一章 図書委員は地下へと潜る ③

 素の疑問に、エスキュナはげんさを深めた。


「もしかしてですけど、せんぱい、何も知らずに来てます……?」

「こんなとこがあること自体初耳だよ」


 おーぅ、と彼女は天を仰いだ。たけるは考える。現状は帰るのが最優先。


「とりあえず──必要なことだけ聞かせてくれ。この本に何があるの?」


 彼女はうなずいた。たけるが持っていた本の表紙を指さす。


「これ──読めます?」

「英語っぽいけど、読めな……ん、ん?」奇妙な感覚が脳髄に走った。字自体は微妙なのだが、「読める……? 『亡失迷宮』?」

「はい。確かそのはずです。これ、わたしは今、読めないんです。魔書の貸出者じゃないので」


 なんだそりゃ、とたけるは微妙な顔をするが、エスキュナは割り切ったようだ。


「そういうものだと思ってください。要は、魔法の本です。だから魔書。そんなのあるわけないとかナシですよ、ここにありますから」

「むう」


 先んじて反論を封じ、ぴこぴこ指を振って彼女は続ける。


「これを地下閉架迷宮書庫──ここです──のエントランスで『受付嬢』さんから借りると、貸出者は……えー……簡単に言うと、強くなります」

「んな」


 アホな、と続けようとして。たけるは自分の足を意識した。。二度と出来ないと思っていたそれ。そして、あとひとつ──

 考え込むたけるを見て、エスキュナはうなずいた。


「なので、魔書はこの危険な迷宮書庫を探索するための、装備なんです」

「──それだけじゃないよな? 本の効果」


 不意に投げた疑問。次に意表を突かれるのは彼女の番だった。


「え、もしかしてせんぽい、『記述』使えるんです……?」

「それかどうか知らんけど」


 たけるが脳裏の地図について話すと、エスキュナが目を丸くした。


「すごい……迷宮書庫初めてですよねせんぱい!? それで『記述』使えるなんて。わたしなんてまだパワーアップだけですよ」


 たけるあんする。脳裏の地図は本の効果で、彼自身の脳がどうにかなったわけではない。

 疑問はまだあるが、一旦置く。帰還が優先だ。


「整理しよう。つまり今俺達は普段より身体能力が高くて」

たけるせんぱいは自動の地図が使えます。さっき言ってましたけど、帰り道も?」

「分かる」「すてき」


 うなずき合う。帰れそう。たけるおおぐにという少年の死体に触れる。少し、意識して息を吸い、吐いた。。股から手を入れ、肩にかつぐようにする。右手でももを押さえ、左手を空ける。火災現場などで用いられる、意識のない者を運ぶ方法だ。


「わっすご。持ち上げちゃった。こいつ、お任せしていいんですか?」

「君は一応魔書とやらの経験者なんだろ。そっちが自由な方がいい、と思う」あと、と人差し指を立てる。「仏さんにこいつ、はやめとこう」


 エスキュナが何事か言いかけ、しかし口を閉じた。代わりに「はーい」と返事。


「いけそうです?」

「ちょい待ち。こっちに向かって歩いてる。反転するまで……」


 書架で出来た通路。並ぶ棚の端の間を歩き、陰でかがむふたり。たけるが数本指をたたみ、GOサインを出す。


「ゴッタゴー」エスキュナが先行し通路を数本渡り、その後に続く。


「ほんと便利ですよね、敵の位置分かるなんて。鉢合わせしたらそれで終わりですもん」

「あのでかい犬だけだけどな。君がさっき追っ払ったモモンガみたいのは分かんなかった。大物だけ分かるのか……?」


 分からないといえば、迷宮書庫というもの自体がたけるには未知の塊だ。そもそも、図書館の地下に生物がいるのかということも。


「そこらは色々、後で受付嬢さんとやらを問い詰めるとしてだ」

「あ、意味ないですよそれ」


 周囲を警戒しつつ、エスキュナ。こちらの疑問の気配を感じたか、続ける。


「あの人、基本的に魔書の貸出返却処理以外はなーんにもしません。例えば図書委員以外があそこ行って、扉開けてもノーコメ。だから彼みたいなのが入っちゃうんです」


 そう言って、彼女はたけるの背負う少年を指さした。


「なんだそれ。無責任だなあ」


 思えば、たけるがここに入る羽目になったのも受付嬢のせいと言えなくも無いのだ。


「っと! せんぱい! 上っ!」


 慌てた声。たけるが振り仰げば、数十㎝はある巨大なネズミが数匹、本棚の上から降ってきているまさにその時だった。口を開けている。長く鋭い歯が、地下書庫の明かりにきらめいた。


