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「……これは何だ。カスタードプディングか」
黄白色の物体を慎重にスプーンの先でつつき、むっつりと少女は言った。
「食ってみればわかるぞ」
「ふむ……ぐっ!? こ、これは……!」
スプーンの先を口に入れた途端、少女は衝撃を受けたようにフリーズ。
「甘くない。偽物ではないか! 柔らかな台座に黒のソースとくればプディングと決まっているものを……な、なんと意地の悪い食物よ!」
「意地の悪いとか言うな、ただの豆腐だ。大豆の汁を固めて作る。不味かったか?」
エプロンを外しながら、春亮は少女の向かいにあぐらを搔いて座った。貸してやったシャツにホットパンツという姿の少女は、不機嫌そうな顔で奴豆腐を咀嚼しながら、
「ふん。不味くはない。先程の……アレ、コリコリパリッとした奴には負けるがな」
「煎餅と比べられたら豆腐も迷惑だろう」
「せんべというのか。あれはまさに新食感だった。辛くもあり甘くもあり、あの歯ごたえがなんとも……はっ。な、何を見ているっ?」
いんや、と適当に答え、春亮は一瞬だけ呆けた顔をしていた少女から目を逸らした。自分も食事に取り掛かる。この状況は腹が減ってはなんとやらの格言を守った結果だ。
これは魚だな、と言わずもがなの確認をしつつ、少女は焼きたての秋刀魚をじろじろと眺め──そしてフォークとスプーンを置いた。次の動作を先読みし、
「待て。俺の目が黒いうちは手摑みなどという真似は許さん」
少女の秋刀魚が載った皿を摑むために春亮が手を伸ばすと、なぜか少女は凄まじい勢いでずさささっと畳の上を後退した。
「だからさっきのは誤解だ。ちょっと混乱してただけだって。服も貸してやっただろ」
「わ……わかるものか。その前は、あ、あんなところに指を入れて弄り回したくせに……」
「あんなところと言われてもなー。まぁとにかく、そりゃ悪かったよ」
おざなりに謝りながら、春亮は箸で秋刀魚の分解を始める。
「ほら見とけよ。これが焼き魚の正しい解体方法だ。こうやって、で、あとは頭をこう引っ張れば……スルスルっと骨が全部抜ける。簡単だろ」
ほう、と軽い感心の声をあげる少女だったが、すぐにまた気を張った顔になる。しばらくしてからそろりそろりとテーブルに戻り、ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らしてフォークを握った。
「そういやお前、名前は?」
「ふぃあ……」
少女はすぐに口を閉じた。しまった、というように眉を寄せて。
「フィア、か?」
「う、む。私のことなどどうでもいいだろう。好きに呼べばいい」
「いや、どうでもよかないだろ。一時間前にお前は俺の人生最優先課題に躍り出たんだぞ。まったく反則級な割り込み速度で、だ。んで結局、お前って何? どういう箱なんだ?」
「う……」
「う?」
聞き返した瞬間、少女──フィアは何の前触れもなく眉を吊り上げて怒り始めた。ざっくざっくとフォークで秋刀魚を刺殺しつつ、
「うるさい! お、お前には関係ないわ! あほー!」
「うわ何だ、そのストレートな罵り方久しぶりに聞いたぞ!? 子供か!」
「な、なにおう!」
「そのキレ方も古い……って馬鹿やめろ秋刀魚の肉を飛ばすな口を閉じろ!」
「まったく……女の過去を根掘り葉掘り。礼儀を知らんハレンチ小僧め!」
食事の礼儀も知らない小娘に言われたくない。だがここは自分から折れておくことにした。
「ふぅ……ま、お前らの過去が基本的にあんまり楽しくないことだってのは俺も知ってるからな。怒らせてまで聞くつもりはないよ」
素直な言葉に毒気を抜かれたのか、フィアもゆっくりと怒気を消して俯く。
