「なんのことだ?」
「技術開発部の部長が悲鳴を上げてたよ。電磁投射砲が二挺ともメンテに出されるとは思わなかったってさ」
「…………」
ヒオウの言葉に俺は沈黙した。
俺以外に使える者がいないのだから当然だが、俺が持つ二挺の電磁投射砲は、執行部隊の支給品ではなく私物である。
それらを製造したのは、第七学区の技術開発部。威力のわりに繊細な兵器である電磁投射砲を実戦で使用したということもあり、俺は今回その二挺を開発工廠である技術開発部に持ちこんでメンテナンスを依頼したのだ。
ヒオウの話を聞く限り、三日で仕上げろという俺の依頼を果たすために、技術開発部はずいぶん苦労したらしい。
「三十二メガジュール級の〝壱式〟はともかく九十六メガジュール級の〝弐式〟まで使うなんて、よほどのことじゃないのかい? 〝災厄〟とでも戦ったのかな?」
「まさか」
俺はゆっくりと首を振る。
妙に勘の鋭いヒオウに、苦し紛れの噓は通じない。長年の付き合いで、俺はそのことをよく知っている。
この男を誤魔化す方法があるとすれば、俺が本心から信じている事実を正直に口にすることだけだ。
「俺は、愛玩動物の飼い主同士の喧嘩に巻きこまれただけだ」
「ふーん……愛玩動物、か」
俺の言葉を聞いたヒオウは、どこか不思議そうな表情を浮かべた。
そしてカウンターの隅で寝そべっている白い子猫をちらりと眺める。
「そうか。そういうことにしておくよ。今はね」
楽しげに笑う友人を見て、俺は黙って肩をすくめた。
まあ、今はこんなものだろう。
◇◆◇
学生食堂の勤務時間を終えて学食部の寮に戻った俺は、食事のために寮の食堂へと向かった。
そこで俺が目にしたのは、なぜか滂沱の涙を流すアナの姿だった。
「うう……美味しいです。こんな美味しいもの、初めて食べました」
『うむ。この熱々の肉汁と、ジューシーな肉餡の組み合わせは悪くないな』
彼女たちの前に置かれているのは、蒸籠に入った点心だ。いわゆる小籠包である。
湯気を噴き上げている蒸したてのそれを、アナと黒犬のゼブがパンパンに頰張って食べている。
どうやら部員用の夕飯として、ラフテオが用意してくれていたものらしい。
『ふ……これだから天環育ちの物知らずな連中は困りますね』
感涙にむせぶアナたちを眺めて、冷ややかに言い放ったのは白猫のフーこと〝豹頭の悪魔〟だ。
彼の前に置かれているのはフカヒレスープである。
透明感のあるスープに扇形のフカヒレを丸ごと使った高級品だ。
食材として使われているのは実はサメではなく、サメに似た陸生の魔物だったりするのだが、それでも手間がかかった料理であることに違いはない。
『そのような粗暴な料理よりも、この丁寧に下処理して臭みを消した上品な味わいと柔らかなゼラチン質の食感が至高だというのに……』
フカヒレ風スープをピチャピチャと舐めながら、饒舌に語る〝豹頭の悪魔〟。そうはいいつつ、自分のぶんの小籠包はしっかり手元に確保している。単純に猫舌なので、熱々の小籠包を食べることができないのだ。情けない〝災厄〟もあったものである。
「そういえば〝豹頭の悪魔〟──おまえは今までどこにいたんだ? 天環で封印されていたわけじゃないのか?」
俺はふと思いついて、〝豹頭の悪魔〟に質問した。
〝豹頭の悪魔〟が最初に取り憑いていた〝死体〟は、二カ月前の事故で壊滅した第二十六学区陸戦隊の隊員だった。
しかし、それ以前にこの白猫がどこにいたのか、俺たちは知らない。少なくとも第七学区には、それらしい〝災厄〟が活動していたという記録は残っていない。
『やれやれ。呆れましたね、ハル・タカトー。貴方は〝暴食〟の使い魔だというのに、そんな基本的なことすら理解していなかったのですか?』
「なに?」
小馬鹿にしたような視線で俺を見上げてくる白猫を、俺は冷静に見返した。
白猫の言い分にも特に腹は立たなかった。彼が言うところの基本的な情報を、俺が知らないのは事実だからだ。
『天環に封印された〝災厄〟など存在しませんよ。天人種族とは、〝災厄〟を恐れて地上から逃げ出した臆病者たちの末裔なのですから』
「馬鹿な……」
俺は乱暴に首を振って、白猫を睨む。
ふと見れば、アナや黒犬のゼブも驚いたように目を丸くしていた。おまえたちも理解してなかったのか、と俺は軽い脱力感に襲われる。
「だったら、アナはなんなんだ? こいつらは間違いなく天環から墜ちてきたんだが……」
『なるほど。そういうことですか。もっとも厳重に封印されているはずの七罪源の〝暴食〟が勝手に動き回っているから、おかしいとは思っていたのですが──』
白猫も状況を理解したらしい。先ほどまでの蔑むような雰囲気が消えて、むしろ深刻そうな雰囲気になっている。
