壱 ─ 覚醒 ②

 あんどうは生きている電源を器用にり寄せ、レンチを回して発電機を修理していた。その背中がやぶからぼうにそんなことを言ったのだ。叶葉がオウム返しに聞くと、老人は片手で機械をいじりもう片手で白髪しらがあたまをぼりぼりときながら答える。


「おうさ、蜻蛉様よ。大の大人おとなの何倍もでかいずうたいに、風もかくやと言わんばかりに速く、とにかくめつぽう強い。──お前さん《ちゆう》を知っておるか?」


 ふるふると首を振る。

 安東にしてみれば昔語り半分の話題だったのだろうが、叶葉は作業場の床にちょこんと正座しておおに彼の言葉に耳を傾けていた。

 この老人の話はおもしろい。冗談でも言うような軽快な口調が耳に心地よく、世が世ならべんとしてだってやっていけたかもしれないほどだ。


「わしも何から何まで知ったわけではないが、鬼虫の蜻蛉様というたら味方とてふるえ上がらぬ兵はおらなんだ。今ここの外を歩くおっかない機械兵が、いくらたばになろうと傷一つ付けられんほどよ。しようしんしようめいかいぶつとはまさしくあれを指すな」

「でも、あの、」


 そこで叶葉がひかえめに口をはさむ。鬼虫という存在については少しわかった気にはなったが、そもそもの最初に安東が切り出した言葉が引っかかる。


「そのトンボさまが、なんで今九十九号線にいらっしゃるんでしょうか?」

「うむ、──そればっかりは、どうもわからんでなあ」


 安東は両手だけ別の頭を持っているように器用に働かせながら、


「よもや二十年前からずっとというわけでもあるまいが、蜻蛉様は今なお九十九号線のせきをお守りなさっておる。あそこは戦略上の一つのようていであったというから、その使命をまだじゆんしゆしておられるのか──ともあれ出るも入るもいつさいまかりならんというありさま。望遠鏡で一度だけあそこに機械兵が近付くのを見たが、あっという間もなくことごとく真っ二つにされておった。いかなカラクリを使ったものか全くわからん」


 まっぷたつ。

 蜻蛉とんぼというのが具体的に何をどうしたかなどわからないにしても、その言葉だけでかなはごくりとつばを飲んだ。大根を切るように両断された機械兵を想像し、叶葉はあわててその恐ろしい映像を頭から引きがした。


「ただ気になるのは、ここの戦線にはもう一機の虫がおったという話よ。確かあれは《はち》だったのではと思うが……。蜂もべらぼうに強くての、空戦の達人として蜻蛉様と並びたたえられたものよ。しかし、」

「──おじーちゃん! ここってどうすんのーっ!?」


 と、全く違った方面からお呼びがかかる。安東の孫娘であり整備士の卵、すずなの声だ。安東はちよういい頃合いに作業を終えたようで、最後に一発ひっぱたくように起動させるとボロの発電機がうなりをあげて息を吹き返した。


「……ふうむ、あのアホまだ手順をみ込みきれておらんと見える。すまんなお嬢、話はここまでにしよう。まあ、要は軍道九十九号線には近付くなという話だ。外歩きのおとこしゆとて寄ったことは無い。ま、」


 言って、安東はからかうように笑う。


きやしやなお嬢じゃ徒歩でじんてんはずれにまで歩くっちゅうことからして、まず無理だがの」


 む。

 叶葉はからかうように笑う安東の物言いに、不服そうにむくれた。


「あ、あたしだってちゃんと歩けます! 鹿にしないでください!」


 むはは、と叶葉の強がりを笑い飛ばし、安東はのそのそと菘のいる場所に歩いていく。その背になおも物申したかったがあきらめた。ふんっ、とそっぽを向くその頭の片隅で、叶葉は彼の言ったことをはんすうしてもいた。

