているのさ──君の運命がそれを許さない。向こうからしても、君の存在はノイズが大きすぎて、興味対象からは外れるだろう」
「何を言っているんだ?」
「さて、ぼくは自動的なんでね。今の言葉も、口から勝手に出てきているだけだ。きっと今の世界には、これを説明するための適切な〝視点〟がないんだろうね」
「まともに答えてくれないことだけは理解できるが──オレでは手に負えない、と言ってるようにも聞こえるな。その忠告に従って、その謎を気にしすぎて無駄なことをしないように気をつけるよ」
「そんなところでいいんじゃないかな」
「しかし──末真和子なら理解できるのかもな」
「彼女はとても
「だから──」
と言いかけて、凪は口をつぐんだ。デリケートな問題は口にしない慎みだった。しかし黒帽子はその沈黙を破って、
「だから、佐々木政則事件──フィア・グールにも狙われることになったんだろうね。彼女が
と話の先を続けてしまう。凪は舌打ちして、
「あのな──」
と顔を上げると、もうそこには誰もいなかった。最初からそんな影などどこにも存在していなかったのだ、とでもいうかのように。
「…………」
凪は厳しい表情に戻り、ふたたび末真和子の自宅方向に眼を向ける。
(末真……オレはあんたを助けてやったわけじゃない……あんたに感謝なんかしてもらう資格はないんだ……)
心の中で独りごちて、そしてもう一方の冷静な彼女が、さらに、
(今、ブギーポップは〝違うところで〟と言った……あいつが標的としているものは、オレとは違うということなのか、だとしたらそいつは──なんだ?)
とも考えていた。



