一章 図書委員は地下へと潜る ④

 さらに、見る。恐怖を超える感情が浮かぶのを自覚する。


 それが、たまらなく、腹立たしい。


(何を邪魔してんだ、この野郎が────!)



 エスキュナの横へ歩み出る姿がある。怒りと不屈の瞳がある。

 たけるだ。


「エスキュナ」

「は、はいぃ……」

「どっちかが襲われてる隙に、もう片方は上がって助けを呼ぶ。いいな」


 ぎょくん、と横で唾を飲み込む音がした。


「せんぱい覚悟決まりすぎぃ……ううぅくそ~……やったりますよ」


 そう言う後輩も中々のものである。たけるは左へ、エスキュナは右へ。ハンドサインで、うなずく。


「「いっせーのー……」」せ、のワンテンポ前に。


いこと上まで逃げろよ、後輩!)たける踏み出そうとした。


「せぇぇえぇぃっ!」


 だが声は上から来た。たけるとエスキュナが視線を上げ、巨犬も釣られて首をもたげた瞬間に。

 はくじんが舞った。

 甲高い悲鳴が響く。巨犬のモノだ。どうなったかを確認しようとしたたけるたちの視界を、巨犬と彼らの間に着地した人影がふさぐ。エスキュナが歓声を上げた。


あまてらせんぱい!」

「え?」

「無事?」


 振り向かず問う。階段上部から跳躍、身を回しつつ空中で地上の巨犬の背にいつせん、着地。とんでもない身体能力だ。

 しかしその姿と声は、たけるのよく知る人物のものだった。


あまてら──え、ミカねえ?」

「ん、んンっ」


 返す問いかけに、名前を呼ばれた少女がむせた。


(ミカねえも……なんだ、結構いるのか? ここを探索するっていう委員は)

「皆さん、無事ですか!?」

「ちょっともう。ミカっち!」「飛び降りるとか無茶も大概にしなさいな」


 さらに複数の声。それは階段の上からだ。男子が二人、女子が一人。


「あれは──」たけるには彼等も見覚えがある。図書委員会の「委員長と、役員の人ら」


 記憶を探る。たかむすび委員長、づみあさひ副委員長、あめあけ書記。思えば、もまた企画部長であったはずだ。

 新たに現れた人数はを入れて四人。階段を降りてきた彼等により、三人ずつで巨犬を挟む位置取りとなる。


「あらあ、ガルムじゃん。地下三層の死神」「運が悪いわねこの子達も」

「グゥゥウ……」


 いまだ戦意を燃やして立つ、ガルムと呼ばれた巨犬の背中にはによる刀創が出来ており、鮮血がしたたっている。巨犬は後ろを振り返り──


「ガァッ!」


 ダメージを与えてきたを脅威と判断したようだった。背後の三人へと飛びかかる。


「あら、こっち来ちゃう? 『長城記録』四七ページ、『八達嶺』っと!」


 矢面に立つのはづみだ。女性っぽい口調で、たけるには意味の分からぬ符丁が漏れた。同時、制服の隙間からひときわ強い光が漏れる。彼が顔を守るように右腕を構える。

 ガルムの巨大な牙と爪がづみの右腕を捕らえる。これには人間の右腕などひとたまりもない。瞬時に骨ごと砕かれ引き千切られる──そう思えたその時。

 ガキィッ──! まるで石に激突したような音が地下空間に響いた。


「うわっ……!?」


 音源は。今まさに魔犬の牙が挟んでいるづみの右腕であった。たやすく引き裂かれるかと思われた腕は、何と無傷で健在だ。それどころか、良く見ればガルムの牙はづみの腕にすら接触してはいない。


「……なんだ? 壁?」


 半透明ではあるが、づみの腕を覆って牙を受け止めるものがあった。


「ガァッ?」


 空中で飛び掛った姿勢のまま、きようがくの声を上げるガルム。づみはその腕に魔犬を乗せたまま、腹に左手をそえて、大きく後方へ身をひねる!


