さらに、見る。恐怖を超える感情が浮かぶのを自覚する。
それが、たまらなく、腹立たしい。
(何を邪魔してんだ、この野郎が────!)
エスキュナの横へ歩み出る姿がある。怒りと不屈の瞳がある。
守砂尊だ。
「エスキュナ」
「は、はいぃ……」
「どっちかが襲われてる隙に、もう片方は上がって助けを呼ぶ。いいな」
ぎょくん、と横で唾を飲み込む音がした。
「せんぱい覚悟決まりすぎぃ……ううぅくそ~……やったりますよ」
そう言う後輩も中々のものである。尊は左へ、エスキュナは右へ。ハンドサインで、頷く。
「「いっせーのー……」」せ、のワンテンポ前に。
(上手いこと上まで逃げろよ、後輩!)尊は先んじて巨犬へと踏み出そうとした。
「せぇぇえぇぃっ!」
だが声は上から来た。尊とエスキュナが視線を上げ、巨犬も釣られて首をもたげた瞬間に。
白刃が舞った。
甲高い悲鳴が響く。巨犬のモノだ。どうなったかを確認しようとした尊たちの視界を、巨犬と彼らの間に着地した人影がふさぐ。エスキュナが歓声を上げた。
「天寺せんぱい!」
「え?」
「無事?」
振り向かず問う。階段上部から跳躍、身を回しつつ空中で地上の巨犬の背に一閃、着地。とんでもない身体能力だ。
しかしその姿と声は、尊のよく知る人物のものだった。
「天寺──え、ミカ姉?」
「ん、んンっ」
返す問いかけに、名前を呼ばれた少女がむせた。
(ミカ姉も……なんだ、結構いるのか? ここを探索するっていう委員は)
「皆さん、無事ですか!?」
「ちょっともう。ミカっち!」「飛び降りるとか無茶も大概にしなさいな」
さらに複数の声。それは階段の上からだ。男子が二人、女子が一人。
「あれは──」尊には彼等も見覚えがある。図書委員会の「委員長と、役員の人ら」
記憶を探る。御高結委員長、津久澄旭副委員長、雨野朱見書記。思えば、三火もまた企画部長であったはずだ。
新たに現れた人数は三火を入れて四人。階段を降りてきた彼等により、三人ずつで巨犬を挟む位置取りとなる。
「あらあ、ガルムじゃん。地下三層の死神」「運が悪いわねこの子達も」
「グゥゥウ……」
未だ戦意を燃やして立つ、ガルムと呼ばれた巨犬の背中には三火による刀創が出来ており、鮮血が滴っている。巨犬は後ろを振り返り──
「ガァッ!」
ダメージを与えてきた三火を脅威と判断したようだった。背後の三人へと飛びかかる。
「あら、こっち来ちゃう? 『長城記録』四七頁、『八達嶺』っと!」
矢面に立つのは津久澄だ。女性っぽい口調で、尊には意味の分からぬ符丁が漏れた。同時、制服の隙間から一際強い光が漏れる。彼が顔を守るように右腕を構える。
ガルムの巨大な牙と爪が津久澄の右腕を捕らえる。これには人間の右腕などひとたまりもない。瞬時に骨ごと砕かれ引き千切られる──そう思えたその時。
ガキィッ──! まるで石に激突したような音が地下空間に響いた。
「うわっ……!?」
音源は。今まさに魔犬の牙が挟んでいる津久澄の右腕であった。たやすく引き裂かれるかと思われた腕は、何と無傷で健在だ。それどころか、良く見ればガルムの牙は津久澄の腕にすら接触してはいない。
「……なんだ? 壁?」
半透明ではあるが、津久澄の腕を覆って牙を受け止めるものがあった。
「ガァッ?」
空中で飛び掛った姿勢のまま、驚愕の声を上げるガルム。津久澄はその腕に魔犬を乗せたまま、腹に左手をそえて、大きく後方へ身を捻る!