『天環にいるはずのない〝災厄〟が、天環から墜ちてきたというのなら、考えられる可能性はひとつです。誰かが持ちこんだのですよ。地上のどこかに封印されていた〝暴食〟を、わざわざ掘り起こして』
「〝災厄〟を……掘り起こした……」
白猫の言葉に、俺は薄ら寒い感覚を覚えた。
封印されていた〝災厄〟を、手に入れようとした者がいる。その動機は理解できる。〝災厄〟とは凶悪な魔導兵器であると同時に、旧世界の人類が手に入れた最大の〝力〟なのだ。
それを完全に制御することができれば、この世界において圧倒的な強者の地位が手に入る。
地上どころか天環すら支配して、文字どおり世界のすべてを手にすることができるだろう。そんな妄執を抱いたものが、今も天環のどこかにいる。
だからその人物は、地上に逃走したアナを軌道爆撃ミサイルを使ってまで殺そうとしたのだ。〝災厄〟の封印を解いたという証拠を消し去って、己の罪を隠すために──
『だとすれば、厄介なことですね。〝暴食〟の封印が破られたということは、ほかの〝災厄〟たちの封印がいつ解けてもおかしくはないということです』
『貴様が目覚めていたように……か? 〝豹頭〟よ』
黒犬が小籠包を口に含んだまま、〝豹頭の悪魔〟に問いかける。
白猫は黙ってうなずいた。
おそらく〝豹頭の悪魔〟自身、なぜ自分の封印が突然解かれたのか、これまで理解していなかったのだろう。
だから唐突に地上に現れた〝暴食の悪魔〟を恐れた。自分を喰うために目覚めさせたのではないかと。彼の〝暴食の悪魔〟に対する攻撃性は、恐怖の裏返しだったのだ。
「大丈夫です、ハルくん。なにが起きても、わたしたちがやるべきことは変わりません」
新たに蒸し上がった小籠包の蒸籠を運んできながら、アナが言った。
彼女が言わんとしていることが、俺にはなんとなくわかった気がした。
「飯か?」
「はい。ご飯は大事です」
アナは柔らかな表情を浮かべて、正面から真っ直ぐに俺を見た。
相変わらず綺麗な少女だと思う。
たとえ唇の周りが小籠包の肉汁でテカテカと輝いていたとしてもだ。
「院のマザーが言ってました。四つの星を頂く料理こそが、すべての〝災厄〟を従えるための手がかりだと。だからきっとわたしたちは大丈夫です」
四つの星を頂く料理──
その名前が四星全席と重なっていることは、おそらく偶然ではないと俺には思えた。だから四星全席の名前を初めて聞いたとき、アナはあれほど驚いていたのだと気づく。
『我も美味いものを食べられるなら、なんでも構わんぞ』
黒犬が、意地汚いのか頼もしいのか、まったく判断がつかない口調で言い切った。
俺はそんなアナと黒犬を眺めて、なにも言わずに肩をすくめる。
ちょうどそのとき、ガヤガヤと騒々しい声が聞こえてきて、学食部の部員たちが食堂に入ってきた。部長のリュシエラや料理長のラフテオ、ホール係の双子姉妹や、俺がまだ名前を覚え切れていないほかの部員たちも一緒だ。その中には当然、ティルティの姿もある。
「あ……! 小籠包だ! 焼売も!」
「もしかしてこないだのフレイムボア肉で作ったやつ?」
「春巻……いただき……」
「ちょっと待て、俺たちのぶんはどこに……!?」
「部長! 時間操作は反則でしょう!?」
彼らは用意されていたまかない料理を目敏く見つけると、それらを確保するために素早く行動を開始した。餓えた魔物たちの群れのように料理を奪い合う彼らの姿を見ていると、俺は、真剣に思い悩んでいるのが急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。
アナが言っていたとおりなのかもしれない。食事は重要だ。
この貪欲さこそが人類の生命力そのものであり、これがあるからこそ俺たちは、地上の過酷な環境でも生き延びてこられたのだ。なにしろ、あの強大な魔物たちですら、今となっては狩るべき食材に過ぎないと思えるのだから──
「とりあえず、俺も食事にするか……」
料理の争奪戦に加わる決意を固めて、俺は獰猛な笑みを浮かべる。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
そんな俺の前に、アナが箸で摘まんだ小籠包をひとつ差し出してきた。
その様子を見たティルティが髪と尻尾を逆立てているが、俺は構わずアナがくれた小籠包に歯を立てた。そして、あふれ出した肉汁を味わいながらふと考える。
魔物とは、魔力を与えられたことによって獣たちが進化した姿なのだという。そんな魔物たちを生み出した旧世界の技術とは、〝災厄〟を造り出した技術と基本的には同じものだ。
ならば、その魔物を狩って喰らう、〝学園〟の生徒たちとは何者なのか。
かつての人類が持ち得なかった力。魔法を操る俺たちは──
魔物の命を奪って作られた料理は、蕩けるほどに美味く。
そしてかつての人類が犯した罪の味がした。