「あの姿は、嫌いだ。できれば……あまりなりたくはない。ここに来るのはあの姿のほうが簡単だと言われたから、我慢してなっていただけだ」
「言われたって、親父にか」
「崩夏、とか言ったな。お前は奴の息子か?」
「そうだよ。春亮だ。親父、今どうしてた?」
「知らん。まだ向こうでやることがあるとか言っていた」
「相変わらず自由人すぎるぞ、馬鹿親父め……ま、もう文句も言い飽きてるけどな。生活費の振り込みを忘れん限りは放置プレイって感じだ」
「お前といい奴といい、その、妙だな。普通の人間は、私のようなモノを理解などしないと思っていた」
「この家は昔からお前らみたいなん受け入れてやってきたって話でな。まぁ基本はたいしたことないチョイ呪われの道具なんだが、たまにお前みたいにぶっ飛んだ奴も来る」
無言でしばしの間を作り、フィアは長く息を吐いた。フォークを置き、背筋を伸ばす。白銀に輝く髪の隙間から、真剣な色の瞳が春亮を刺した。
「真面目な話をする」
「……どうぞ?」
「私は……私は、長く打ち捨てられていたとある地で夜知崩夏に発見された。奴は私と会話し、私は奴に自分の望みを伝えた」
「望みって?」
予想はついた。この家に自分の意志で来る呪いの道具の目的は、結局のところ一つに集約される。が、春亮は聞き返した。彼女の存在理由は、彼女がヒトではないモノだからこそ、自分の言葉で定義しなければ始まらないものだから。
ヒトではない少女は唇を嚙み、囁くように、答える──
「自分の呪いを解くこと」
「お前はどこまで知っている? 呪いについて……そして、私のようなモノについて」
「そうだな。俺が知ってるのは──一つ、道具は人の負の思念を受け続けることで負の方向に変質することがある。二つ、そうやって呪われた道具は所有者や周囲の人間に色々な悪影響を及ぼす。三つ、その代わりに、不思議な魅力や機能を発揮することもある……ってところか」
「それだけか?」
テーブルを見つめたまま発されるフィアの言葉に、春亮は軽く目を細めた。
「追加するなら。そうやって呪われた道具がさらに人の負の思念を受け続けたら、最終的にどうなるのかっていうのも知ってる……今この目で見てる」
そう、ヒトに呪われすぎた道具はヒトの性質を得る──
詳しい理屈は春亮にはわからない。呪われて呪われて呪われ尽くして、さらに限度を超えて与えられるヒトの思念が、《道具である》という本質にまで影響を与えるというだけ。
その結果として、彼らは道具でありながら人でもある存在になる。
魂を、意志を宿し、そして自在に人の姿すら取れるようになる──
「そうだ。始まりは人の呪い。私というモノは人を害し、憎悪に怨嗟に殺意、あらゆる負の感情を受け続けることで……呪われた。《所有者を狂わせる》という忌まわしい呪いだ」
少女の拳がぎゅっと握られていることに気付く。だから春亮は依然として残る疑問を追及しなかった。少女が具体的にどんなモノなのか。所有者を狂わせるとはどういうことなのか。
「そうなってもまだ終わらない。《人間》の、呪い、呪い、呪い! それは私に《人間》の性質すら塗擦し、そしてただの道具だったはずの私は意志を持った。否、持たされたのだ。意志と呪いほど相性が悪いものがあるか? お前の言う、《チョイ呪われの道具》などは幸せだ。自らが呪われていることを自覚しない、それはなんと無知で幸福なことか!」
そこで大きな深呼吸を挟み、
「私は、ここに来れば誰に迷惑をかけることもなく呪いを解けるという崩夏の言を信じた。だから来た。が、詳細は何も聞いていない。正直に言え──私は、お前や他の誰かに呪いを与えることなく、本当にこの身に刻まれた呪いを殺ぎ落とすことができるのか? 崩夏から受け取ったというなら、今の私の所有者はお前だ。誤魔化すと第一にお前が危険だぞ」