聖女と暴食

序章 Prologue ②

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 えんとう形の金属容器は、あわい水色の液体に満たされていた。


 容器の直径は二メートル前後。高さは一メートルほどだろうか。円形のふたげた姿は、ちょうど馬鹿でかいかんづめのようだ。


 容器を満たした液体の中には、シロップけの果物の代わりに、白っぽいかげかんでいた。

 ほっそりとした体型のがらな少女──人間だ。


 モジュールのてんじよう穿うがたれたれつからしこんだ陽光が、少女の姿をやわらかく照らし出す。


 彼女が着ているのは、セーラーカラーのケープが付いたノースリーブのワンピース。

 俺の知らない学区の制服だ。


 液体の中をたゆたう少女の姿は、まるで水のせいれいのように美しかった。

 白いスカートのすそがふわりと広がって、優美な熱帯魚のびれに見えた。


 だが、その優美ないは、そう長くは続かなかった。


 液体の中でハッと目を見開いた彼女は、きようがくしたように周囲を見回すと、とつぜんあしまわしてジタバタと暴れ始めたのだ。冷静になればおぼれるような水深ではないはずだが、軽くパニックになっているらしい。


 そしてあくせんとうの末、少女はどうにか水面から顔を出すことに成功した。

 容器のへりにぐったりともたれて、彼女は肺の中にまった水をく。


「けほっ……けほっ、ごほっ……」


 なみだになってきこむ少女の姿を、俺はしばらくぼうぜんながめていた。


 金属容器を満たしていた水色の液体の正体は、たいけんとつにゆう時の熱やしようげき、急激な気圧の変化などから人体を保護する、ベンチレーシヨンリキツドなのだろう。

 つまりこのきよだいかんづめもどきは、てんじん種族の非常だつしゆつ用カプセルだったのだ。


 それならはいモジュールの中にいた少女が、生きて地上に辿たどいたことにもなつとくできる。だからといって、彼女がこんなところに閉じこめられていた理由の説明にはならないが。