「……どっせい!」
飛び掛られた勢いを利用したブレーンバスター。口を離す暇も与えてもらえなかったガルムは、背中から床に叩き付けられる。
「『戦地景』二八頁、『鬼切部』」
勢いよく、今度は御高の周囲から伸びるモノがあった。刀に槍、長刀が刃を天に向け地面から噴出しガルムの背中を撃ち上げる。
突き刺さる。数えて五本の刃がガルムの背を貫き、その三〇㎏を優に超えるであろう巨体を宙に固定した。その喉から甲高い声が響く。雨野が口笛をひとつ。
「ひゅ~後輩の前だからって張り切っちゃって」
「いえ、出力がいつもより高いですね」
「ふン? なるほど……どうも彼の影響らしいわね」
三火も加えて、上級生四人がそろって尊を見た。そして、尊も気付く。自分の制服のポケットが、淡くではあるが、光っている。中身は、
「本……さっきの『亡失迷宮』……?」
序盤の頁が、読めるようになっていた。文字のあちこちが光っている。それとは別に、意味が脳内で形を成す。
「未踏地……能力上昇?」
「え、なんですかそれすご!」
エスキュナが驚きの声を上げた。それは三火も同様だ。
「魔書記述! しかも常駐!? 無条件で効果発揮……」
「ウッソ、マジで? 一割と見積もっても破格ねえ。当たり引いたかしら」
訳の分からないことを話す先輩方に、ふと我に返る。
「いやそういうことではなくて!?」
図書館の地下で先輩がでかい犬に飛び掛られて壁と刀出して惨殺しました。
あまりのことに頭がついていかない。が、とりあえずこの惨状をどうにかせねば。
「ど、どうするんだこれ。片づけとか。は、墓? 犬の墓作る?」背中に後輩の死体を背負いつつ、尊がおろおろする。
「おうおう落ち着きたまえ。えーと、守砂だからスッサーね。まーもうちょい見てなよ」
「あっ!」
そう言って回り込み、尊の背中をぽんぽんと叩いてくる金髪の女生徒──雨野に三火が声を上げる。尊は言葉に従いガルムの方へ目を向けた。
(犬の体が、ゆらいで──)
ぶわっ、と黒い煙が一瞬だけ広がり、収束。次いで、地から伸びた刀槍もその姿を消した。後には一枚の紙きれが残るのみであった。そこには先ほどの魔犬らしき絵が記されている。
「紙片変換っと」
津久澄がそれを拾い上げ、びりびりと破り捨てていく。風も無い室内で、その細かな紙片は何処へともなく流れていった。
「まあガルムをここで消せたのは良かったですね。これでしばらくは初心者でも比較的安全に仕事が出来ます」
「何週間か経てばまた勝手にくっついて元通りだけどね」
(なんなんだ……)
異常状況を慣れた様子で話す先輩達に、しかし尊も冷静さを取り戻す。
「とりあえず、助かっ……助かりました。……けど」
聞きたいことが、と続ける前に。エスキュナが上を指さした。
「言ったでしょせんぱい。上がってから。六人もいると色々集まってきちゃいますから」
色々。明らかに良くはなさげなそれに、周囲も頷く。
「そうね。いこ、尊。……その、背中の男子のことも」
三火に言われ、尊は改めて担いでいる死体を意識する。
(そうだ。とにかく彼を弔って、しかるべき説明とこの場所についての追及を)
そうでもせねば、死んだ彼も浮かばれない。委員達の反応の薄さにも腹が立っていた。
一行は階段を上る。雨野が「ひらけごまー」などと言いながら(思えば、彼女は特に何もしてない)扉を開けて、エントランスへと入る。
「いやったー! 生還!」エスキュナが順を抜かして飛び込んで快哉を叫ぶ。
「尊」続こうとする尊へ、殿を務めた三火から声がかかった。「今からまた驚くと思うけど、説明はするから」
え、と返事をしつつ、扉をくぐる。
異変は、腕から来た。大ネズミに嚙み裂かれた尊の腕。その痛みが消える。まるで元から、そんなものは無かったかのように。
ば、と腕を上げる。錯覚では無い。というか、
「治ってる! 服まで……?」
切り裂かれた服までが、元通りになっていた。さらに、背中をくすぐる感覚と、急速に感じる暖かさ。
体温だ。
「むぐ……うぅ」
声まで追加された。明らかに背中の少年──大国八治の体が、生気を取り戻していた。
「!?」
「とりあえず進んで。扉閉めるから」「せんぱーい、こっちこっち」
三火とエスキュナに言われて、尊は一行が車座になっているエントランスの中央部へ歩く。
「彼を下ろしてみてください」
指示するのは御高委員長だ。床に横たえた時点で、尊は目を剝いた。
傷が無い。加えて尊の腕と同様に、服も元通りふさがり、出血の跡すら無い。さらには、
「うっ……くぅ……ぐぅ……?」
寝息を立て始める。
「生きて……いや」尊は彼を担いでいた時の死の感触を思い出す。まさかとは思いながらも、言わざるを得ない。
「生き返、った……?」