壱 ─ 覚醒 ③

 実際、ちょこまかと動く叶葉は決して役立たずではなかった。体力こそ頼りないながら、細かいところによく気が付き、小型のパーツなどを多く発見したりもしている。またすい班も兼任しているため、道中の行動食の用意やうんぱんなども彼女が行っていた。前に立つ男たちは、基本的にたんさく用の装備に身を固めており、重量さくげんのためしよくりようを多く持てないのだ。

 皆の役に立ちたい、と叶葉は思っている。

 生きろ、とちようは言った。

 それが彼の最後の命令だった。ならば生きなくてはならないし、生きのびる為の体力やこころを養わねばならないとも思っている。それは自分自身の為でもあるし、行動を共にする人々の為でもある。

 歩き続けてスリングがずれつつあったザックをうんしょと背負い直し、叶葉は仲間を追って地下道を抜け、こうしように足を踏み入れる。

 心配してくれるのはありがたいが、このままいつまでも半人前あつかいに甘んじるのも良くはないと考える叶葉だった。


「──みようだな」


 はんにゆう口から中に侵入すると、そこは戦車十台なら容易たやすく横並びに入るほど広い空間だった。

 事前に調べていた通り、内部は静かなものだ。たいていの施設の例にれずほうらくして土に埋まった部分が多くを占めるが、外と比べれば何ほどのものでもない。深入りしすぎることがなければ安全だろうという見立ては正しいはずだ。すでに探索班は各自散開して、奥で使えそうな部品をあさっている。順調だ。

 だから綱島がとうとつにそう言った時、叶葉は首をかしげた。


「綱島さん? どうかしたんですか?」

「ちっとばかししやくぜんとしねえ。しりわりがどうも落ちつかねえっていうか……ううん」

「……もしかして、危ないってことですか?」

「いや、安全だよ。安全だけどさ、他の場所と比べると、どうも、れいすぎる。機械兵の連中が荒らしててもおかしくねえんだが……ここだけ忘れ去られてるってのも考えられんし」


 どうやら電源が生きているらしく、天井では照明がめいめつを繰り返す。通路を歩きながら、綱島は床に光を当てては自分の中の違和感を持て余していた。

 確かに、と叶葉は思う。この通路は大きな機材を通す為にか縦にも横にも広いが、なほどにがらんとしている。床ひとつ取っても奇妙にさっぱりしているという印象があった。長い年月がめたほこりがまるでじゆうたんのように積もり、歩くたびに舞い散るのだが、他にはほとんど何も落ちていない。目をらしてみると細かなれきや機材のざんがいおぼしきものも視界に入りはする。しかし、それらは全て吹き飛ばされるようにしてわきにのけられている。


うす悪い。取るもん取ったら長居はしねえ方がきちだ」


 つなじまひとごとのようにつぶやきながら、無線機で他のメンバーにそのむねを伝えようとする。だが無線機の調子が悪いのか、いらたしげに本体をいたりアンテナを調整したりしながら、


「あん? っかしいな、ジジイが調整サボるわけもねえし……おい、聞こえるか? おい!」


 かなはその背中を追い、周囲に目を配る。まだはんものの叶葉は、こうしたところでは綱島の後を追って彼のサポートをすることになっている。何かめぼしいものがありはすまいかと周囲に目を配る叶葉だが、ふと、

 ──あれ?

 風を見た。

 風、というよりはむしろ微弱な空気の流れと言った方が正しいかもしれない。うっかりするとのがしてしまいかねない、叶葉もほとんど偶然のように気付いたほどの小さな変化──自分らの歩みで散った埃の、不自然な動きだ。

 人が入り、停滞した施設内部に空気の流れが生まれた。ちゆうを泳ぎ、わずかにそよぐ埃は空気を視覚化したように「そちら」に流れている。メインとなる太い通路から枝分かれした別セクションへの連絡路らしいが、しかし、果たしてあちらに誰か行っていただろうか?

 綱島は気付いていないようだ。今も無線を相手に四苦八苦しており、断続的に聞こえてくる仲間の声に応答を返している。それをさえぎってまで自分のささやかな発見を伝えるのは気が引けた。だが綱島が見ているのはあくまでもメイン通路とそこから行ける簡素な倉庫だけで、あと十歩も歩けば風の流れがある場所を素通りしてしまう。

 軽い気持ちだった。

 ちょっと先を見てすぐに戻ろう。綱島から離れすぎないように気を付けて、連絡路を少しだけ行って何も無ければそれで構わない。ちやはしないつもりだった。この先に何があるのかといういっぱしの好奇心も少なからずあったし、何か珍しいものを発見したら少しは今以上に認められるかしれないという一種の期待もあった。

 十歩だけ行って、すぐ戻る。叶葉はとにかくそう決めた。綱島はまだ気付いていない。

 床を照らしながら、慎重に足を踏み出す。一歩、二歩、三歩──心なしかやみにまとわりつく埃の動きが速くなっている気がする。あたかも溜まった水をかたむけるように、静かに少しずつ空気が流動している。歩く。四、五、六、七、八、九、

 ずるり。


「──いッ!?」


 一体何が起こったのかわからなかった。

 何かをはずしたと思ったしゆんかん、体から重力が抜け落ちたようにさつかくした。真っ黒な天井が一瞬だけ視界に映り、ひっくり返ったかなはそのまま

 ──何がくずれるかわからない。うっかり見落とすところに穴でもあれば目も当てられない。

 ほこりが雲のように「ぼわっ」と巻き上がり、直径数メートルほどの大穴が姿を現す。誰がぶち抜きそうしたものか、ほろおおかくされていたものだ。異常を察知したつなじまが振り返る時、叶葉はもう掘り下げられた地下のさらに深くへすべり落ちてしまっていた。


    ✠



 何かが来た。

 ここのところ、すっかり反応が鈍くなってしまっている。二十年間の月日で《それ》の電脳はかなりもうしており、施設の隅に迷い込んだ程度の侵入者には気付けなくなっていた。

 各所にせつされた自動せいぎよのジャミング装置は今も機械兵を退しりぞける妨害電波を発しているはずだ。でんの網のさいおうちんし、彼もまた機械兵の例にれず冷静に狂いつつあった。

 その電脳がはじかれたように反応した。何かが侵入した。小さい。この施設の奥、最終セクションの「このドック」に。

 ──

 主要がいねんに基づき、休眠状態にあったシステムを起動する。こうしよう内部のぼうえい機構が目覚め、そのために作り出された《それ》の命令でぎちぎちと動き始める。

 侵入者のはいじよを。


    ✠



 体をしこたま打った。

 どれぐらい落ちたのかわからない。垂直ではなく斜面を転がり落ちるような具合で、最後の数メートルを垂直に落ちてどすんと転がった。もはや自分の体がどれだけ回転したのかなど全くわからないし、感覚がしっちゃかめっちゃかになっていた。


「…………あ、う。あてて、ぇぷっ」


 痛いのと回りすぎで脳がぐわんぐわんするのとで、すぐには立てなかった。だが、幸運にも重い傷はなさそうだ。がんじような服とザックと、穴を隠していた分厚い幌が雪だるま式に自分に巻き付いたのがある程度のクッションになったようだ。

 一応、頭にも傷はない──が、その代償にべこべこになってしまったガスマスクは、はずみで叶葉の頭から外れて数メートル遠くに転がっていた。

 ──わあっ!

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