聖女と暴食

終章 Epilogue ①

 その日、ティルティ・カルナイムは、ちよう高層ビル〝ケインズの杖ケインズケイン〟の最上階で第七学区アザレアスの生徒会長と対面していた。


 たんりよくしよくかみの少女の手には、一通の書類がにぎられている。

 ティルティが用意した手書きの書類だ。


せき願い──ですか」

「は、はい」


 ユミリ・アトタイル生徒会長の静かな声に、ティルティはびくりとかたふるわせた。


 三時間前に提出した学食部へのせき願いは、ぼうな生徒会長に直ちに転送され、それからすぐにティルティは生徒会長室に呼び出されることになったのだ。


 それだけでも、ユミリ会長のいかりが伝わってくる。

 表面的には、おだやかなほほみをかべたままなのがなおさらこわい。


「あの、こちらが学食部の経営改善計画の計画書と、上納金たいのう分のはらい明細のコピーです。先日の小規模な魔物暴走スタンピードの際に高きよう度のものを大量にとうばつする機会がありまして、そこで得られた素材をばいきやくすることで財務じようきようの劇的な改善に成功しました」

「なるほど、そうですか」


 わたされた資料をパラパラとめくって、ユミリは作り物めいたみをいっそう深くした。


「この短期間にこれだけの結果を出すとは、さすがにゆうしゆうですね、ティルティ・カルナイムかん官──いえ、ティルティさんとお呼びしましょうか」

「は、はい。どうぞ、お好きに」


 会長のうす水色のひとみに見つめられて、ティルティは冷たい手で心臓をにぎられたようなきようを感じた。


 まともに戦えば、せんとう職ではない文系の生徒会長よりも武官であるティルティのほうが強いはずだ。それなのになぜか目の前の少女に勝てる気がしない。


「学食部の経営状態が健全化したことで、生徒会がかん官をけんする理由はなくなりました」

「は、はい」

「しかしそれではハル・タカトーを生徒会に連れもどすという目的を果たせないまま、学食部から立ち去ることになる。そこで本来の目的をすいこうするために、表向き学食部にせきするということですね。形式的に、書類上では」

「えっと……そういうことになる……んですかね。あはは……」


 ユミリにたんたんと問いかけられて、ティルティはほおらせた。


 ティルティの本音としては、なるべくハルの近くにいたいというだけで、そんなさくぼうめいたことはまったく考えていなかったからだ。


「わかりました。それではこのせき願いは、形式上は受理したものとして処理します」

「あの……それは、どういうことなんでしょう?」


 意味ありげな会長の言い回しに、ティルティが不安になってき返す。

 わかってますね、と言わんばかりにユミリはティルティにほほんで、


「つまりあなたの本当のせきは生徒会に残したまま、ごく任務として学食部にせきしてもらう、ということです」

「それはもしかして、スパイというやつなのでは……?」

「なにか問題がありますか?」


 感情がまったく読めないひとみで、ユミリはまばたきもせずにティルティを見つめた。


「べつに学食部を裏切って、彼らに不利益をもたらせと言っているわけではありません。そうですね……これからはわたくしのお友達として、たまに生徒会長室に遊びに来てください。しいお茶を飲みながら、楽しく世間話でもしましょう」

「私が会長のお友達……ですか……」


 ティルティは胃の辺りに、ずん、となまりめ込んだような重みを感じた。


 一方のユミリは、ふわり、と花のように口元をゆるめて、


「ふふっ、うれしい。わたくし、なぜか今までお友達がいなかったんです。あなたが初めてのお友達ということになりますね、ティルティさん」

「光栄です……」


 ティルティは、軽く放心しながらどうにか返事をした。


 なにはともあれ、ティルティの学食部へのせきは、これで会長にも認められたことになる。

 会長直々に呼び出されたときにはどうなることかと思ったが、冷静に考えればそこまで悪い結果ではなかった。そう。問題はないはずだ。そう思いたい。


「ああ、そうそう、ティルティさん」

「は、はい!」


 部屋を出て行こうとしたティルティを、ユミリがとうとつに呼び止める。


 会長が視線を向けていたのは、制服姿のティルティのしりだった。

 短いスカートのすそをほんの少し持ち上げるようにして、けものしつがのぞいている。


 アビシニアンやシンガプーラのような、しつが長いタイプのねこに似たしつだ。それも二本。根元はティルティのかみと同じあわはちみつ色で、せんたんに近づくにつれて白くなっている。