「うう……おぼれ死ぬかと思いました……ごほっ……」


 ようやく呼吸を整えた少女が、まえがみから垂れるすいてきぬぐって顔を上げた。

 そんな少女のむなもとへと、俺は無造作にじゆうこうを向ける。


「動くな」

「はい?」


 少女が、目をしばたかせながら俺を見た。


 全身ずぶれのせいで気づかなかったが、よく見ればれいな顔立ちの少女だった。


 ねんれいは十五、六歳くらい。俺とほとんど変わらない。


 かみの色はとおるようなぎんぱつかがやく宝石にも似たあおひとみ

 幼さを残した顔立ちはたんせいで、それでいてねこのようなあいきようもある。


 そして、耳。けものの耳。彼女の頭の上では、大きなけもの耳が小刻みに動いていた。


 それがてんじん種族のとくちようなのかどうか、俺は知らない。


 ただし彼女がめずらしい固有能力の持ち主であるのは、ほぼちがいないだろう。

 見た目以上のせんとう力の持ち主という可能性も大いにあり得ることだ。無害に見えても油断はできない。


「こちらの言葉は理解できるな? 立ち上がって、ゆっくりと両手を上げろ」

「は、はい!」


 けものの耳の少女は、俺の命令になおに従った。


 しかしじゆうおそれている様子はない。

 びするようにりよううでを垂直にばしながら、不思議そうに小首をかしげている。自分が置かれているじようきようが、今ひとつ理解できていないらしい。


 俺はうんざりと息をきながら、へいたんな口調で少女にく。


「おまえ、てんじんか? なぜ天環オービタルはいモジュールに乗っている?」

はいモジュール?」


 少女はげんそうに周囲をきょろきょろと見回した。


 それに合わせて彼女のけものの耳がぴこぴこと動き、俺は無表情をよそおいつつも、目をうばわれないように必死でゆうわくえた。なんだあれ。めちゃめちゃモフりたい。


「もしかしてここは地上ですか? わたしたち、捨てられちゃったんですか?」

「……わたしたち?」


 おどろく少女の言葉に、俺はまゆを寄せた。

 周囲の気配をさぐったが、この区画に彼女以外の生存者はいない。

 かんづめもどきのカプセルの中にも、ほかのだれかがかくれている様子はない。


「でも、わたし、まだ生きてますよね? それってとってもまずいと思うんです」


 まどう俺に向かって、少女が告げた。

 彼女の声ににじんでいるのは、かくしきれないしようそう感と、なぜか俺をづかうような気配だった。

 理由はわからないが、彼女はひどあせっているのだ。


げたほうがいいです。今すぐここからはなれてください」

「なに?」

ばくだんが落ちてきます。たぶん、もうすぐ」

「……ばくだん?」

「はい。このあたり一帯をまるごとばすようなすっごいやつです」


 少女が両手をぶんぶんと上下させた。

 みようわいらしい仕草だが、発言そのものはぶつそうこの上ない内容だ。


 しかし彼女のひとみしんけんで、本気で警告しているのが伝わってくる。少なくともおどしやハッタリのたぐいを口にしているとは思えない。


「なぜてんじんばくだんを投下する? おまえを始末するためか?」

「ええと、たぶんそういうことになると思います」


 少女がしゅんとかたを落としてうなれる。


「どうしてだ? おまえはいったいなにをした?」

「まあそれは、こうなるまでにいろいろありまして……あはは……」


 あいまいに笑ってそうとする彼女を、俺は冷ややかににらみつけた。

 少女の言葉が真実なら、てんじんたちは彼女を地上にとうしただけではらず、どう上からのばくげきで彼女をばそうとしていることになる。


「…………」


 いったいなにをしたらてんじんにそこまできらわれるのかと、俺はろんまなしで彼女を見た。


 そのとき不意に俺の通信機がふるえた。管制係からのきんきゆう通信だ。


『──ハンズシツクス! ハルせんぱい! 聞こえますか!? ヤバいです、非常事態です!』

「……落ち着け、リィカ。なにがあった?」


 ライフルをけもの耳の少女に向けたまま、俺はリィカ・タラヤの呼び出しに応答する。


天環オービタルから、どうばくげきミサイルが発射されました!』


 どうようかくせずにいるこうはいの声に、俺は無言で顔をしかめた。

 通信の内容そのものよりも、けもの耳の少女の予言が現実になったことにまどったのだ。


てんじんが地上に向けてミサイルをったのか? こうげき目標はどこだ?」

『アストキク地区、はいモジュール落下地点! 私たちがいるこのエリアです!』


 思いつく中でも最悪のじようきように、俺はたまらず舌打ちした。


 どうばくげきミサイルは、文字どおり地球周回どう上から地上に向かって放たれる対地こうげき兵器だ。記録によれば〝学園〟の反乱をちんあつするために、過去に何度か使用されたことがある。


 音速の二十倍をえる終末速度を持つため、地上からのげいげきはほぼ不可能。そしてりよくは、ほかの通常兵器とはかくにならない。

 ちよくげきすればこのきよだいはいモジュールですら、いつしゆんくされることになるだろう。


 発射されたどうばくげきミサイルが地上にとうたつするまでの所要時間は、長くてもせいぜい十数分。あれこれ迷っている時間はない。


「部隊のてつ退たいを急がせろ。ミサイルにとうさいされているのがねつばくどうだんとうなら、かい半径はそれほど広くない。今なら、まだじゆうぶんれるはずだ」

『ハルせんぱいはどうするんですか!?』


 インカムの向こうから悲鳴のような声が聞こえてくる。

 俺がいる場所は、はいモジュールの最深部。一度も迷わず最短経路をったとしても、ミサイルのちやくだんまでにだつしゆつするのは不可能だ。


「こちらのことは気にするな。自力でなんとかする」

『なんとかするって、どうやって!? ちょっと、せんぱい!? ハルせんぱい!』


 必死でさけんでいるリィカを無視して、俺は通信機の電源を切る。


 その直後、少し困った表情をかべたけもの耳の少女と目が合った。

 無線の内容は聞こえていなくても、外でなにが起きているのか、彼女にもだいたいの予想はついているはずだ。


 てんじんが保有するどうだんとうメテオライトがいへきをたやすくやぶり、せつ三千度に達する高温高圧のばくふうでモジュール内部をくす。

 もちろん中にいる人間など、ひとたまりもないだろう。


 そのことを少女が理解しているのかどうかはわからない。

 しかし彼女のひとみには、おびえの色はかんでいなかった。

 むしろ自分の事情に俺を巻きこんでしまったことを、申し訳なくすら思っているようだ。


「やっぱりばくだんが落ちてくるんですね?」


 少女がえんりよがちな口調でいてくる。

 俺はうなずいて重々しくためいきらした。


「どうやらそのようだ。悪いな。きみのことを助けてやれそうにない」

「…………」


 少女がおどろいたような顔で俺を見返した。


 俺が当然のように少女を助けようと考えたのが、彼女には意外なことだったらしい。

 自分のむなもとにそっと手を当てて、少女はしんけんに考えこむ。


「あの、もしあなたが手伝ってくれるなら、ばくだんはどうにかするって言ってるんですけど……」

「どうにかする? だれが?」


 少女のみような言い回しを、俺はげんな声でとがめた。

 気まずそうに視線を泳がせながら、少女はぼそぼそと返答する。


「ゼブくんが……ええと、私のお友達、なんですけど……」

「なるほど」


 どこからどう見てもこの場には、俺と彼女の二人しかいない。

 つまり彼女が言うゼブくんなる友人は、実在しない空想上の存在。イマジナリーフレンドというやつなのだろう。


 あまり深くっこんではいけない話題だ、と俺はばやく判断する。


 おそらくばくだんせまっているというきようで、彼女の精神状態もギリギリなのだ。められた人間があり得ないもうそうにすがる──執行部隊ハンズの新人たちもたまにおちいしようじようだ。


「もちろん俺に手伝えることがあるならなんでもする。俺たちがそれで助かるのならな」

「本当ですか!? わかりました、感謝します!」


 はげますように俺がやさしく告げると、少女は表情を明るくした。


 俺は今もライフルを構えたままだった。

 しかし彼女はおそれることなくかんづめもどきからると、俺とのきよめてくる。


 そしてたがいの息がかかるくらいまで密着したところで、少女は大きなひとみらした。


くわしく説明する時間がありませんので、先に謝っておきます。ごめんなさい」


 ライフルにえていた俺の手を、少女がそっとにぎりしめる。

 そしてやわらかなほほみをかべたがらな彼女は、その手をごういんに引き寄せて、


がれ──」


 自分の豊かな胸の谷間へと、無理やり押し当てたのだった。