聖女と暴食

第一章 ラプトルのパチャマンカ ①

1


 夢を見た。名もなきしつこくかいぶつの夢だ。


 そのかいぶつえていた。数え切れないほどのほろぼし、どれだけ多くの命をらっても、彼の空腹が満たされることはなかった。


 殺して、らう。らって、殺す。

 そしてらう。らいくして、また殺す。


 果てしない感にうごかされるまま、彼はさつりくかえし、やがて傷つきちからきる。

 そしてかいぶつとらわれた。そんな救いのない夢だった。


 だがそのいんうつな夢の結末を、俺が目にすることはなかった。


 グルグルとうなり声がひびき、それにこされるようにして俺はねむりから目覚めたからだ。

 かいぶつうめきにしてはかんだかい、みようわいらしい音だった。


「う……」


 まぶたの開ききらないぼやけた視界に、午後の陽光がしこんでくる。


 身体からだが重い。全身がだるい。

 目覚めて最初に気づいたのは、全身をおそきようれつけんたい感だ。

 限界をえてほうを行使した直後の、りよくかつしようじように似ている。なにがあったのかすぐには思い出せないが、俺の意識がえていたのは、そのりよくかつが原因なのかもしれない。


 つん、とけた大気のにおいが鼻をいた。


 大きな火災の直後のような、不快なげきしゆうが風に乗って流れてくる。

 けたじゆや化学せんにおい。どうだんとうがまき散らした熱しようげきこんせきだろう。


 どうだんとう──


 その単語がきっかけになって、まだ半かくせいだった俺の意識は一気にせんめいさをもどした。


 てんじん種族の放ったどうばくげきミサイル。ばくしん地に取り残された俺たちは、せつ三千度をえるほのおに焼かれて、確実に命を落としているはずだった。


 それなのに、なぜか今も俺は生きている。


 いったいなにがあったのか。メテオライトはどうなったのか。はいモジュールの最深部で俺が出会った少女はどこに行ったのか──


 それを確かめようと起き上がりかけて、俺は頭上にある障害物の存在に気がついた。


 あおけに横たわっている俺の視界を、不思議な物体がふさいでいる。

 呼吸するようにゆるやかに上下する、果実のような半球状のふくらみ。

 それが女性の胸部だと気づく前に、頭上から声が聞こえてきた。


「おはようございます。気がついたんですね、よかった」


 転がるすずの音のように美しくんだ、それでいてきんちよう感のとぼしいやわらかなこわ

 はいモジュールの中で俺が出会った、銀色のかみの少女の声だ。


 どこか間のけたそのあいさつに、俺はすぐには反応できずに固まった。

 そんな俺の顔を少女がのぞきこんでくる。どうやら彼女は今までずっと、意識をなくした俺をひざまくらしてくれていたらしい。


「…………」


 俺は内心のどうようおさえて、自らの現状をかくにんした。


 上着はない。俺のタクティカルジャケットは、なぜか目の前の少女が羽織っていたからだ。


 だが、それ以外の装備をうばわれたというわけではない。けんじゆうやナイフも装着したままだ。


 視覚、ちようかくともに異常なし。手やあしも問題なく動く。こうそくされている様子はないし、目立つ傷もない。意外なことに残存りよくの量もじゆうぶんだ。だるさはあるが最低限のせんとうに支障はない。


