聖女と暴食

終章 Epilogue ②

「なんのことだ?」

「技術開発部の部長が悲鳴を上げてたよ。ちようともメンテに出されるとは思わなかったってさ」

「…………」


 ヒオウの言葉に俺はちんもくした。


 俺以外に使える者がいないのだから当然だが、俺が持つちようは、執行部隊ハンズの支給品ではなく私物である。


 それらを製造したのは、第七学区アザレアスの技術開発部。りよくのわりにせんさいな兵器であるを実戦で使用したということもあり、俺は今回そのちようを開発こうしようである技術開発部に持ちこんでメンテナンスをらいしたのだ。


 ヒオウの話を聞く限り、三日で仕上げろという俺のらいを果たすために、技術開発部はずいぶん苦労したらしい。


「三十二メガジュール級の〝壱式プロキオン〟はともかく九十六メガジュール級の〝シリウス〟まで使うなんて、よほどのことじゃないのかい? 〝さいやく〟とでも戦ったのかな?」

「まさか」


 俺はゆっくりと首をる。

 みようかんするどいヒオウに、くるまぎれのうそは通じない。長年の付き合いで、俺はそのことをよく知っている。


 この男をす方法があるとすれば、俺が本心から信じている事実を正直に口にすることだけだ。


「俺は、あいがん動物の飼い主同士のけんに巻きこまれただけだ」

「ふーん……あいがん動物、か」


 俺の言葉を聞いたヒオウは、どこか不思議そうな表情をかべた。

 そしてカウンターのすみそべっている白いねこをちらりとながめる。


「そうか。そういうことにしておくよ。今はね」


 楽しげに笑う友人を見て、俺はだまってかたをすくめた。

 まあ、今はこんなものだろう。


◇◆◇


 学生食堂の勤務時間を終えて学食部のりようもどった俺は、食事のためにりようの食堂へと向かった。


 そこで俺が目にしたのは、なぜかぼうなみだを流すアナの姿だった。


「うう……しいです。こんなしいもの、初めて食べました」

『うむ。この熱々のにくじゆうと、ジューシーな肉あんの組み合わせは悪くないな』


 彼女たちの前に置かれているのは、蒸籠せいろに入った点心だ。いわゆるシヨーロンポーである。

 湯気をげているしたてのそれを、アナと黒犬のゼブがパンパンにほおって食べている。

 どうやら部員用の夕飯として、ラフテオが用意してくれていたものらしい。


『ふ……これだから天環オービタル育ちの物知らずな連中は困りますね』


 かんるいにむせぶアナたちをながめて、冷ややかに言い放ったのはしろねこのフーこと〝〟だ。


 彼の前に置かれているのはフカヒレスープである。

 とうめい感のあるスープにおうぎがたのフカヒレを丸ごと使った高級品だ。


 食材として使われているのは実はサメではなく、サメに似た陸生のものだったりするのだが、それでも手間がかかった料理であることにちがいはない。


『そのようなぼうな料理よりも、このていねいに下処理してくさみを消した上品な味わいとやわらかなゼラチン質の食感が至高だというのに……』


 フカヒレ風スープをピチャピチャとめながら、じようぜつに語る〝〟。そうはいいつつ、自分のぶんのシヨーロンポーはしっかり手元に確保している。単純にねこじたなので、熱々のシヨーロンポーを食べることができないのだ。情けない〝さいやく〟もあったものである。


「そういえば〝〟──おまえは今までどこにいたんだ? 天環オービタルふういんされていたわけじゃないのか?」


 俺はふと思いついて、〝〟に質問した。


〟が最初に取りいていた〝死体〟は、二カ月前の事故でかいめつした第二十六学区ペンタス陸戦隊の隊員だった。


 しかし、それ以前にこのしろねこがどこにいたのか、俺たちは知らない。少なくとも第七学区アザレアスには、それらしい〝さいやく〟が活動していたという記録は残っていない。


『やれやれ。あきれましたね、ハル・タカトー。貴方あなたは〝暴食〟の使いだというのに、そんな基本的なことすら理解していなかったのですか?』

「なに?」


 小馬鹿にしたような視線で俺を見上げてくるしろねこを、俺は冷静に見返した。

 しろねこの言い分にも特に腹は立たなかった。彼が言うところの基本的な情報を、俺が知らないのは事実だからだ。


天環オービタルふういんされた〝さいやく〟など存在しませんよ。てんじん種族とは、〝さいやく〟をおそれて地上からしたおくびようものたちのまつえいなのですから』

「馬鹿な……」


 俺は乱暴に首をって、しろねこにらむ。

 ふと見れば、アナや黒犬のゼブもおどろいたように目を丸くしていた。おまえたちも理解してなかったのか、と俺は軽いだつりよく感におそわれる。


「だったら、アナはなんなんだ? こいつらはちがいなく天環オービタルからちてきたんだが……」

『なるほど。そういうことですか。もっとも厳重にふういんされているはずの七罪源カーデイナルシンズの〝暴食〟が勝手に動き回っているから、おかしいとは思っていたのですが──』


