一章 図書委員は地下へと潜る ②

 本を返そうにも、配架基準も不明だ。さらには人もいない。


「あ、そういえば、あの女子」


 先にエントランス(?)に入った女子。そもそもは彼女を追って来ていたのだ。たけるは、今は階段の上にある扉を振り仰ぐ。


「さっきのとこにはいなかった」視線を水平へ。本棚が走る空間を見る。「ここにいるの?」


 明らかに異常な空間だ。そもそもが、がくえんに入学して丸一年。巨大な附属図書館は有名だが、地下書庫こんな場所の話は聞いたことがない。


(こんな空間が、地下に広がっている……?)


 それはおそらく、自分の知らない場所だ。誰かが開くのを待つ場所だ。

 ごくり、と無意識に唾を飲んだ感触を、たけるは得る。分かる。およそ二年半ぶりの、だ。

 分かっている。すぐ戻るのが正解だ。この場所も脳内の地図も、何もかもおかしい。


「でも、あの受付さんは話になんないし」言い訳が始まる。「が、さっきの子を、探さないとな」くちのはゆがむ。上向きに。

 感情を隠しきれない口元から、犬歯がのぞいた。


   ○


 一方その頃、がくえん附属図書館一階事務側フロア、図書委員会用会議室。


「そういや、新規名簿って誰か『受付嬢』に持ってった?」

「あー。に頼みました」


 答えるのは先刻、たけるにファイルを渡した生徒だ。その返事に、数人の視線が返った。


って誰?」

「ほら二年の。いっつもニコニコ笑ってるやついるだろ」

って、あいつまだ話はしてないだろ?」

「え、マジすか。名簿に名前あったから、てっきりもう話付いてるもんだと思って」

「それ勧誘予定のリストじゃないの? 確かフブル先生一緒に置いてたような」


 ぴた、と室内の空気が止まる。一人の女生徒が、答えた生徒につかみかからんばかりに迫る。


「ちょっと、どういうことなの。たけるを探索委員に勧誘?」

「おわわわわわわわ。先輩、絞まる絞まる首が絞まる」

「あー。落ち着け。あまてら落ち着け」「ミカっちどうどう」


 数人が興奮気味の女生徒──あまてらを取り抑え、話を戻した。


「じゃあのやつ、行ってんの?」


 これに、またしても室内が静まりかえる。


「……やばくね?」「ってまだ数ヶ月だよね?」「そもそも専だって」「説明ゼロ状態だしな」「まあ最悪死んでますよね」「あかんやつやん」

「あかんやつやん、じゃなくて!」


 先ほど取り抑えられた女生徒が、拘束から脱してわめいた。


「救出隊を! 組むわよ!」


   ○



(あの女子、どこ行った……って!)


 そして、場所は戻って地下書庫だ。


「くそっ、見つかった!」


 聞こえる爪音が加速し、振り向くたけるの視界に通路の角を曲がり来る巨犬の姿が映る。その体高は一m半を越え、はや猛獣というサイズにも収まらない。虎とてもう少し大人しいサイズだ。


「なんで図書館にこんなもんがいるんだ!」


 たけるは全速力で通路を走り抜ける。


(全力で走るなんて、いつ以来だ……しかも前より速い?)


 それは、彼には失われたはずのものだった。命の危険を感じているような状況で無ければ、跳び上がって喜んでいたところだろう。


「そんな場合じゃねえけどー!」


 巨犬ほどではないが、通路や書架の端々に、妙な生き物も時折に入る。だが今はそれどころではない。に常より早いとは言え、高校生男子と巨犬。双方の運動能力を考えれば、遠からず追い付かれる。


(い・よ・い・よ・ダメかー!?)

