6:海外フェア用書き下ろしSS
鮮血女王と死神と仔豚
砂糖を加熱したのとはまた違うほの甘い香りは、このあたり特有のフレッシュチーズを練りこんだ生地のそれ。型で抜いて目鼻をつけた、ふくふくとして、愛らしい――……
「…………ぶた」
「一応、連邦ではこういう祝い事の定番らしいですよ」
なんとも、複雑な顔でお菓子の仔豚を見つめるレーナに、傍らのシンは苦笑して言う。
リュストカマー基地に隣接する地方都市の、時計塔のある中央広場。休暇をもらって二人ともに私服姿での、広場とメインストリートにまで並ぶ屋台の一つの前だ。
今日は連邦軍設立十周年の、記念と祝いの祭りの日である。他の部隊なら基地を一般開放し、市民を招いて祝うところだが、新設されたばかりの上に要員の大半が生粋の連邦市民ではない機動打撃群では、記念の認識もあまりないだろうということで部隊が主体の催し事はない。なので隊員たちのほとんどが、二人と同様、この隣街の祭りに遊びに来ている。
「豚は古くから多産の――豊穣の象徴ですから。幸運のシンボル、というところでしょう」
「そうそう、ついでに、うちのは運試し要素もあるからな!」
軍服ではないので一目には上官と部下とはわからないが、少なくともどう見ても兄妹ではない二人を微笑ましく見守っていた屋台のおじさんが、からから笑って口を挟む。
興味を引かれてレーナは聞いてみる。
そういえば屋台の屋根、店名らしき場所にも“ドキドキ! 仔豚ちゃんチャレンジ!”とか子供の字みたいな可愛らしい書体で書かれているが。
「運試し? ですか?」
おうとも、とおじさんは両手を、王侯貴族に挨拶する道化師のように軽く広げる。埃よけのガラスケースの中に山と盛られた、一見同じ種類の菓子の仔豚たち。
「何が入ってるかはお楽しみ、ってわけだ」
面白そう、とレーナは思い、彼女が何か言うより先にシンが言った。
「二つください」
「あいよ」
おじさんは手早く紙に仔豚菓子を包んで、それぞれ二人に手渡す。
「あんま見ない顔だけど、ひょっとして隣の基地の子かい」
「ええ」
「そか。いつもありがとな。……こいつはおまけだ。がんばれよ」
赤い、ベリーのジュースもプラスチックのコップでくれた。
礼を言って二人は屋台の前を辞す。
街中の人がおそらくは出てきてごった返す、人波の流れに戻ると小さな屋台はあっという間に見えなくなってしまう。祝いの空気で賑わう属領の街の、記念の祝祭。
歩きながら物を食べるのは、実はレーナには初めての経験だ。はしたなく見えないかな、と傍らを気にして小さな口で、はむ、と仔豚の頭、可愛らしく折れた耳のあたりにかぶりつく。
もぐもぐと咀嚼して、目を見開いた。
「――おいしい」
中身は豚ひき肉と、刻んだマッシュルームと玉ねぎを混ぜたものだ。豚の脂によく絡む、じっくり炒めた玉ねぎの甘さとキノコの香り高さ。もらったベリーのジュースを含むと程よい酸味が口の中を洗い流して、うまみだけが残る。
一方、同じように仔豚の頭をかじったシンは、ちょっと顔をしかめている。
「……甘、」
見ればシンの菓子の中身は、木の実の蜂蜜漬けだ。
砂糖よりも甘さの強い蜂蜜は、甘いものの苦手なシンには少し甘すぎたらしい。酸っぱいはずのベリーのジュースを、ほとんど一息に飲み干している。
そのままちょっと困った顔で菓子の残りを見つめているから、レーナは思わずくすくすと笑ってしまった。戦場では、それこそ〈レギオン〉の大軍勢にも眉一つ動かさないひとなのに。
彼の大きな手では掌に収まるくらいの、たかが小さな可愛らしい仔豚なんかに、そんな困り果てた顔をして。
「じゃあ、交換しましょう」
え、とシンが見返してくる間にひょいと取り上げて、自分の持っていた仔豚を手渡す。何を言われるよりも先に、ぱくりと取り上げたそれにかぶりついた。
思いがけないレーナの行動に、シンはまばたく。
助かるには、助かったが。
いいんですか、という言葉は、レーナがぱくぱくと甘い方の子豚を食べてしまうから呑み込んだ。
「本当、甘いですね」
「……ええ」
甘いのは、仔豚の菓子、だけではなく。
口にしなかった言葉は、口にしなかったから当然レーナには届かない。
交換してもらったひき肉入りの菓子を二口ほどで食べきったところで、あ、とレーナが目を輝かせた。
「シン、パレードが始まるみたいですよ! ……あれ、象、ですよね……! すごい……!」
「の、ようですが。……そういえば、生きてる実物を見るのはこれが初めてですね」
人並みの向こう、仮装した男女のパレードの先頭を大きな灰色の生き物が、背中の花籠から長い鼻で花びらを掴みだして振りまきながら歩いている。
「近くで見ましょう!」
「ええ。……いきなり走ると転びますよ、レーナ」
十年にも亘る戦争のせいで、レーナも見るのは初めてなのだろう。ちいさな子供みたいにはしゃいで駆けだそうとするレーナを、およそ八六区ではほとんど見せたことのない、柔らかな笑みでシンは追う。
当たり前のように二人、手をつないで。
青い空にふわりふわりと、撒き散らされる花びらが舞って祭りの人並みに降り注ぐ。