 しろねこじようきようを理解したらしい。先ほどまでのさげすむようなふんが消えて、むしろ深刻そうなふんになっている。


天環オービタルにいるはずのない〝さいやく〟が、天環オービタルからちてきたというのなら、考えられる可能性はひとつです。だれかが持ちこんだのですよ。地上のどこかにふういんされていた〝暴食〟を、わざわざこして』

「〝さいやく〟を……こした……」


 しろねこの言葉に、俺はうすさむい感覚を覚えた。


 ふういんされていた〝さいやく〟を、手に入れようとした者がいる。その動機は理解できる。〝さいやく〟とはきようあくどう兵器であると同時に、旧世界の人類が手に入れた最大の〝力〟なのだ。


 それを完全にせいぎよすることができれば、この世界においてあつとうてきな強者の地位が手に入る。

 地上どころか天環オービタルすら支配して、文字どおり世界のすべてを手にすることができるだろう。そんなもうしゆういだいたものが、今も天環オービタルのどこかにいる。


 だからその人物は、地上にとうそうしたアナをどうばくげきミサイルを使ってまで殺そうとしたのだ。〝さいやく〟のふういんを解いたというしようを消し去って、おのれの罪をかくすために──


『だとすれば、やつかいなことですね。〝暴食〟のふういんが破られたということは、ほかの〝さいやく〟たちのふういんがいつ解けてもおかしくはないということです』

『貴様が目覚めていたように……か? 〝ひようとう〟よ』


 黒犬がシヨーロンポーを口にふくんだまま、〝〟に問いかける。

 しろねこだまってうなずいた。


 おそらく〝〟自身、なぜ自分のふういんとつぜん解かれたのか、これまで理解していなかったのだろう。

 だからとうとつに地上に現れた〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟をおそれた。自分をうために目覚めさせたのではないかと。彼の〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟に対するこうげき性は、きようの裏返しだったのだ。


だいじようです、ハルくん。なにが起きても、わたしたちがやるべきことは変わりません」


 新たにし上がったシヨーロンポー蒸籠せいろを運んできながら、アナが言った。

 彼女が言わんとしていることが、俺にはなんとなくわかった気がした。


「飯か?」

「はい。ご飯は大事です」


 アナはやわらかな表情をかべて、正面からぐに俺を見た。

 相変わらずれいな少女だと思う。

 たとえくちびるの周りがシヨーロンポーにくじゆうでテカテカとかがやいていたとしてもだ。


ナナリイのマザーが言ってました。四つの星を頂く料理こそが、すべての〝さいやく〟を従えるための手がかりだと。だからきっとわたしたちはだいじようです」


 四つの星を頂く料理──


 その名前がせいぜんせきと重なっていることは、おそらくぐうぜんではないと俺には思えた。だからせいぜんせきの名前を初めて聞いたとき、アナはあれほどおどろいていたのだと気づく。


『我もいものを食べられるなら、なんでも構わんぞ』


 黒犬が、きたないのかたのもしいのか、まったく判断がつかない口調で言い切った。

 俺はそんなアナと黒犬をながめて、なにも言わずにかたをすくめる。


 ちょうどそのとき、ガヤガヤとそうぞうしい声が聞こえてきて、学食部の部員たちが食堂に入ってきた。部長のリュシエラや料理長のラフテオ、ホール係のふたまいや、俺がまだ名前を覚え切れていないほかの部員たちもいつしよだ。その中には当然、ティルティの姿もある。


「あ……! シヨーロンポーだ! シユーマイも!」

「もしかしてこないだのフレイムボア肉で作ったやつ?」

「春巻……いただき……」

「ちょっと待て、俺たちのぶんはどこに……!?」

「部長! 時間操作は反則でしょう!?」


 彼らは用意されていたまかない料理をざとく見つけると、それらを確保するためにばやく行動を開始した。えたものたちの群れのように料理をうばう彼らの姿を見ていると、俺は、しんけんおもなやんでいるのが急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。


 アナが言っていたとおりなのかもしれない。食事は重要だ。


 このどんよくさこそが人類の生命力そのものであり、これがあるからこそ俺たちは、地上のこくかんきようでも生き延びてこられたのだ。なにしろ、あの強大なものたちですら、今となってはるべき食材に過ぎないと思えるのだから──


「とりあえず、俺も食事にするか……」


 料理のそうだつ戦に加わる決意を固めて、俺はどうもうみをかべる。


「はい、どうぞ。がれ」


 そんな俺の前に、アナがはしまんだシヨーロンポーをひとつ差し出してきた。

 その様子を見たティルティがかみしつを逆立てているが、俺は構わずアナがくれたシヨーロンポーに歯を立てた。そして、あふれ出したにくじゆうを味わいながらふと考える。


 ものとは、りよくあたえられたことによってけものたちが進化した姿なのだという。そんなものたちを生み出した旧世界の技術とは、〝さいやく〟を造り出した技術と基本的には同じものだ。


 ならば、そのものってらう、〝学園〟の生徒たちとは何者なのか。

 かつての人類が持ち得なかった力。ほうあやつる俺たちは──


 ものの命をうばって作られた料理は、とろけるほどにく。

 そしてかつての人類がおかした罪の味がした。