人は天から生まれ落ちて、天へと還る。
それはこの世界の人間であれば、誰もが知るはずの常識だ。
天とはすなわち、天環のこと。
地球周回軌道上に浮かぶ巨大環状浮遊都市──
かつてこの惑星を支配していた人類は、〝災厄〟により荒廃した地上を捨てて、その人工の楽園へと移住した。
天人種族を名乗る彼らは、今も高度な科学技術を擁して、繁栄を謳歌し続けているという。
そして地上には、生徒たちだけが残された。
肉体の成長に適切な重力が必要という生物学的な理由と、成長期に必要な食料などの資源を確保するために、六歳の誕生日を迎えた子供たちは、地上の〝学園〟へと送られる。
そして〝学園〟を卒業すると、天人の一員として再び天環へと戻るのだ。
無事に、生きて卒業することができれば、だが──
◇◆◇
『──ハンズ6! 応答してください、ハンズ6! ハル先輩!』
耳元の通信機から、管制係の焦った声が聞こえてくる。
騒々しいやつだ、と俺は密かに溜息を洩らした。
通信音声に激しいノイズが混じっているのは、直前に起きた大きな爆発の影響だろう。
全長百六十メートル超の巨大な落下物を揺るがす、人工的な震動と衝撃。爆発の余韻は今も続いて、残響が大気を震わせている。
損壊した金属製の天井が広範囲にわたって剝がれ落ち、落下物内部の狭い通路を塞いでいた。後続部隊の仲間たちとは、完全に分断されたことになる。
「ハンズ6、ハル・タカトーだ。聞こえてるぞ、ハンズ4」
俺はいつもと同じ口調で、管制係のリィカ・タラヤに応答した。
落下物の外壁は、電波の大部分を遮断する。魔力を乗せた通信でなければ、上空の戦闘指揮ヘリに搭乗しているリィカには声が届かない。
『先輩!? 無事だったんですね! よかった……!』
「状況を報告しろ、リィカ・タラヤ」
『は、はい!』
無線越しに伝わってきたのは、リィカがわたわたと端末の操作を始める気配だった。
リィカ・タラヤは〝学園〟の高等部一年生。第七学区生徒会直属の特殊執行部隊──〝インビジブル・ハンズ〟の新入隊員だ。
管制係としての実力は確かだが、実戦経験はまだ足りていない。予期せぬトラブルに遭遇して、浮き足だってしまうのは仕方ないだろう。
『隔壁に爆薬が仕掛けられていたようです。第二班が落下物内部に侵入した直後に起爆。侵入者対策のトラップだと思われます』
「天人が、廃棄モジュールに罠を仕掛けたのか?」
なんだそれは、と俺は小さく眉をひそめた。
高度約三万六千キロメートルの宇宙空間を周回している天環だが、老朽化などにより不要になった施設の一部が、ごく稀に地上に投棄されることがある。それが廃棄モジュールだ。
要するに人が住めなくなったボロい建物を、粗大ゴミとして地上に投げ捨てたということだ。実に迷惑な話である。
大気圏で燃え尽きることなく地上に墜落した廃棄モジュールは、隕石になぞらえて、落下物と呼ばれることになる。
たとえ廃棄されたものでも、それらは旧世界の高度な技術で造られた天環の一部だ。電子回路のひとつでも無傷で回収できれば、〝学園〟にとっては極めて大きな価値を持つ。第七学区の生徒会が、ほかの学区に先駆けて探索チームを派遣したのは、それが理由だ。
精鋭である俺たち特殊執行部隊が探索要員に選ばれたのは、ほかの学区の探索チームと戦闘になる可能性を考慮したからだろう。武力を用いての奪い合いになるくらい、天人の落とし物には価値があるということだ。
一方で天人たちにしてみれば、廃棄モジュールは文字どおりの不用物。ゴミである。わざわざ手間をかけて罠を仕掛けてまで、ゴミにたかる生徒たちに嫌がらせをするとは思えない。
「過去に同様の事例はあるか?」
『いえ。そのような記録は残っていません。今回の落下物は異常です。そもそも投棄されたモジュール内の防衛システムが、いまだに動いているのも不自然ですし』
「そうだな。そこまでして守る価値のあるものを、地上に投げ捨てるとは思えない」
