「それで変異種の肉のことだけど、うちらに譲ってもらうわけにはいかないかな?」
ひとしきりアナの料理を褒めちぎったところで、リュシエラがさりげなく切り出した。
『ならぬ』
答えたのは俺やアナではなく、黒犬だった。
なんでよぅ、とリュシエラが情けない声を出す。
「四日だよ。うちら学食部は四日もかけてあいつを追い回してたんだよ。それをきみたちは横取りしたんだから、少しは遠慮しようとは思わない?」
「……うちら? 追跡してたのは、あんただけじゃなかったのか?」
俺は少し驚いて訊き返す。
その驚きの半分は、仲間をほっといてこんなところで飯を喰っていていいのか、という部分だ。
「補給と後方支援担当のトレーラーが、あの山の向こうに待機してるんだよ。あたし一人じゃ、変異種を仕留めても〝学園〟まで持って帰れないから」
「あんた一人で変異種を倒すつもりだったように聞こえるな」
「まあ、なんとかなったんじゃないかな。実際、ハル・タカトーも一人で倒してるわけだし」
リュシエラは気負いのない口調でそう言った。
それがただの虚勢とは思わなかった。彼女が一人で、フレイムボア変異種を追いかけていたのは事実だからだ。
あの変異種を仕留めるために、俺は電磁投射砲を使わざるを得なかった。
もしリュシエラが本当にあれを一人で倒せたというのなら、彼女には、俺の切り札に匹敵する攻撃手段があるということになる。
しかしそんなリュシエラに対しても、黒犬の尊大な態度は変わらない。
『あれは我らが狩った獲物だ。たとえ臓物の一片たりとも貴様らに下賜してやる義理はない』
「狩ったのは俺で、おまえはなにもしていないが」
「そもそも内臓、捨てようとしてたよね」
『捨ててない。解体の途中だっただけだ』
俺とリュシエラのツッコミに、黒犬はムキになって反論した。とても凶悪な魔導兵器とは思えないガキっぽい態度だ。
「まあまあ、もちろんタダで寄越せとは言わないよ。それなりの見返りは用意するけど?」
リュシエラは、そう言ってなぜか俺に向かって片目を瞑ってみせる。
「見返り?」
戸惑う俺にうなずき返して、彼女はアナへと向き直った。
「ねえ、アナちゃん、学食部に入らない?」
「学食部、ですか?」
「うん。正式名称は学生食堂経営研究部。第七学区の学生食堂を運営する部活だよ。あたしはそこの部長なんだ」
「……学生食堂?」
そんなものが第七学区にあったのか、と俺は意外に思う。十年以上も第七学区にいる俺ですら、そんなものが存在するとは知らなかった。どれだけマイナーな施設なのかと、逆に感心するほどだ。
「学食部に入ってくれるなら、アナちゃんの学籍はあたしがどうにかするよ。チャチな偽造なんかじゃない、ちゃんとしたやつをね」
「そんなことができるのか?」
俺は目を瞠りながらリュシエラを見た。
生徒会所属の俺の前で学籍情報の不正操作を仄めかすのもどうかと思うが、もしそれが可能なら、アナを取り巻く状況は劇的に改善することになる。
「うちの部は学食連盟に加入してるから、ほかの学区とも付き合いがあるんだよ。ちょうど第三学区の学食部にはいくつか貸しがあるから、それを返してもらおうかな」
リュシエラは事も無げにそう言った。
「学食部は正規の部活動なのか? 第七学区に学生食堂があるという話は、聞いたことがないんだが」
「あははは。まあ、うちの食堂の客層は、ちょっと偏ってるからね。マイナーなのはしょうがないかな。でも、大丈夫。学食部は生徒会公認のちゃんとした部活だよ」
「ということは、寮もあるんだな?」
「うん。入部してくれれば、衣食住の心配は要らないよ」
俺の立て続けの質問に、リュシエラはきっぱりと断言する。
彼女の提案は悪くなかった。むしろ、この上なく有り難い申し出だといえた。
第七学区の住宅事情は決して良好とは言い難く、一般生徒用の学生寮では、二人部屋や三人部屋が当たり前だ。生徒同士の上下関係や規則も厳しく、更には寮ごとに謎の独自ルールもあると聞いている。
天環育ちで地上の常識に疎いアナが、そんな環境でボロを出さずにやっていけるとは思えない。
一方で生徒会公認の部活にはそれぞれ独自の活動拠点が与えられており、そこには居住施設も含まれる。アナが学区外から来たことを知るリュシエラが部長というのは、ひとつの安心材料にはなるだろう。
そしてアナ本人は、俺とはべつの理由でリュシエラの提案に興味を持ったようだった。
「学生食堂を運営しているということは、美味しいご飯が食べられるのでしょうか?」
「実にいい質問だね」
リュシエラが勝ち誇ったような笑顔でうなずいた。
「我ら学食部の最終的な目的は、旧世界の人類ですらついに辿り着けなかった美食の最高峰──四星全席の探究なんだ」
『……!』
四星全席という聞き慣れない単語に、アナと黒犬が驚いて顔を上げた。
リュシエラは、まるでその反応を予期していたようにニヤリと笑い、
「だから、学食部に入ってくれれば、どこよりも美味しい食事を保証するよ」
「ゼブくん!」
『……いいだろう、小娘。あの野猪の魔臓はくれてやる』
アナが瞳を輝かせて黒犬に呼びかけ、黒犬は渋々と息を吐き出して同意した。
「ふふっ、交渉成立だね。よろしくね、アナちゃん」
「はい。よろしくお願いします!」
リュシエラは満足げに微笑みながら、頭を下げたアナの獣耳を両手でもふもふと揉みほぐす。
俺はそんなリュシエラの姿を、表情を消したまま無言で見つめた。彼女に対してずっと感じていた、かすかな疑念が濃さを増していく。
「どうしたんだい、ハル・タカトー。そんなに恐い顔をして」
「あんたは何者だ、リュシエラ・クリトウ。あんたがここで俺たちに会ったのは、偶然か?」
俺はリュシエラに疑問をぶつけた。リュシエラはその疑問に、もちろん、とうなずき返す。
「そうだよ。アナちゃんみたいな逸材に会えて運がよかったよ。パチャマンカは美味しかったし、魔臓も手に入ったし、それにこの耳の触り心地ときたら。ほらほら、羨ましい?」
リュシエラは俺に見せつけるように、アナの獣耳をモフり続ける。困ったような表情を浮かべつつ、されるがままになっているアナを、俺は再び無表情に眺めた。
アナが〝学園〟の生徒資格を得られるのは、学食部の支援があるからだ。ここでリュシエラと出会わなければ、アナを第七学区に迎え入れるのは不可能だった。
リュシエラが俺たちの前に現れたのは、アナにとってあまりにも都合が良すぎるのだ。とても偶然とは思えないほどに。
だが一方で、彼女がフレイムボアの変異種を追いかけていたという話が、その場凌ぎの作り話とも思えない。アナが廃棄モジュールとともに地上に落ちてくることや、魔導弾頭の直撃を切り抜けるのをリュシエラが予想できたはずもない。
学食部が胡散臭いのは事実だが、結局はリュシエラの言葉を信じるしかないのだ。
「俺からもひとつ頼みがあるんだが、聞いてもらえるか?」
薄く溜息をつきながら、俺は重々しく切り出した。
「なにかな?」
リュシエラが怪訝そうに眉を上げて訊き返す。
そして俺の次の言葉を聞いた彼女は、一瞬驚いたように目を見開き、愉快そうに笑ってうなずいたのだった。