 ──蜻蛉、と、蜂。


 まとめると、こうなる。

 尽天の外部と接触したい。

 仮に脱出するとしても、ここからの出口は実質一つしかない。

 ところがその軍道は恐ろしく強い蜻蛉が守護しており、近付けない。

 したらばあきらめましょうということにはならない。いさぎよく力きるのを待つなんて結論には当然至らず、そこで人々が目を付けたのは、西の基地に残された通信設備だった。中でも比較的ましな状態を保っていると思われる、通称《通信とうおつ号》のそれだ。

 通信塔乙号を修理することができれば、外部とコンタクトが取れるかもしれない。その望みにける他に手はなかった。

 かなは、長くまっすぐに伸びるたいはく通りのあちらとこちらをもう一度見回してから、ふぅと息をついた。空気を焼く太陽と、毒々しいほどに青い空。底が抜けたような無限の夏がどこまでも広がっている。

 二〇度目のはいきよの夏に全身をあぶられながら、叶葉は、「ちよう」のことを思い出してみる。


    ✠



 しま国軍・北部第四こうしよう。北側の主要な拠点とされていた大型の地下施設である。

 大白通りを北の果てまで歩き、ほうらくしたビルを避けて地下道にもぐると、途中で秘密の貨物はんにゆう路に枝分かれする。都市機能が生きていた頃は幾つものシャッターが重なっていた搬入路だが、かそれら全てがまとめてぶち抜かれていることは調査済みだ。


「仕事」は、この先にある工廠で行われる。

 仕事といってもやることは一つ、打ち捨てられた施設に今なお残された廃材の回収である。

 おつ号の回復にはやはりパーツが必要不可欠。全て手作業な上にしようさいな仕様図も失われたしゆうぜんであるから、とにかく使えそうなものはかたぱしから集めた方がいいとの判断だ。

 当然、危険なことは変わらない。なので本格的なたんさくに乗り出す前には、体力のある男連中が経路をチェックし、周囲に危険がないことを確かめるのだ。

 ここは安全だ、というのが探索班の結論だった。少なくとも深入りしすぎない限り大丈夫だろうと。探索者たちは地下に潜る前にガスマスクを装着し、叶葉もそれにならった。


「おぉいカナ嬢、大丈夫か? ちゃんとついて来てるかあ?」

「──は、はい、大丈夫です!」


 探索班のリーダー格であるつなじまという壮年が、こちらを何度か振り返っては声をかける。叶葉はそれにあわてて答えながら、綱島らの背中を必死で追った。照明のない地下道は外の明るさからは考えられないほど暗い。メンバーが体のあちこちに反射テープをっていなければ、LEDライトだけでは目で追いきれないほどだ。


「嬢ちゃんじゃあ、いくらなんでもここはきつかったんじゃねえか? 手伝ってくれんのはありがてぇけど無理してもらっちゃこっちも困るってもんだ!」


 仲間の一人がからかい半分本気半分で声をかけるが、叶葉はそれにむきになって反論した。


「大丈夫ですったら! あたしはいいから先に進んでください!」


 廃墟を抜け、ずいぶん長く歩いている。少女にはなかなかきつい歩みのはずだ。それでも叶葉は、弱音一つかず細い足をせっせと動かし廃墟を踏み越える。

 叶葉が外での活動に志願した時、当然綱島ら探索班はものすごい勢いで反対した。

 生存者の全員が外に出て廃墟を探索しているわけではない。探索班とは別に整備班というのもあり、それこそ老体の安東や、彼の孫娘でまだ十六になったばかりのすずなはそこで力をふるっている。かなだってすずなよりさらに一つ下の十五歳で、表に出るよりはアジトで中の仕事をしていた方がよっぽど安全に違いない。

 だが、結局しつこく食い下がる叶葉の熱意につなじまらも折れた。通りの安全確認など比較的簡単な役割をてることと、あまり危険な場所には連れて行かないことを条件としてはいるが。

刊行シリーズ

エスケヱプ・スピヰド/異譚集の書影
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