2:コミックス用書き下ろしSS
君のことを
特別士官学校とは、十年に亘る〈レギオン〉戦争で不足する士官の数を補うべく、中等教育修了者に最低限の教育と訓練だけを施して従軍させる、要するに少年士官の促成栽培施設だ。
当然、旧来の士官学校に通える階級の子供が、間に合わせの即席士官を育てるための特士校に入ることなどない。旧ギアーデ帝国において貴族階級の頂点を成した、二つの貴種の血統ならなおさらに。
「――ランツ。なあ。お前の同室の、ノウゼンだっけ? あいつ、どんな奴なんだ?」
カードゲームの輪を囲む同期の一人に不意に問われて、ユージン・ランツはまばたく。特士校の寮の談話室の、夜のわずかな自由時間。
問いの対象は同期が言ったとおり寮におけるユージンのルームメイトで、そしてこの場にはいない少年だ。
「どんなって……たとえば」
「いや、なんで帝国貴族様が
「…………」
ユージンはちょっと笑みをひきつらせた。
黒髪黒瞳の
ユージン自身、初対面の時にはうっかりそのことに言及してしまって、不躾だったなと今でも反省しているので、気軽なゴシップでも楽しむような同期の問いは、正直少し気障りだ。
ただ。
「そういえば……たしかに、シンにあいつ自身のこと、訊いたことないな」
「おいおい……」
入学からのこの一月と、その前に何度か話した縁で、件のルームメイト――シンエイ・ノウゼンについてユージンが知っていることは幾つもある。
帝国貴種の血を引いてはいるが、実のところ旧貴族階級出身ではないらしい。ユージンと同じ機甲化志願。無口な性質で、談話室にいなかったとおり他人と距離を置きがちなところがある。特士校での成績は優秀な部類、特に戦技教練のそれは頭一つ以上も抜けてていて、そのくせ連邦軍の主力
けれど。
「シンってさ、好きな食べ物とかあるの?」
「……いきなり何」
自室に戻るなり問うたユージンに、シンは怪訝そうに問い返してくる。
見返してユージンは頭を掻く。
「いや、何ていうかさ。……そういう、訊かないとわからないことっていうか。外から見てるだけだとわからないことを、シンについて何にも知らないなって思って」
入学から一月も経つというのに。――シンが彼自身について語らないこともあって、これまで聞かずに、知ろうともせずに来てしまった。
読みさしだった本に目を戻して、ページをめくってシンは言う。
「お前は訊かなくても妹のこととか家族のこととか、お前の好きな食べ物は知らないけど妹の好きな食べ物とか。いろいろ話すからおれが話さなくてもいいかと思って」
「悪かったよ一方的に喋っててさ……」
ページに目を落としたまま、シンは小さく口の端を吊り上げた。からかわれたらしい。
「悪いとは言ってない。そうだな……」
しばしシンは考えた。
「食べられれば別に、何でも」
言うと思った。
ユージンは小さくため息をつく。シンはとにかく雑というか適当というか、変なところで無頓着なのだ。その割に要領はいいようで、間に合わせとはいえ一応は軍の教育施設として極端なまでの規律正しさを求められる、この特士校の寮生活もうまく切り抜けているが。
「シン、あれだろ。実は料理苦手だろ。卵の殻残ってたりとか」
「駄目な理由がわからない。食べられない物ならそれは、さすがに嫌だけど」
「いや、あの、食べられない食べ物って何……?」
「プラスチック爆薬とか」
「ほんとに食べ物じゃないやつじゃないか! それは逆に、嫌いな食べ物にも入らないよ!」
思わずつっこんだ。シンは再び、今度ははっきり面白がっている顔で笑った。
「冗談だよ」
「わかりにくいから、真顔で冗談言うのやめてくれよ……。で、なんだっけ」
自分で話を振っておいて、ユージンは首を傾げる。今度はシンが嘆息する。
「好きな食べ物」
「ああそうだ。……無いの? 何か一つくらい」
向けた視線の先、シンは困惑したように眉を寄せる。
「無いの? 何か一つくらい」
そう言われてもな、と、思いつつシンは考える。
食べられれば別に何でもいい、というのは、別に冗談でもなんでもない。共和国のあの八六区では、プラスチック爆薬に似た外見の虚無味の合成食料以外に、エイティシックスに与えられる食料などなかった。ユージンを含め、特士校の同期に自分がエイティシックスだと、話してはいないから彼には想像もつかないだけで。
手に入れば野生化した家畜や放棄された市街に残る缶詰や、家庭菜園の果物やらで、それなりに工夫はしていたけれど。
ふっと、その時に食べたのだろう何かの味が舌先を掠めて、それをそのまま口にした。
「林檎の、タルトとか」
言ってから思い出したのは、先日寮の食堂の、朝食に出た一品だ。
寮の中庭の林檎の樹が大量につける実を、使ったのだというタルト。果樹園ほどには手をかけられていないから小ぶりな酸味の強い果実を、四つ割に切って砂糖と何かのハーブを振っただけの、簡単な。
「この前の、朝食のアレ?」
「ああ。あれは……なんていうか。好きというほどじゃないけど、……懐かしかったかな」
言うと、なぜかユージンはニヤニヤした。
「ああ……それは、懐かしいんじゃない?」
「?」
「庭の果物のタルト、って。……典型的なお母さんの手づくりお菓子じゃないか」
言われてシンはまばたいた。
庭に。――もう覚えてもいない、家族と暮らした家に。
林檎の樹なんてあったろうか。庭なんて、あっただろうか。
覚えていない。
放棄された家庭菜園の林檎と、砕いたビスケットで八六区でもタルトに似たものは作れなくもなかったから、その時食べたのを覚えていただけかもしれない。
でも。
「……そうかもしれないな」
もう覚えてもいない、母の。
ユージンは今度は、彼の方こそ懐かしげに笑う。
「俺の叔母さんもさ、作るんだ。果物のタルト。叔母さんの場合庭の樹はレモンで、だからレモンのタルト。……食べに来てよ。休暇もらえたら、一緒にさ」
言われてシンは小さく笑った。
「ああ。……楽しみにしてる」



