亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

プロローグ 最後の晩餐

 それはこの世で食べる最後の食事だったが、私はあまり食が進んでいなかった。メニューは、普段通り、硬いパンと、豆のスープと、いくつかのチーズという質素なもの。最後くらい豪華なメニューにしようという案もあったらしいが、皆で話し合って、あえていつもと同じにすることに決まったのだ。

 食堂に、二百人弱の仲間たちが集まって、最後の食事を楽しんでいる。皆、笑顔でおしやべりをしていて、自分のように沈んだ気持ちの者はいないようだ。


「どうしたの、暗い顔して!」


 隣の席の少女が、明るい声で言いながら私の肩をたたいた。その少女は、表情の乏しい私の感情をわかってくれる、私の親友だ。


「おなか痛い? せっかく最後のご飯なのに」


 私は首を横に振る。彼女はしばらく私の顔を見ていたが、やがて探るように言う。


「……もしかして、死ぬのが怖いの?」


 私ははじかれたように顔をあげた。そして、珍しく少し強い口調で言う。


「ううん。そんなことない」


 そこだけは、ちゃんと否定しなければならなかった。彼女は少しあんした顔になる。


「よかった。まあ、あんたがそんなこと怖がるわけないか。でも、ならどうして」


 親友は、駄々をこねる子供を見るように、眉をひそめる。

 私は答えられず、彼女から視線をらした。

 今日は、最後のばんさん。この食堂にいる二百人は、この食事が終わり次第、自ら命を絶つことになっていた。地下の講堂に、全員分のひつぎが用意してある。

 すすくような声が聞こえて、私は顔をあげた。はすかいの席の少年が、うつむいて泣いている。彼は、私と同じ部隊の同僚である。

 親友はあきがおになる。


「ちょっと、あんたまで……どうしたの?」

「いや、ごめん、違うんだ……うれしいんだよ。自分たちが、誇らしくて」


 そう言って顔をあげた少年の表情は、むしろ朗らかであった。


「人類が、皆自分勝手に生きて、争い合って、殺し合っているなかで、僕たちは人々を助けるために力を尽くした……そして最後は、人類のために命まで捨てようとしてる。そんなことできるの、僕たちしかいないよ。すごいことだよ!」


 彼は、話しながらまたあふれてきた涙を拭う。


「本当に、みんなと出会えてよかった……! もしみんなと出会っていなかったら、僕はきっと盗賊にでもなって、人々を傷つけて、奪って、そして、そんなちっぽけな命にしがみついていた。それが、こんなに誇らしい気持ちで、終わりを迎えられるなんて!」


 気づくと、周囲の席の面々が、食事の手を止め、彼の言葉に耳を傾けていた。中には涙ぐんでいる者もいる。


「僕たちの努力は、絶対に無駄にはならない! 僕たちの命の泉はれるけど、人類は大丈夫だ! 彼らは、平和で豊かな、誰もが幸せになれる世界を作ってくれるはずだよ!」


 その瞬間、拍手が巻き起こった。皆、口々に彼の言葉を、いや、自分たちのことをたたえる。として死を受け入れている。


「何熱くなってんの? おお!」


 隣の親友は、そう言いながらも涙ぐんでいて、感動しているのがわかる。私はそれをほほましいと思うが、一緒になって感動することはできなかった。

 親友は、私を見て、何かに気づいたようにはっとする。顔を近づけて小声で言う。


「もしかして、まだあの子のこと気にしてるの?」


 私は小さくうなずいた。

 数日前。

 仲間の一人が、脱走を試みた。今日、皆で一緒に死ぬのが怖くなったのだ。その仲間は、自分だけ死をまぬがれようと逃げ出したが、結局捕まり、裁判にかけられた。

 脱走は重罪だ。本来ならば即死刑になるところだが、意外にも、一部の仲間たちは、最後くらい見逃してやるべきだと主張した。処刑派と温情派で意見が分かれ、結局、処遇は全員の投票で決めることになった。脱走した仲間を、処刑するか、解放して自由にしてやるか、どちらかだ。

 私は解放に投票した。自分が死ぬのは構わない。それは問題ない。だが、死にたくないと思っている人を無理やり巻き込むのはわいそうだと思ったのだ。しかし結局、処刑への投票が過半数を大きく超え、その仲間は一足先に命を失った。


「もう忘れなよ。脱走したあの子が悪いんだから」


 私が何も言えずにいると、親友は、とがめるというよりは、優しく諭すように言う。


「私たちのおかげで、世界に秩序が戻って、環境も改善した。もう私たちの役目は終わり。これからは、私たちみたいな、特別な力を持った存在がいたら、人間にとってかえって危険になる。だから、この世界から消えてなくならないと。そこまでが、私たちの役目だよ」

「……そうだね」


 私が短く答えると、親友は私の頭をぐしゃぐしゃとでた。


「私たちだって今日が最後なんだから……あの子ともすぐ会えるよ! だからそんな顔しないで! もったいないよ!」


 確かに、彼女の言う通りだった。私にとっても、今は最後の時なのだ。幼い頃に両親を失い、飢えて死ぬはずだった私が、こんな風に、大切な人たちと一緒に最後の時を過ごせるなんて思ってもみなかった。どうせなら、晴々しい気持ちで楽しみたい。

 目の前で、食べかけのパンとスープとチーズは、普段と変わらぬ匂いを放っている。

 唐突に、吐き気が込み上げた。心地よいはずの食事の香りを、まるで外敵が侵入したかのように体が拒絶している。そんな感覚を抱いていることを周りに気づかれたくなくて、私は、コップを手に取って無理やり水を飲んだ。込み上げた胃酸と共に、冷たい水を飲み下す。

 それからも、得体のしれない吐き気が治まることはなかった。

 今日は、私たちが使命を終え、別の世界に旅立つ、記念すべき日。

 今日これから、私は死ぬ。