聖女と暴食

序章 Prologue ①

 人はそらから生まれ落ちて、そらへとかえる。

 それはこの世界の人間であれば、だれもが知るはずの常識だ。


 そらとはすなわち、天環オービタルのこと。

 地球周回どう上にかぶ巨大環状浮遊都市フローテイング・メガストラクチヤー──


 かつてこのを支配していた人類は、〝さいやく〟によりこうはいした地上を捨てて、その人工の楽園へと移住した。

 てんじん種族を名乗る彼らは、今も高度な科学技術をようして、はんえいおうし続けているという。


 そして地上には、生徒たちだけが残された。


 肉体の成長に適切な重力が必要という生物学的な理由と、成長期に必要な食料などの資源を確保するために、六歳の誕生日をむかえた子供たちは、地上の〝学園〟へと送られる。

 そして〝学園〟を卒業すると、てんじんの一員として再び天環オービタルへともどるのだ。


 無事に、生きて卒業することができれば、だが──


◇◆◇


『──ハンズシツクス! 応答してください、ハンズシツクス! ハルせんぱい!』


 耳元の通信機から、管制係のあせった声が聞こえてくる。

 そうぞうしいやつだ、と俺はひそかにためいきらした。


 通信音声に激しいノイズが混じっているのは、直前に起きた大きなばくはつえいきようだろう。

 全長百六十メートルちようきよだいメテオライトるがす、人工的なしんどうしようげきばくはついんは今も続いて、ざんきようが大気をふるわせている。


 そんかいした金属製のてんじようこうはんにわたってがれち、メテオライト内部のせまい通路をふさいでいた。後続部隊の仲間たちとは、完全に分断されたことになる。


「ハンズシツクス、ハル・タカトーだ。聞こえてるぞ、ハンズフオー


 俺はいつもと同じ口調で、管制係のリィカ・タラヤに応答した。

 メテオライトがいへきは、電波の大部分をしやだんする。りよくを乗せた通信でなければ、上空のせんとう指揮ヘリにとうじようしているリィカには声が届かない。


せんぱい!? 無事だったんですね! よかった……!』

じようきようを報告しろ、リィカ・タラヤ」

『は、はい!』


 無線しに伝わってきたのは、リィカがわたわたとたんまつの操作を始める気配だった。

 リィカ・タラヤは〝学園〟の高等部一年生。第七学区アザレアス生徒会直属の特殊執行部隊──〝インビジブル・ハンズ〟の新入隊員だ。

 管制係としての実力は確かだが、実戦経験はまだ足りていない。予期せぬトラブルにそうぐうして、あしだってしまうのは仕方ないだろう。


かくへきばくやくけられていたようです。第二班がメテオライト内部にしんにゆうした直後にばくしんにゆう者対策のトラップだと思われます』

てんじんが、はいモジュールにわなけたのか?」


 なんだそれは、と俺は小さくまゆをひそめた。


 高度約三万六千キロメートルの宇宙空間を周回している天環オービタルだが、ろうきゆう化などにより不要になったせつの一部が、ごくまれに地上にとうされることがある。それがはいモジュールだ。


 要するに人が住めなくなったボロい建物を、だいゴミとして地上に投げ捨てたということだ。実にめいわくな話である。


 たいけんきることなく地上についらくしたはいモジュールは、いんせきになぞらえて、メテオライトと呼ばれることになる。


 たとえはいされたものでも、それらは旧世界の高度な技術で造られた天環オービタルの一部だ。電子回路のひとつでも無傷で回収できれば、〝学園〟にとってはきわめて大きな価値を持つ。第七学区アザレアスの生徒会が、ほかの学区にさきけてたんさくチームをけんしたのは、それが理由だ。


 せいえいである俺たち特殊執行部隊インビジブル・ハンズたんさく要員に選ばれたのは、ほかの学区のたんさくチームとせんとうになる可能性をこうりよしたからだろう。武力を用いてのうばいになるくらい、てんじんの落とし物には価値があるということだ。


 一方でてんじんたちにしてみれば、はいモジュールは文字どおりの不用物。ゴミである。わざわざ手間をかけてわなけてまで、ゴミにたかる生徒たちにいやがらせをするとは思えない。