 もともとは〝〟とけいやくしたときに生えたものなのだが、どういうくつか、〝〟がふういんされた結果、実体化したまま消えなくなってしまったのだ。


「そのしつわいいですね」


 ユミリが、意味ありげな口調でそう言って目を細める。


「あはは……あの、ありがとう……ございます……」


 ティルティはぎこちなく笑いながら一礼して、生徒会長室を後にした。


◇◆◇


「うう……裏切り者ぉ……ティルティせんぱいの裏切り者ぉ……!」


 青いタクティカルジャケットを着た女子生徒が、学生食堂〝躑躅つつじてい〟のカウンターにして傷ついた表情でくだを巻いている。

 特殊執行部隊インビジブル・ハンズ第一小隊の管制係、高等部一年生のリィカ・タラヤである。


 彼女の右手ににぎられているのは、学食部特製のどうジュースだ。

 ドライアドのしゆから採取されたそのどうにはちんせい効果やストレス解消などの効果があり、上品な甘みと相まって特に女子生徒の人気が高い。


 その一方で、体質によっては感情のふくが激しくなったりめいていしたりという副作用がある。どうやらリィカは、その副作用が強く出る体質だったらしい。


「なんで自分だけちゃっかり学食部にせきしてるんですか。そんなにハルせんぱいそばにいたかったんですか。ハルせんぱいを生徒会に連れもどすって言ってたくせに、うそつきぃ……!」

「ち、ちがうわよ。私はハルを生徒会に復帰させるために、仕方なくせきしただけだから……」


 リィカにからまれたティルティが、とつにそう反論する。

 しかしリィカがその言葉を信じていないことは、彼女の表情からも明らかだ。


「なんなんですか、そのしつ。アナさんのけもの耳にたいこうしてるつもりですか。ちょっとわいいのがムカつくんですけど……! これ、下着はどうしてるんですか……?」

「ちょっ……さわらないで! やめっ……! やぁぁんっ……」


 リィカにしつを引っ張られたティルティが、めくれ上がるスカートを必死で押さえながら悲鳴を上げる。その声が弱々しくふるえているのは、しつにぎられると力がけるせいらしい。

 みようつやっぽいティルティの悲鳴は、昼飯時の学生食堂で出していい声ではない。


「こらそこ! 売り子に手をれないで!」

「セクシー……」


 マコットとミネオラのふたまいが、なおもティルティのしつを引っ張るリィカに警告する。

 もちろんその程度で大人しくなるようなリィカではなく、混乱はまだしばらく続きそうなふんだった。


 当然、それに関わりたくない俺は、はなれた場所で男子相手の接客をしている。

 もともとほとんど男子の客しかいなかった躑躅つつじていだが、最近の男女比は六対四くらいにまで変化していた。最初のころは俺の接客を目当てに店に来ていた女子生徒たちも、いつの間にかつう如何物いかもの料理を楽しむようになっているようだ。


 とはいえ、マコットやミネオラが目当ての常連客もいまだに多いし、アナやティルティを見に来る新規客もちらほらと増えている。学食部の経営状態がわずかに改善したのは、そのあたりのえいきようもあるにちがいない。


「──ごかつやくだったみたいだな?」


 店内の奥まった席に座っていたヒオウ・レイセインに、俺は注文された料理を運んでいく。

 一人で店をおとずれていたヒオウは、執行部隊ハンズのタクティカルジャケットではなく、地味な灰色のフーディーを着ている。今日はおしのびで来店した、ということらしい。


 この男は目立つ容姿をしているくせに、その気になれば完全に存在感を消して、気づかれることなく自由に街を出歩くことができるのだ。正直うらやましい特技である。


 しかし今日のヒオウはめずらしく、少しつかれたような表情をかべていた。はなやかなきんぱつにもどこかつやがない。

 彼のろうの理由はわかっていた。〝〟がけた魔物暴走スタンピードもどきの後始末だ。


「今回は苦労させられたよ。どこかのだれかがいきなり隊長をめてしまったからね。そのあなめであちこち走り回らされてしまったんだ。おかげで過労死寸前だよ」

「そうか。すまない」


 俺はなおに頭を下げた。

 とうとつな俺の執行部隊ハンズ小隊長辞任でもっとも割を食ったのは、ちがいなく同格の小隊長だったヒオウである。


 うすになった執行部隊ハンズの戦力を補うためにフルどうしたヒオウは、きよう度A級のものだけでも一人で二十体以上はたおしたという。


 おそらく輸送船しゆうげき事件が収束するまでの間、ろくにねむる時間もなかったはずだ。それでは俺に皮肉のひとつも言いたくなるだろう。


「そちらこそ、ずいぶん派手にやったみたいだね、ハル」


 すぐにいつもの調子にもどったヒオウが、俺の運んできた料理にフォークをしながらそう言った。