聖女と暴食

第一章 ラプトルのパチャマンカ ②

「俺はハルだ。ハル・タカトー。〝学園〟高等部の二年生。第七学区アザレアスの特殊執行部隊〝インビジブル・ハンズ〟に所属している」


「アザ……レアス? しっこーぶたい?」

「ああ、そうだな。そこからか」


 混乱してまゆじりを下げる少女をながめて、俺は小さくかたをすくめた。


 地上の生徒ならだれもが知っているはずの的な情報を、目の前の少女は持ち合わせていない。彼女が天環オービタルの住人というあり得ない事実が、ぜんしんぴよう性を増していく。


「いくらなんでも〝学園〟はわかるな?」

「はい。地上で、生徒のみなさんが暮らしているですね」


 少女が少しホッとしたようにうなずいて言った。ああ、と俺はしゆこうする。


「〝学園〟は全部で七十二の学区に分かれていて、各学区をそれぞれの生徒会が管理している。俺が所属している〝アザレアス〟は、その中で七番目に古い学区だな」

「そうなんですね」


特殊執行部隊インビジブル・ハンズというのは、その第七学区アザレアスが保有している自衛組織というか独自戦力というか、要するに雑用係みたいなものだ」

「まあ」


「それで今回はてんじん種族のはいモジュール調査が、俺たちの任務だったというわけだ」


 ゆうに照らされたメテオライトざんがいを指さして、俺はうすく息をした。


 第七学区アザレアス直属のせんとう集団である特殊執行部隊インビジブル・ハンズは、学区内でも特にゆうしゆうな生徒で構成されたエリート集団だ。しかし、さすがに自分でそれを口にするほど俺は厚かましくはなれない。


「ええと、すみません、ハルタ・カトウさん」

「タカトーだ。ハル・タカトー」


 だれがカトウだ、と俺は思いきり顔をしかめた。


「ハルでいい。俺もきみのことはアナと呼ばせてもらう。てんじんの常識は知らないが、地上ではきみもそう名乗っておいたほうがめんどうがなくていいと思うぞ」

「あ、はい。アナ……アナですね。わかりました」


 少女は俺の忠告をなおに受け入れた。むしろアナというひびきが気に入ったのか、彼女は何度も、アナ、アナ、と口の中でかえす。


「えへへ……」

「なんだ?」

「それってあいしようですよね。親しいお友達にあいしようで呼んでもらうのって、うれしくないですか?」

あいしようというよりもめいだな。俺ときみは親しくないし、友達になった覚えもない」


 俺は真顔で少女の言葉をていせいした。

 少女──アナはひどいショックを受けたように、なみだになって動きを止める。


「そ、そんな……」

「それよりも、このじようきようについて説明してくれ。どうだんとうちよくげきを受けて、どうして俺たちは生きている? きみはいったいなにをした?」


 ほうかいしたはいモジュールを指さして、俺は厳しくただした。


 俺が覚えているのは、自分とアナがあのはいモジュールの最深部にいたこと。そしててんじんどうばくげきミサイルが、そこにちこまれたことだけだ。

 ミサイルがちやくだんする直前に俺のおくれて、再び意識をもどしたときには、アナと二人でこのこうに放り出されていた。


「もしかして覚えてないですか?」


 しかし俺に問いかけられたアナは、いぶかるように首をかしげる。


「覚えてない? なにを?」

「わたしを助けてくれたのは、ハルくんなんですけど」

「馬鹿な。俺が? どうやって?」


 あり得ない、と俺は首をった。あのじようきよう下ではいモジュールからだつしゆつするのは、俺の能力では絶対に不可能だ。ましてやアナを連れてげるゆうなどあるはずもない。


 しかしアナは、なぜか少し困ったように目をらしながらうつむいて、


「それは、その、私からゼブくんの力を取り出して……」

「ゼブ? ああ……きみの想像上の友達のことか」


 俺が意識を失う直前、はいモジュールの中でもそんなことを言っていたな、と思い出す。


「想像上? いえ、ちがいますよ? 実在しますよ?」

「すまない。そういえば、そういう設定だったな」

「いや、その顔、全然信じてませんよね!? 設定とかじゃないですから……!」


 アナがムキになって主張する。

 彼女の感情のたかぶりに反応してけものの耳がピコピコと動くのが、そばで見ているとものすごくおもしろい。


 なおも物言いたげにしているアナを俺がだまってながめていると、不意に背後から声がした。


『──そこのむすめの言うとおりだ、わつぱ。我はもうそうの産物などではない』

「っ!?」


 頭で考えるより先に、訓練された肉体が無意識に反応した。

 とつけんじゆういた俺は、安全装置を解除すると同時にじゆうこうを声の主へと向ける。


 俺のすぐそばの岩の上にいたのは、小さなそくじゆうだった。

 体長三十センチに満たない小型犬だ。


 色は黒。ひかりかがやくアナのぎんぱつと、ちょうどついになるようなしつこくの毛並みだ。


「ゼブくん!?」


 とつぜん現れた黒犬に気づいて、アナがきようがくの声を上げた。「ゼブ?」と俺はまゆを寄せる。


「なんだ、この犬は?」


 黒犬の鼻先にけんじゆうきつけたまま、俺はアナに問いかけた。


 まえれもなく出現したことにはおどろいたが、その黒犬からは敵意を感じない。内包しているりよくもたいしたことはなさそうだ。それでもけいかいを解く気にはなれない。


 そんな俺の質問に答えたのは、アナではなく黒犬自身だった。


『犬ではない。我が名はベエルゼブブ。なんじら人間どもが、暴食の悪魔と呼ぶ存在だ』


 尊大な口調で人の言葉をしやべるその犬をながめて、俺はしばらく言葉をなくすのだった。