 もっとも、目の前の少女とせんとうになる可能性はきわめて低かった。

 その意味では、運が良かった、と言っていいのだろう。彼女がその気なら、意識をなくしている俺にとどめをす機会はいくらでもあったのだから。


「どこだ、ここは? メテオライトはどうなった?」


 俺は、ゆっくりと起き上がりながら少女にいた。


 さすがにひざまくらされたままの無防備な姿で、彼女と会話をする気にはなれなかった。

 なにしろ少女の胸がじやをして、俺たちはまともに目を合わせることもできないのだ。見た目、がらきやしやな彼女だが、ずいぶんと立派なものをお持ちらしい。


「……メテオライト?」


 俺の質問に、ぎんぱつの少女が小首をかしげる。

 その動きに合わせて、彼女の頭頂部のけものの耳がパタンとたおれた。


 それを見て、俺は内心のどうようを必死でころす。わざとやっているわけではないのだろうが、あざとすぎる仕草だ。なんだそれ。めちゃめちゃモフりたい。


「そうか。メテオライトというのは地上から見た言い方だったな。きみが乗っていた天環オービタルはいモジュールのことだ。てんじんのミサイルにねらわれていたはずだが?」


 ためいきまじりに説明しながら、俺は周囲を見回した。

 少女の答えを待つまでもなく、はいモジュールのありはすぐにわかった。


 夕暮れのこう。砂にもれかけた岩の大地に、高層ビルを逆さまにしたようなメテオライトざんがいさっている。

 つつじようきよだい構造物のがいかくは、高温のしようげきあぶられてほとんど原形をとどめていなかった。


 周囲の地面もばくふうで深くえぐられて、どうだんとうがまき散らしたこうのうが、その中にきりのようにたいりゆうしている。やはりてんじんの軌道ばくげきミサイルは、ちがいなく地上にちやくだんしていたのだ。


 俺たちの今いる場所からメテオライトまでのきよは、四、五百メートルといったところか。ギリギリでどうだんとうの殺傷はんけんがいだ。


 しかしミサイルが飛来するまでのわずかな時間に、はいモジュールの最深部から移動できるようなきよでもない。少なくとも俺一人の能力では絶対に不可能だ。


「なにがあったのか、説明してもらえるか?」


 俺は、なるべく中立的なことづかいで彼女にく。


 目の前の少女が敵とは思わないが、だからといってじんちく無害という保証もない。本人の言葉を信じるなら、彼女はてんじんに命をねらわれるような存在なのだ。


 しかし、そんなふうにこつけいかいする俺の目の前で、少女は深々と頭を下げた。その場で土下座せんばかりの勢いだった。


「ごめんなさい!」

「……なんの話だ?」

「あの、これ、全部食べちゃいました!」


 少女はまどう俺に向かって、ちぎれたアルミはくを差し出してくる。

 カラフルなラミネート加工がほどこされた、のラッピングフィルムである。


「食べたって、チョコレートバー……? 俺のサバイバルキットに入っていたやつか?」

「はい。この服をお借りしたときに見つけてしまって、どうしてもまんできずに勝手に食べてしまいました……」


 少女がそう言って、しゅん、とかたを落としてうなれた。


 飼い主にしかられて反省している犬のような仕草だ。

 とはいえ、彼女が食べたのは、しょせんチョコレートである。それも部隊の支給品の安物だ。


「そうか。いや、べつにそれは構わないが」

「本当ですか? でも、あんなにしいものを、わたし一人で食べてしまうなんて」

いか、それ?」

「はい! こんなにしいおは初めて食べました! ぐずっ……あなたに感謝を……」

「泣くほどか!?」


 目のはしなみだかべた少女を見て、俺は思いがけずどうようした。


 なにしろサバイバルキットのチョコレートといえば、保存性とせつしゆカロリーだけを追求して味のことなどまったく気にしておらず、甘いどろ、食べるばつゲーム、人体に無害なだけのもうどく、などと散々にいわれているしろものだったからだ。


「まあ、非常食の話はどうでもいい。それよりも、きみはいったい何者だ?」

「え? わたしですか……?」


 俺にかれて、少女が大きな目をパチパチとしばたいた。まさか自分に興味を持つ人間がいるとは思ってもみなかった、と言わんばかりの反応だ。


「わたしはアナセマです。アナセマ・シーセヴン」


 少女はにこやかにほほんで、あっさりと自分の名前を口にする。

 そのまがまがしい言葉のひびきに、俺はこんわくして目をすがめた。


「アナセマ……? それは本名なのか? 人間につけていい名前じゃないと思うが?」

「ええっ!? でも、昔からずっとそう呼ばれていたんですけど……」

「そ、そうか」


 すまない、と俺はなおに非礼をびた。

 アナセマという単語の意味は〝のろいの言葉〟。あるいは〝きらわれる人間〟だ。

 ひかえめに言っても子供につけるような名前ではない。


 だが、いかなる理由があれ、それが彼女の名前である以上、そのことを非難するべきではないだろう。そう考える程度の分別は、俺もいちおう身につけている。