黒い立方体。
それを見たまま表現するならその一言になる。大きさは一辺一メートルほどで、当然ながら何に使うものかは見当もつかない。夜知春亮が頰を引き攣らせながらそれを眺めていると、
「すみません、受け取りのサインを……」
「あ、はいはい」
送り状をちらりと見る。海外から送られてきているために横文字だが、差出人の欄には予想通りの名前があった。またかよ馬鹿親父、と春亮は内心で呻く。
「はいどうも。いやぁ、随分重くて疲れましたよ……で、これ、何なんですか?」
「え、ええとその、親父が骨董品を集めるのが趣味でして! 外国で変なもの見つけてはこうして送ってくるんで……何なんでしょうね!?」
愛想笑いで誤魔化す。噓はない。ただ、どれほどのレベルで変なものなのか、ということについて説明しなかっただけだ。
宅配便の業者が帰り、さて、と春亮は門の前に置かれた奇怪な箱を改めて見下ろした。
「ほんと、何なんだか……親父が送ってきたってんなら間違いなく問題があるんだろうけど」
大事なのはそのレベルだ。恐る恐る触ってみると、冷たい鉄の感触。別段蓋があるわけでもないので、《何かを入れる箱》というよりは《箱型の何か》なのだろう。さらに表面を観察してみると、継ぎ目のような直線や曲線がうっすら見て取れた。
「パズル箱、みたいなもんか? 正しい手順で動かさないと開かない、みたいな……うむ、こういう複雑な道具ほど実はたいして問題なかったりするんだ。何にもない何にもない。俺の日常は平穏なままだ、そうに決まってる……!」
独り言を呟きつつ、適当に継ぎ目をなぞったり押したりしてみる。
むひゃ、と変な声が聞こえたような気がした。
動きを止め、春亮は目を閉じる。心を落ち着けてから、呟いた。
「……幻聴だな」
と、何かの拍子に自分でもわからない部分がわからないままどうにかなったらしい。小さく金属が擦れる音を立てて外枠の一部が動いた。コンポからCDのトレイが出たような形になったそこを覗き込む。眉を顰めた春亮が見たのは、直線曲線四角三角、無数の鉄片が歯車などを介して複雑に絡み合っている姿。適当に指を入れて弄ってみるが──軽く動くだけで、それ以上の変化は起きなかった。んっ、んあ、などという小さな幻聴を除けば。
「あー幻聴だただの幻聴だ。また厄介事があってたまるか……よし! わからん! わからんものは放置に限る!」
とりあえずそれ以上の詮索は諦めた。こんな箱でも外に放置しておくわけにはいかないので、いつもの場所──父親が送ってきた物品を突っ込んでいる部屋──に運ぶことにする。
「ぬっ……おっ……ち、超重ぇ!」
よろよろと母屋までの道を進み始める。
そのとき聞こえた不満げな鼻息も、当然幻聴ということにした。
自分の部屋、六畳の和室の床で春亮は目覚めた。慌てて時計を見ると時刻は午後七時過ぎ、窓の外もすっかり暗くなっている。あの箱を運んでから、少しだけ休憩するつもりで横になったのだが──いつのまにか寝ていたらしい。昨日寝つけなかったのでそのせいだろう。
(なんてこった。限界空きっ腹で料理ってなんかヤなんだよな……)
離れで暮らす同居人がいるにはいるが基本は一人暮らし、食事が黙って出てくるようなことはない。しかも学校から帰った瞬間に宅配便が来たので、夕食の準備は全くの手付かずだった。まず米炊いて湯沸かして、とこれからの苦行を考えながら身を起こす──と、春亮の耳に小さな音が届いた。何者かの足音、ごとごとと戸棚を探るような音、そして……カリカリパリパリという謎の異音。
(このは、か?)
庭に建つ離れの二階を窓から見やる。二つの窓があり、そのうち一つから光が漏れていた。つまり同居人はそこにいる。
緊張が走る。この家は典型的な日本家屋、広いうえに古い。泥棒にとっては格好の獲物だろう。春亮はそっと障子を開き、廊下に足を降ろした。何者かの気配があるのは台所のほうだ。暗い家の中を逆に泥棒気分で進んでいき──息を殺して台所の中を窺う。
月明かりの中。背の低い影が戸棚の前でしゃがみ込んでいる。月光を反射する髪は輝く白銀だ。戸棚から取り出したであろう袋に伸びる繊手から、その影が女であることがわかる。その手は口と袋を交互に移動しており、それが何かを砕く異音を生んでいる──
冷静に観察できたのはそこまで。そのありえない光景を前に、春亮は思わず叫んでしまっていた。そいつを指差しながら、ただその姿を的確に言い表す一言を。
「全裸の煎餅泥棒女っ!?」
「──むぐッ?」
振り返ったのは、少女。白銀の髪に小さな白の裸体、細やかに整った顔立ちには気品と気強さという矛盾した要素が騙し絵のように両立して彫り込まれている。その口からぽろりと煎餅のカケラを落とし、一瞬の後、少女も春亮を指差して大口で叫んだ。
「ほわ……さ、先程のハレンチ男!」
それからはっと自分の身体を見下ろし、少女は顔を真っ赤に染める。
「う、わ、わわ……わ、私の身体をまた、また弄り回す気だな!? な、なんという男!」
そして彼女はしゃがみ込んだまま、近くのものを手当たり次第に投げつけてきた。かりんとうの空き袋、お盆、菓子の木製受け皿、急須、etc。素晴らしいコントロールだった。避けようとして足下を滑らせた春亮の上に、どさどさと物が降り積もる。
「ぐは! ち、ちょっと待て……ムガ、とにかく落ち着け!」
すっぽしと口の中に飛び込んだ箸置きを摘み出すと、そこでどうやら弾切れになったらしい。攻撃が止んだ。両手に持っていた煎餅を最後に投げようとした少女だったが、思いとどまる。それは彼女の身体の防護に使用された。
「のわ、よ、寄るな寄るな! それ以上近付くと、その──」
眼前にいるのは、手にした二枚の丸い煎餅をクロスさせるようにして小ぶりの胸を隠す間抜けな少女。春亮は意味不明な絵面に固まったまま、少女がテンパって叫ぶその一言を聞いた。
「……の、呪うぞっ!」
その言葉で理解する。彼女がさっきの箱であることを。
脱力感にがっくりと肩を落としながら、春亮は思った。
やっぱりだ。あの馬鹿親父、また──
呪われた道具を送ってきやがった。