「過去に同様の事例はあるか?」

『いえ。そのような記録は残っていません。今回のメテオライトは異常です。そもそもとうされたモジュール内の防衛システムが、いまだに動いているのも不自然ですし』

「そうだな。そこまでして守る価値のあるものを、地上に投げ捨てるとは思えない」


 リィカとの交信を続けつつ、俺はライフルを構えて引き金を引いた。

 放たれた六・五ミリだんが、かべめこまれていたき、通路の自動防衛システムを無力化する。


「第二班のがいじようきようは?」

『隊員六名が負傷。うち四名は重傷で、任務の続行が困難です。第一班も外周区画とつの際にかなりへいしています』

「そうか」


 俺はうっすらと息をいた。

〝学園〟最強の一角として名前を挙げられることの多い第七学区アザレアス特殊執行部隊インビジブル・ハンズだが、てんじんたちの自動防衛機構が相手となるとさすがに分が悪い。むしろあれだけのばくはつに巻きこまれて、ぜんめつしなかっただけでも上出来だといえる。


「わかった。部隊の指揮は、ジョウノに任せる。負傷した隊員を連れて帰投するように伝えろ。モジュールのたんさくは俺がやる」

せんぱいお一人でですか!? 危険ですよ!』


 俺の判断にリィカが難色を示した。


 心配してくれてがたい、というよりも、彼女のてきとうなものだ。

 なにしろ一個教室──三十人規模のとくしゆ部隊が、かいめつ的なげきを受けててつ退たいに追いこまれているのだ。そんな危険地帯に単身でとつにゆうするのは、自殺こうと思われても仕方がない。


 しかし俺はたんたんと言い放つ。


「問題ない。モジュール内の防衛システムは、もうほとんどだまらせた。特殊執行部隊インビジブル・ハンズがここまで来て、なんのしゆうかくもなくかえるわけにはいかないだろ」

『……!』


 ごうまんとも思える俺の物言いに、リィカが小さく息をんだ。

 あきれているのかと思いきや、彼女の声は、なぜか逆に感動でふるえていた。


『……さすがです、せんぱい!』

「え?」

『わかりました! お手伝いします! 部隊のてつ退たいえんは任せてください!』

「そ、そうか。たのんだ」

『はい!』


 リィカが期待に満ちた口調でまくし立て、気まずくなった俺は通信を終える。

 ちんもくした通信機に手を当てたまま、俺はやれやれと首をった。


 特殊執行部隊インビジブル・ハンズには、なぜか現場指揮官である俺にしんすいしている隊員が多い。

 新人のリィカはそのけいこうが特に強い。

 俺がうっかり執行部隊ハンズめいを重んじるような発言をしたことで、リィカは自分たちがづかわれていると思いこんでしまったのかもしれない。俺としては任務に失敗して、生徒会てに言い訳の報告書を書くのがめんどうだっただけなのだが。


 まあいいか、と俺はすぐに気を取り直し、ライフルのだんそうこうかんした。

 そしてはいモジュールの中心部に向かって、うすぐらい通路の中を歩き出す。


「なんだ、このせつは……まるで、かんごくだな」


 天環オービタルの主な材質は、アルミニウムを主成分にした未知の合金だ。それはこのはいモジュールも変わりない。


 しかし俺が過去に目にしたどのモジュールよりも、今回のメテオライトかくへきは分厚くがんじようだった。

 外からのしんにゆう者を防ぐのではなく、中にいる〝なにか〟をがさないために設計されたとしか思えないいびつな構造だ。

 きようぼうけものを閉じこめるためのがんじようおり。あるいは、危険なばくはつ物をふういんするための保護容器。そんな感じのなにかを見ている気分だ。


 この先のどこかに、てんじん種族が恐れるなにかが潜んでいる。無人の通路を進むにつれて、そんな予感が強くなってくる。


「モジュールの中心は、このあたりのはずだが……」


 俺は装備していたばくやくかくへきを破って、メテオライトの最深部へとしんにゆうした。


 たいけんとつにゆう時の熱やしようげきえいきようも、ここまではとうたつしていない。

 モジュール内の空気はひんやりと冷めて、外部からかくされたようなせいひつさに満ちていた。


 そんな中、俺のしんにゆうに呼応するように、なにかが動く気配がある。


 圧縮空気がれ出すはい音とともに、モジュールの奥に無造作に置かれたきよだいな金属容器のふたが開いた。

 いったいどんな化け物を閉じこめているのかと、俺は油断なく容器へとじゆうこうを向けた。


 その直後──


 ぼうだいな量の液体が容器のすきからして、蒸気のきりがモジュール内を満たす。

 そしてきりの中にかびがるがらかげを見て、俺はぼうぜんと息をんだのだった。