実際、ちょこまかと動く叶葉は決して役立たずではなかった。体力こそ頼りないながら、細かいところによく気が付き、小型のパーツなどを多く発見したりもしている。また炊事班も兼任している為、道中の行動食の用意や運搬なども彼女が行っていた。前に立つ男たちは、基本的に探索用の装備に身を固めており、重量削減のため食糧を多く持てないのだ。
皆の役に立ちたい、と叶葉は思っている。
生きろ、と伍長は言った。
それが彼の最後の命令だった。ならば生きなくてはならないし、生きのびる為の体力や心得を養わねばならないとも思っている。それは自分自身の為でもあるし、行動を共にする人々の為でもある。
歩き続けてスリングがずれつつあったザックをうんしょと背負い直し、叶葉は仲間を追って地下道を抜け、工廠に足を踏み入れる。
心配してくれるのはありがたいが、このままいつまでも半人前扱いに甘んじるのも良くはないと考える叶葉だった。
「──妙だな」
搬入口から中に侵入すると、そこは戦車十台なら容易く横並びに入るほど広い空間だった。
事前に調べていた通り、内部は静かなものだ。大抵の施設の例に漏れず崩落して土に埋まった部分が多くを占めるが、外と比べれば何ほどのものでもない。深入りしすぎることがなければ安全だろうという見立ては正しい筈だ。既に探索班は各自散開して、奥で使えそうな部品を漁っている。順調だ。
だから綱島が唐突にそう言った時、叶葉は首をかしげた。
「綱島さん? どうかしたんですか?」
「ちっとばかし釈然としねえ。尻の据わりがどうも落ちつかねえっていうか……ううん」
「……もしかして、危ないってことですか?」
「いや、安全だよ。安全だけどさ、他の場所と比べると、どうも、綺麗すぎる。機械兵の連中が荒らしててもおかしくねえんだが……ここだけ忘れ去られてるってのも考えられんし」
どうやら電源が生きているらしく、天井では照明が明滅を繰り返す。通路を歩きながら、綱島は床に光を当てては自分の中の違和感を持て余していた。
確かに、と叶葉は思う。この通路は大きな機材を通す為にか縦にも横にも広いが、不思議なほどにがらんとしている。床ひとつ取っても奇妙にさっぱりしているという印象があった。長い年月が溜めた埃がまるで絨毯のように積もり、歩く度に舞い散るのだが、他にはほとんど何も落ちていない。目を凝らしてみると細かな瓦礫や機材の残骸と思しきものも視界に入りはする。しかし、それらは全て吹き飛ばされるようにして脇にのけられている。
「薄っ気味悪い。取るもん取ったら長居はしねえ方が吉だ」
綱島は独り言のように呟きながら、無線機で他のメンバーにその旨を伝えようとする。だが無線機の調子が悪いのか、苛立たしげに本体を小突いたりアンテナを調整したりしながら、
「あん? っかしいな、ジジイが調整サボるわけもねえし……おい、聞こえるか? おい!」
叶葉はその背中を追い、周囲に目を配る。まだ半端者の叶葉は、こうしたところでは綱島の後を追って彼のサポートをすることになっている。何かめぼしいものがありはすまいかと周囲に目を配る叶葉だが、ふと、
──あれ?
風を見た。
風、というよりはむしろ微弱な空気の流れと言った方が正しいかもしれない。うっかりすると見逃してしまいかねない、叶葉もほとんど偶然のように気付いたほどの小さな変化──自分らの歩みで散った埃の、不自然な動きだ。
人が入り、停滞した施設内部に空気の流れが生まれた。宙を泳ぎ、わずかにそよぐ埃は空気を視覚化したように「そちら」に流れている。メインとなる太い通路から枝分かれした別セクションへの連絡路らしいが、しかし、果たしてあちらに誰か行っていただろうか?
綱島は気付いていないようだ。今も無線を相手に四苦八苦しており、断続的に聞こえてくる仲間の声に応答を返している。それを遮ってまで自分のささやかな発見を伝えるのは気が引けた。だが綱島が見ているのはあくまでもメイン通路とそこから行ける簡素な倉庫だけで、あと十歩も歩けば風の流れがある場所を素通りしてしまう。
軽い気持ちだった。
ちょっと先を見てすぐに戻ろう。綱島から離れすぎないように気を付けて、連絡路を少しだけ行って何も無ければそれで構わない。無茶はしないつもりだった。この先に何があるのかといういっぱしの好奇心も少なからずあったし、何か珍しいものを発見したら少しは今以上に認められるかしれないという一種の期待もあった。
十歩だけ行って、すぐ戻る。叶葉はとにかくそう決めた。綱島はまだ気付いていない。
床を照らしながら、慎重に足を踏み出す。一歩、二歩、三歩──心なしか闇にまとわりつく埃の動きが速くなっている気がする。あたかも溜まった水を傾けるように、静かに少しずつ空気が流動している。歩く。四、五、六、七、八、九、
ずるり。
「──いッ!?」
一体何が起こったのかわからなかった。
何かを踏み外したと思った瞬間、体から重力が抜け落ちたように錯覚した。真っ黒な天井が一瞬だけ視界に映り、ひっくり返った叶葉はそのまま落ちた。
──何が崩れるかわからない。うっかり見落とすところに穴でもあれば目も当てられない。
埃が雲のように「ぼわっ」と巻き上がり、直径数メートルほどの大穴が姿を現す。誰がぶち抜き偽装したものか、幌で覆い隠されていたものだ。異常を察知した綱島が振り返る時、叶葉はもう掘り下げられた地下の更に深くへ滑り落ちてしまっていた。
✠
何かが来た。
ここのところ、すっかり反応が鈍くなってしまっている。二十年間の月日で《それ》の電脳はかなり磨耗しており、施設の隅に迷い込んだ程度の侵入者には気付けなくなっていた。
各所に敷設された自動制御のジャミング装置は今も機械兵を退ける妨害電波を発している筈だ。電磁気の網の最奥に鎮座し、彼もまた機械兵の例に漏れず冷静に狂いつつあった。
その電脳が弾かれたように反応した。何かが侵入した。小さい。この施設の奥、最終セクションの「このドック」に。
──敵か。
主要概念に基づき、休眠状態にあったシステムを起動する。工廠内部の防衛機構が目覚め、その為に作り出された《それ》の命令でぎちぎちと動き始める。
侵入者の排除を。
✠
体をしこたま打った。
どれぐらい落ちたのかわからない。垂直ではなく斜面を転がり落ちるような具合で、最後の数メートルを垂直に落ちてどすんと転がった。もはや自分の体がどれだけ回転したのかなど全くわからないし、感覚がしっちゃかめっちゃかになっていた。
「…………あ、う。あてて、ぇぷっ」
痛いのと回りすぎで脳がぐわんぐわんするのとで、すぐには立てなかった。だが、幸運にも重い傷はなさそうだ。頑丈な服とザックと、穴を隠していた分厚い幌が雪だるま式に自分に巻き付いたのがある程度のクッションになったようだ。
一応、頭にも傷はない──が、その代償にべこべこになってしまったガスマスクは、はずみで叶葉の頭から外れて数メートル遠くに転がっていた。
──わあっ!