「俺はハルだ。ハル・タカトー。〝学園〟高等部の二年生。第七学区の特殊執行部隊〝インビジブル・ハンズ〟に所属している」
「アザ……レアス? しっこーぶたい?」
「ああ、そうだな。そこからか」
混乱して眉尻を下げる少女を眺めて、俺は小さく肩をすくめた。
地上の生徒なら誰もが知っているはずの基礎的な情報を、目の前の少女は持ち合わせていない。彼女が天環の住人というあり得ない事実が、俄然、信憑性を増していく。
「いくらなんでも〝学園〟はわかるな?」
「はい。地上で、生徒の皆さんが暮らしている都市ですね」
少女が少しホッとしたようにうなずいて言った。ああ、と俺は首肯する。
「〝学園〟は全部で七十二の学区に分かれていて、各学区をそれぞれの生徒会が管理している。俺が所属している〝アザレアス〟は、その中で七番目に古い学区だな」
「そうなんですね」
「特殊執行部隊というのは、その第七学区が保有している自衛組織というか独自戦力というか、要するに雑用係みたいなものだ」
「まあ」
「それで今回は天人種族の廃棄モジュール調査が、俺たちの任務だったというわけだ」
夕陽に照らされた落下物の残骸を指さして、俺は薄く息を吐き出した。
第七学区直属の戦闘集団である特殊執行部隊は、学区内でも特に優秀な生徒で構成されたエリート集団だ。しかし、さすがに自分でそれを口にするほど俺は厚かましくはなれない。
「ええと、すみません、ハルタ・カトウさん」
「タカトーだ。ハル・タカトー」
誰がカトウだ、と俺は思いきり顔をしかめた。
「ハルでいい。俺もきみのことはアナと呼ばせてもらう。天人の常識は知らないが、地上ではきみもそう名乗っておいたほうが面倒がなくていいと思うぞ」
「あ、はい。アナ……アナですね。わかりました」
少女は俺の忠告を素直に受け入れた。むしろアナという響きが気に入ったのか、彼女は何度も、アナ、アナ、と口の中で繰り返す。
「えへへ……」
「なんだ?」
「それって愛称ですよね。親しいお友達に愛称で呼んでもらうのって、嬉しくないですか?」
「愛称というよりも偽名だな。俺ときみは親しくないし、友達になった覚えもない」
俺は真顔で少女の言葉を訂正した。
少女──アナは酷いショックを受けたように、涙目になって動きを止める。
「そ、そんな……」
「それよりも、この状況について説明してくれ。魔導弾頭の直撃を受けて、どうして俺たちは生きている? きみはいったいなにをした?」
崩壊した廃棄モジュールを指さして、俺は厳しく問い質した。
俺が覚えているのは、自分とアナがあの廃棄モジュールの最深部にいたこと。そして天人の軌道爆撃ミサイルが、そこに撃ちこまれたことだけだ。
ミサイルが着弾する直前に俺の記憶は途切れて、再び意識を取り戻したときには、アナと二人でこの荒野に放り出されていた。
「もしかして覚えてないですか?」
しかし俺に問いかけられたアナは、訝るように首を傾げる。
「覚えてない? なにを?」
「わたしを助けてくれたのは、ハルくんなんですけど」
「馬鹿な。俺が? どうやって?」
あり得ない、と俺は首を振った。あの状況下で廃棄モジュールから脱出するのは、俺の能力では絶対に不可能だ。ましてやアナを連れて逃げる余裕などあるはずもない。
しかしアナは、なぜか少し困ったように目を逸らしながらうつむいて、
「それは、その、私からゼブくんの力を取り出して……」
「ゼブ? ああ……きみの想像上の友達のことか」
俺が意識を失う直前、廃棄モジュールの中でもそんなことを言っていたな、と思い出す。
「想像上? いえ、違いますよ? 実在しますよ?」
「すまない。そういえば、そういう設定だったな」
「いや、その顔、全然信じてませんよね!? 設定とかじゃないですから……!」
アナがムキになって主張する。
彼女の感情の昂ぶりに反応して獣の耳がピコピコと動くのが、傍で見ているとものすごく面白い。
なおも物言いたげにしているアナを俺が黙って眺めていると、不意に背後から声がした。
『──そこの娘の言うとおりだ、小童。我は妄想の産物などではない』
「っ!?」
頭で考えるより先に、訓練された肉体が無意識に反応した。
咄嗟に拳銃を引き抜いた俺は、安全装置を解除すると同時に銃口を声の主へと向ける。
俺のすぐ傍の岩の上にいたのは、小さな四足獣だった。
体長三十センチに満たない小型犬だ。
色は黒。光輝くアナの銀髪と、ちょうど対になるような漆黒の毛並みだ。
「ゼブくん!?」
突然現れた黒犬に気づいて、アナが驚愕の声を上げた。「ゼブ?」と俺は眉を寄せる。
「なんだ、この犬は?」
黒犬の鼻先に拳銃を突きつけたまま、俺はアナに問いかけた。
前触れもなく出現したことには驚いたが、その黒犬からは敵意を感じない。内包している魔力もたいしたことはなさそうだ。それでも警戒を解く気にはなれない。
そんな俺の質問に答えたのは、アナではなく黒犬自身だった。
『犬ではない。我が名はベエルゼブブ。汝ら人間どもが、暴食の悪魔と呼ぶ存在だ』
尊大な口調で人の言葉を喋るその犬を眺めて、俺はしばらく言葉をなくすのだった。