「こっち!」


 絶望がたけるの心を染めかけた瞬間に、左から声が掛けられた。


「っ!」嫌も応もない。このままでは犬の夕食だ。たけるは横に開いた通路へと横っ飛びする。

 壁に肩をぶつけながらもたけるが入り込むと、


「閉めて! すぐ!」


 声に従い、たけるは慌てて入ってきた扉を閉めた。直後、通路を駆ける獣の足音。


「ぜえ、ひい……助かった……?」


 入った先はまた通路だ。荒い息を吐いたたけるの視界にまず入ったものは、


「!?」


 横たわる少年の姿だ。赤毛の、少し不良っぽい印象である。襟のしようからすれば、一年生。しかし何よりも目を引くのは、髪の赤では無い。胸に広がる朱だ。反射的に脈を取るが、


「死んでる……!?」

「死んでますね。いやあ、助けに来たんですけど間に合いませんでした」


 あっけらかんと死を語る声。横からのそれにたけるは振り向く。

 空色の髪。シャープに整って、目鼻立ちのくっきりした容姿は西洋人のそれだ。よく見れば、その顔は図書委員会で幾度か見たことがあるものだった。会話したことは無いが、英国からの留学生という希少な立場から、名前はたけるの頭に入っていた。


「一年のエスキュナ・コーナー……だっけ」

「イェス。確か図書委員のせんぱいでしたよね。お名前はごめんなさい、覚えてないです」


 たけるは無言で名札を示す。


せんぱいですね! たけるせんぱいの方がいいです?」

「どっちだっていいけど、君、これ」


 たけるは床の死体を示す。が、エスキュナの態度はあまりに泰然としていた。


「ああはい、とりあえず連れて帰らなきゃいけないんですけど、流石さすがかついでアレから逃げるのは無理だったんで、困ってたんです!」


 何がなんだかというありさまであるが、とりあえず本の返却がどうとかいう場合では、もはやないということは明らかだった。


「ちなみに、帰り道とかは」たけるは逃げるのに精一杯だった。来た道は微妙なところだ。


「うろ覚えです! ふふふ、せんぱいったらわたし一年ですよ?」


 自慢げに、誇らしげに言われた。


「帰りのルート失うとか、遭難じゃねえかよ……」


 遭難。目の前の死体。自分と共にいた人の。体温が数度ほども下がる錯覚。


(────っ。落ち着け……ここは違う。あの場所じゃない……)


 と、たけるがそこで脳裏に浮かぶものを思い出す。地図?


「あった!」小さく叫ぶ。


「わっはぷ!」普通に叫ぶ。

 先ほどの巨犬の他にも生物らしき姿はあった。気付かれれば面倒だ。エスキュナへしーっと注意して、たけるは目をつぶって脳裏の地図を注視する。

 …………見事に、彼が逃げ走ってきたルートが塗り替えられている。


「よーしよしよし……」


 しかも、自分とは違う動くマークがある。先ほどの巨犬だ、とたけるには理解できた。


「行ける行ける行ける……」

「何か怖いこのせんぱい」


 目を閉じてうなたけるに、エスキュナがやや引いている。


「失礼な。よし、帰り道は任せてくれ」

「ほんとですかっ! せんぱい頼りになるぅ」

「……………………」見事な変わり身だった。

 しかし、今すぐ出てはあの巨犬に鉢合わせする可能性が高い。休憩を続けつつ、たけるは目下の死体を見た。名札には『おおぐに』とある。


「この彼は──いったいなんだってこんなとこに」

「バカヤチは……あ、こいつですこいつ。わたし、こいつが何かここに入ってくのを見て、危ないから助けに来たんですよ。……間に合わなかったけど」


 エスキュナが答える。知り合いだったようだ。


(二重遭難。いや、俺も含めりゃ三重か)


 そういった状況に覚えがあるたけるは沈痛な心持ちになる。


「そいつは……残念だった」

「ま、放置はさすがに可哀かわいそうですしね~」


 淡々と彼女は答える。


「か、軽いな……。しかしなんだって図書館の下にこんなとこがあるんだ」

「え、せんぱい知らないんですか? 地下閉架迷宮書庫」


 常識っぽい返され方をして、たけるは眉をひん曲げる。


「あれあれ? わたし、勘違いしてます? せんぱい、魔書もらいましたよね?」

「ましょ?」


 こくこくとエスキュナはうなずいて、


「受付嬢さんに」


 言われて、彼は思い出す。ふところの本を取り出した。


「あ、それですそれ」

「コレが? 返却するんじゃないの?」

刊行シリーズ

グリモアレファレンス2 貸出延滞はほどほどにの書影
グリモアレファレンス 図書委員は書庫迷宮に挑むの書影