「そっからも来るの!?」


 顔を左腕でかばう。一瞬の覚悟の後、制服を貫いて鋭い痛みが複数、腕に走る。だが。


「っづぅぅぅ! ……! でいっ!」


 刹那の後。たけるは腕を思い切り、書架の壁部分にたたけた。みみざわりな声とともに、大ネズミたちが衝撃のクッションになる。


「ギィッ!」


 押し潰されかけ、ほうほうていで大ネズミたちが歯を離し、逃げ去っていく。


「大丈夫ですか? ……わ、おっきなハンカチ!」


 エスキュナがたけるに駆け寄る。たけるはとりあえず腕の可動を確かめる。出血はあるが、動く。洗浄できないことを気にしつつ、昔から愛用している大きなハンカチで圧迫、縛る。


「痛いけどね、まあこんなとこのネズミだ。出たら消毒して医者行かないとな……」

「あ、いやそれは──」


 感染症とか大丈夫かな、と心配するたけるへ、エスキュナが明るく声を上げた時だ。

 ぱぁん……と音が響いた。大ネズミをたたけたような先刻の音とは違う。

 圧倒的な力で、はじばした音だ。


「「っ!?」」


 慌てて、たけるが脳内地図を確認した。巨犬のマークが、いつのまにか周回ルートをずれ、こちらへ向かってきていた。


「速い……! もう隠れんぼは終わりだ。走るぞ!」


 死体をかつぎなおして立ち上がり、エスキュナをかす。


「え、え、なんで!?」

「さっきのネズミだ。あいつらが逃げた先で──くそっ、そういうのもアリかよ!」


 話す間にも、巨犬のマークの移動速度が上昇。走り出した。


「一応聞くけどさ! 戦って勝てたりする!?」

「わたしが十人いたらたぶん勝てます! 内八人死にます!!」

「勝てないんじゃねえか!」


 だかだかと迷宮を走る。道が分かるたけるが先導だが、


「うわ足音聞こえてきた! せんぱい早く早くぅ!」「仏さん背負ってるのに無理言うなよ!」


 切羽詰まった後輩の声を聞きつつ、


(いや全く、こんな全速力は本当に久し振り──)


 足を動かすたけるくちのはは、犬歯が見えるほどどうしようもなく上へとゆがんでいる。

 そして、たけるの視界に階段が入る。同時、


「うわー出た! 来た!」


 後ろを振り向いたエスキュナが叫ぶ。同一通路に入られた。出口も見えた今、後は一直線のレースだ。


「エスキュナ、君だけでも先走れ!」

「ええ!? ぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇはい分かりました!」


 速度を上げた彼女がたけるの横に出る。中々に判断がお早い。


(いいことだなオイ! 多分俺は到着前に追い付かれる……! くそ! 恨むからな受付嬢さん!)


 ただ。背後から迫る死を覚悟しながらも、この時少しだけ。たけるの心は救われていた。


(あの時よりは、マシか)


 強化されているとは言え、人と巨犬の速度差は冷酷だ。

 それでも懸命に足を回したその時。背後の四足音と重圧が霧散した。


「!?」愚行と分かっていながら、反射的に後ろを振り向く。そこには、


「消え……」何もいない。だが直後。

 ずどん、と大重量が降りる音。振り向いたたけるの背後、つまりは先ほどまでの前方へ。


「ぎゃあああぁ!」


 エスキュナが叫ぶ。再び、視界を前へ。そこには。


「グゥウゥゥゥ────」

(飛び越えやがった……!)


 走るたけるとエスキュナの上を行き、進行方向をふさいだ。


「つ、詰んだぁ~」


 エスキュナが外国人らしからぬ言い回しで諦念を表す。



(なんだ──)


 たけるは目の前の獣──巨犬を見る。見据える。恐怖をこらえて。


 巨犬は二人をにらむ。逃げようにも、背中を向けた瞬間に襲いかかるという視線と姿勢だ。


(なんだおい──)

刊行シリーズ

グリモアレファレンス2 貸出延滞はほどほどにの書影
グリモアレファレンス 図書委員は書庫迷宮に挑むの書影