リィカとの交信を続けつつ、俺はライフルを構えて引き金を引いた。
放たれた六・五ミリ弾が、壁に埋めこまれていた無人銃座を撃ち抜き、通路の自動防衛システムを無力化する。
「第二班の被害状況は?」
『隊員六名が負傷。うち四名は重傷で、任務の続行が困難です。第一班も外周区画突破の際にかなり疲弊しています』
「そうか」
俺はうっすらと息を吐いた。
〝学園〟最強の一角として名前を挙げられることの多い第七学区の特殊執行部隊だが、天人たちの自動防衛機構が相手となるとさすがに分が悪い。むしろあれだけの爆発に巻きこまれて、全滅しなかっただけでも上出来だといえる。
「わかった。部隊の指揮は、ジョウノに任せる。負傷した隊員を連れて帰投するように伝えろ。モジュールの探索は俺がやる」
『先輩お一人でですか!? 危険ですよ!』
俺の判断にリィカが難色を示した。
心配してくれて有り難い、というよりも、彼女の指摘は妥当なものだ。
なにしろ一個教室──三十人規模の特殊部隊が、壊滅的な打撃を受けて撤退に追いこまれているのだ。そんな危険地帯に単身で突入するのは、自殺行為と思われても仕方がない。
しかし俺は淡々と言い放つ。
「問題ない。モジュール内の防衛システムは、もうほとんど黙らせた。特殊執行部隊がここまで来て、なんの収穫もなく逃げ帰るわけにはいかないだろ」
『……!』
傲慢とも思える俺の物言いに、リィカが小さく息を吞んだ。
呆れているのかと思いきや、彼女の声は、なぜか逆に感動で震えていた。
『……さすがです、先輩!』
「え?」
『わかりました! お手伝いします! 部隊の撤退の支援は任せてください!』
「そ、そうか。頼んだ」
『はい!』
リィカが期待に満ちた口調でまくし立て、気まずくなった俺は通信を終える。
沈黙した通信機に手を当てたまま、俺はやれやれと首を振った。
特殊執行部隊には、なぜか現場指揮官である俺に心酔している隊員が多い。
新人のリィカはその傾向が特に強い。
俺がうっかり執行部隊の名誉を重んじるような発言をしたことで、リィカは自分たちが気遣われていると思いこんでしまったのかもしれない。俺としては任務に失敗して、生徒会宛てに言い訳の報告書を書くのが面倒だっただけなのだが。
まあいいか、と俺はすぐに気を取り直し、ライフルの弾倉を交換した。
そして廃棄モジュールの中心部に向かって、薄暗い通路の中を歩き出す。
「なんだ、この施設は……まるで、監獄だな」
天環の主な材質は、アルミニウムを主成分にした未知の合金だ。それはこの廃棄モジュールも変わりない。
しかし俺が過去に目にしたどのモジュールよりも、今回の落下物の隔壁は分厚く頑丈だった。
外からの侵入者を防ぐのではなく、中にいる〝なにか〟を逃がさないために設計されたとしか思えない歪な構造だ。
凶暴な獣を閉じこめるための頑丈な檻。あるいは、危険な爆発物を封印するための保護容器。そんな感じのなにかを見ている気分だ。
この先のどこかに、天人種族が恐れるなにかが潜んでいる。無人の通路を進むにつれて、そんな予感が強くなってくる。
「モジュールの中心は、このあたりのはずだが……」
俺は装備していた爆薬で隔壁を破って、落下物の最深部へと侵入した。
大気圏突入時の熱や衝撃の影響も、ここまでは到達していない。
モジュール内の空気はひんやりと冷めて、外部から隔離されたような静謐さに満ちていた。
そんな中、俺の侵入に呼応するように、なにかが動く気配がある。
圧縮空気が漏れ出す排気音とともに、モジュールの奥に無造作に置かれた巨大な金属容器の蓋が開いた。
いったいどんな化け物を閉じこめているのかと、俺は油断なく容器へと銃口を向けた。
その直後──
膨大な量の液体が容器の隙間から噴き出して、蒸気の霧がモジュール内を満たす。
そして霧の中に浮かび上がる小柄な影を見て、俺は呆然と息を吞んだのだった。