ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 8 虚空の空白 -empty space- ③


〝いいか古嶋俊輝、誰も信じるな、おまえがつい気を許してしまう相手にこそ、ヤツは──〟

 その通信は、そこでいきなり、ぶつっ、と切れてしまった。


「え?」


 雨宮美津子は、端末を見つめた。その画面には『この回線は存在しません』という一文が表示されているだけだった。


(……なんだ、これ──)


 彼女は背筋が寒くなるのを自覚した。この回線は統和機構が管理している極秘仕様のものである。それが突如として消されてしまった、ということは、


(今──あの〝専門家〟のヤツが、私──合成人間リミットには聞かせてはならないことを口走りかけたから、それで──)


 美津子はあらためて、自分が統和機構によってがんがらめに縛られていることを強く意識させられながらも、


(しかし──とにかく)


 と彼女は即座に予備校の個別自習室へと戻って、


「おい古嶋、なんだかわからないがヤバそうだ。急いで──」


 とドアを開けたところで──凍りつく。

 そこには静寂が広がっていた。

 古嶋俊輝が床に倒れ込んでいて、その身体はぴくりとも動いておらず、目も口も半開きになっていて、あらゆる緊張も弛緩も永遠に失せていた。

 ひら、ひら──と宙に何かが舞っていた。

 空気の層の隙間を滑り落ちていく、その一枚の紙切れは、もはや何者の所有物でもなく、一切合切ありとあらゆる性質を喪失して、床の上へと降りていった。

 

〝これを見た者の、生命と同じだけの価値あるものを盗む〟

 

 そう書かれている文章にも、なんの意味もなくなってしまっていた。


「…………」


 雨宮美津子は……思わず後ずさって、壁にもたれかかった。口元に手をやって、ぶるぶると震え出す。


「……く、く……」


 その口元からは、微かな声が漏れている。

 手のひらに隠された下の唇は──その端は吊り上がっていた。


(──駄目だ、笑うな……ここにだって監視カメラがあるはずだ──私が笑っているところを見られてはならない──)


 目元もぴくぴくと痙攣しているのは、どうしても笑顔になってしまいそうだからだ。しかし外から見る限り、それは激しいショックを受けて震えているようにしか思われないだろう。


(おいおい──古嶋俊輝……おまえ、すげえな……とんでもないエースを引き当てたじゃないか……そうだよ、おまえ──壁の外に出たんだな──統和機構が管理しているこの世界の、その外を見たんだな……ちくしょう、羨ましい話だが……感謝するぞ。おまえがこうなって──私も確信できる。間違いなく──実在するんだな、この世界をひっくり返せる超越存在が……!)


 彼女は一分ほど、ぷるぷると震え続けていたが、やがて大きく息を吐いて、立ち直ったフリをしながら、関係者各位に通常回線で連絡を取り始めた。その動作にはまったくよどみがない。

 しかし……この時点で既に、雨宮美津子──合成人間リミットは統和機構の構成員であることを内心で、完全に辞めてしまっていた。あらゆるルートを辿って、この世界のしんおうに突き立てられている〝牙〟を探ることを開始していた。



 ……予備校の前まで来たら、なにやら騒ぎになっていた。


「なんだろ? 車がいっぱい停まってるね? 末真、なんだと思う?」


 藤花が訊いてきたが、わたしにわかるはずもなく、


「受付に行って、訊いてみましょう」


 と早足で向かったが、建物に入る寸前で、


「ああ、今は立ち入りを禁止しています」


 と呼びとめられた。

 それはすらりと背の高い男性だった。見たことのない顔で、職員ではなかった。

 妙に……無表情な人だった。

 無愛想というわけでもないし、きつい印象もない。しかし……この人が何を考えているのか、どういう気持ちなのか──まったく推測できない感じがした。読めない、というよりも、


(なんか──何も感じてないみたいな……そう、機械のように……)


 と奇妙な感触を受けた。わたしが、


「あの、ここの生徒なんです。今日は講義があって」


 と説明すると、その無表情な人はうなずいて、


「状況は理解しますが、万が一のときのために誰も出入館できないということになっていまして」

「あの、何があったんですか」

「そのアナウンスはもう少しお待ちください。予備校施設側から正式なものが出るはずですから」


 やたらとすらすらと、原稿を読んでいるかのように言われる。録音を自動再生されているみたいで、まるでロボットの声のごとく聞こえた。


「でも……」


 わたしがさらに詳しく訊きたくて、食い下がろうとしたところで、予備校の玄関から一人の男が出てきて、


「おい──せんじよう、もういい。その子たちを入れてやれ。封鎖は解除だ」


 と声を掛けてきた。薄い色のサングラスを掛けた男で、動作にきびきびとした印象があった。


「そうかい」


 と無表情な人は、サングラスの男に返事をすると、もうわたしの方など見もせずに、彼の方へと早足で去ってしまった。こちらにはもう何の断りもしなかった。


「────」


 わたしが茫然としていると、その二人は車の方に足早に向かいながら、


「痕跡はあれだけだったのかい」

「もう手遅れだ──とっくに消えている。調べることなど何も残ってない──」


 とか意味不明のことを話し合いながら去って行った。

 そして続いて、一人の女性も玄関から出てきた。

 雨宮美津子だった。

 そして彼女に続いて、担架に乗せられた生徒らしき人が搬送されてきて、救急車に乗せられた。雨宮美津子も同乗するらしく、一緒に入っていく。

 そして──彼女はちら、と視線を上げて、わたしと眼が合った。


「────」

「…………」


 雨宮美津子は妙に穏やかな眼をしていた。どこか悟ったような静けさがあった。彼女はわずかに手を挙げて、そして小さく、

 

 ──ばいばい、

 

 という風にかるく手を振って、そして救急車の後部ドアを閉めた。

 車の群れは一斉に発車して、あっというまに予備校の前から消えた。

 わたしは……立ちすくんでいた。

 なんだかすごく、ざわざわと胸の奥が落ち着かない感じがしていた。


「末真……?」


 後ろから藤花が、心配そうにおそるおそる訊いてきた。

 わたしの身体は、自分でも気がつかないうちに、小刻みに震えだしていた。

 激怒していた。

 わたしは無言のまま、くるっ、と予備校に背を向けて、ずんずんと早足で歩き出した。


「ち、ちょっと──末真?」


 藤花が戸惑いながらついてくる気配があったが、わたしはそれさえも無視して、ただただ突進していく。

 どこへ?

 それは自分でもわからなかったが、しかし自分が決定的に、なにかから疎外されて、放り出されたのだという確信だけがあった。

 わたしは無力で、ちっぽけで、無知で、道理もわきまえず、稚くて何もできない情けない小娘なのだ、という実感だけがひたすらにのしかかってきて、そのことに対して腹が立って腹が立って腹が立って仕方がなかった。


「──この……この、この、このこのこの……!」


 なにか罵ってやりたいが、何を言えばいいのかすらわからず、わたしはひたすらに呻くだけで、怒り狂いながらずんずんと歩き続けていく。

 空では夕暮れの茜色が広がっていて、じわじわと昏くなっていく。わたしの足下に落ちる影もその闇に溶け込んで、どんどん存在感を失っていく。

 鳥の声が遠くから響いてきた。わたしはそれを、まるで妖精がせせら笑っているようだ、と感じた。

 

 

 

“The Opposite Fairy Speech Of Limit-Gray” closed.

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