「……どっせい!」


 飛び掛られた勢いを利用したブレーンバスター。口を離す暇も与えてもらえなかったガルムは、背中から床にたたけられる。


「『戦地景』二八ページ、『鬼切部』」


 勢いよく、今度はたかの周囲から伸びるモノがあった。刀にやり、長刀がやいばを天に向け地面から噴出しガルムの背中を撃ち上げる。

 突き刺さる。数えて五本のやいばがガルムの背を貫き、その三〇㎏を優に超えるであろう巨体を宙に固定した。その喉から甲高い声が響く。あめが口笛をひとつ。


「ひゅ~後輩の前だからって張り切っちゃって」

「いえ、出力がいつもより高いですね」

「ふン? なるほど……どうも彼の影響らしいわね」


 も加えて、上級生四人がそろってたけるを見た。そして、たけるも気付く。自分の制服のポケットが、淡くではあるが、光っている。中身は、


「本……さっきの『亡失迷宮』……?」


 序盤のページが、読めるようになっていた。文字のあちこちが光っている。それとは別に、意味が脳内で形を成す。


「未踏地……能力上昇?」

「え、なんですかそれすご!」


 エスキュナが驚きの声を上げた。それはも同様だ。


「魔書記述! しかもパツシブ!? 無条件で効果発揮……」

「ウッソ、マジで? 一割と見積もっても破格ねえ。当たり引いたかしら」


 訳の分からないことを話す先輩方に、ふと我に返る。


「いやそういうことではなくて!?」


 図書館の地下で先輩がでかい犬に飛び掛られて壁と刀出してざんさつしました。

 あまりのことに頭がついていかない。が、とりあえずこの惨状をどうにかせねば。


「ど、どうするんだこれ。片づけとか。は、墓? 犬の墓作る?」背中に後輩の死体を背負いつつ、たけるがおろおろする。


「おうおう落ち着きたまえ。えーと、だからスッサーね。まーもうちょい見てなよ」

「あっ!」


 そう言って回り込み、たけるの背中をぽんぽんとたたいてくる金髪の女生徒──あめが声を上げる。たけるは言葉に従いガルムの方へ目を向けた。


(犬の体が、ゆらいで──)


 ぶわっ、と黒い煙が一瞬だけ広がり、収束。次いで、地から伸びた刀槍もその姿を消した。後には一枚の紙きれが残るのみであった。そこには先ほどの魔犬らしき絵が記されている。


「紙片変換っと」


 づみがそれを拾い上げ、びりびりと破り捨てていく。風も無い室内で、その細かな紙片はへともなく流れていった。


「まあガルムをここで消せたのは良かったですね。これでしばらくは初心者でも比較的安全に仕事が出来ます」

「何週間かてばまた勝手にくっついて元通りだけどね」

(なんなんだ……)


 異常状況を慣れた様子で話す先輩達に、しかしたけるも冷静さを取り戻す。


「とりあえず、助かっ……助かりました。……けど」


 聞きたいことが、と続ける前に。エスキュナが上を指さした。


「言ったでしょせんぱい。上がってから。色々集まってきちゃいますから」


 色々。明らかに良くはなさげなそれに、周囲もうなずく。


「そうね。いこ、たける。……その、背中の男子のことも」


 に言われ、たけるは改めてかついでいる死体を意識する。


(そうだ。とにかく彼を弔って、しかるべき説明とこの場所についての追及を)


 そうでもせねば、死んだ彼も浮かばれない。委員達の反応の薄さにも腹が立っていた。

 一行は階段を上る。あめが「ひらけごまー」などと言いながら(思えば、彼女は特に何もしてない)扉を開けて、エントランスへと入る。


「いやったー! 生還!」エスキュナが順を抜かして飛び込んでかいさいを叫ぶ。


たける」続こうとするたけるへ、殿しんがりを務めたから声がかかった。「今からまた驚くと思うけど、説明はするから」


 え、と返事をしつつ、扉をくぐる。

 異変は、腕から来た。大ネズミにみ裂かれたたけるの腕。その痛みが消える。まるで元から、

 ば、と腕を上げる。錯覚では無い。というか、


「治ってる! 服まで……?」


 切り裂かれた服までが、元通りになっていた。さらに、背中をくすぐる感覚と、急速に感じる暖かさ。

 体温だ。


「むぐ……うぅ」


 声まで追加された。明らかに背中の少年──おおぐにの体が、生気を取り戻していた。


「!?」

「とりあえず進んで。扉閉めるから」「せんぱーい、こっちこっち」


 とエスキュナに言われて、たけるは一行が車座になっているエントランスの中央部へ歩く。


「彼を下ろしてみてください」


 指示するのはたか委員長だ。床に横たえた時点で、たけるは目をいた。

 傷が無い。加えてたけるの腕と同様に、服も元通りふさがり、出血の跡すら無い。さらには、


「うっ……くぅ……ぐぅ……?」


 寝息を立て始める。


「生きて……いや」たけるは彼をかついでいた時の死の感触を思い出す。まさかとは思いながらも、言わざるを得ない。


「生き返、った……?」

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