壱 ─ 覚醒 ④

 それに気付きそうつ。はいきよの、しかも地下施設となれば人体に有害なエアロゾルが充満していてもおかしくないわけで、中にはのどがいかれてちつそくしてしまうものもあると聞いた。早く付け直さねば息がまって死ぬ、そんな恐怖がいたが、しかしよくよく考えてみるとおかしい。ガスマスクを付け直そうとあわてる今の自分は、ちゃんと呼吸ができている。

 かなはマスクを取り上げ、ぐりぐりとひっくり返しながら各部を確かめた。どうも弁のあたりや吸収缶がゆがんで動かなくなってしまっているらしく、これでは装着し直したところで何の用も成さない。とりあえず息ができているのは幸運だったかもしれないが、しかし。

 ここは一体、どこなんだろう。

 まずいんじゃないだろうか。


「むぅ……」


 無線機を取り出して通信を試みるも、こわれているのか電波が悪いのかノイズしか聞こえてこなかった。弱り切った叶葉は、自分が落ちてきた穴を見上げる。このどん詰まりの部屋の天井が最後の穴で、今自分はどことも知れない底にいる。

 暗くてよく見えない。落ちた身の実感とするのも少々おかしな話だが、これは施設の構造を丸ごと無視した「何か」がつらぬいた穴のようにも思える。究極のショートカットというか。だが何がどうしてそんなことをしたのかかいもく見当がつかない。

 叶葉は大きく息を吸い込んで、


「お──────────いっ!!」


 ありったけの声で穴の上に呼びかけた。しかしそれもむなしく、声はわんわんと反響するばかりで返答がこない。

 ほうに暮れた。どうしよう。

 白状すると、こわくなった。孤立して初めて、自分がとんでもない判断ミスをおかしてしまったと気付いたのだ。ライトはどこかに落としてしまっていた。

 どうしようどうしようとぐるぐる考えた結果、どうにもならないという結論に行きついて泣きたくなった。なんのかんのといっても叶葉は十五の小娘であり、非常事態からすぐさま最善の判断を下せるほどきようじんな精神を持っていなかった。

 ふと、こういう時はけいに動かないことだと教わったのを思い出す。連絡もつかない、現在位置もわからないではどうしようもない。

 とりあえず頭上に穴はあり、その穴は最低でも上につながっている。ここで待つしかない。見つけてもらったら全力であやまろう。もう二度と軽率なはしないともちかう。

 やがて、目がくらやみに慣れてくる。

 最初は気付かなかったが、光があった。照明といったたぐいのものではなく、電子機器が放つあわい計器の光のように思える。マスクなしで呼吸できるということは空調が生きているということで、やはり奥には十分な電気が通っているということなのだろうか。

 かなは思い出す。ぼうえい都市のこうしようは、それぞれ個別の小規模な発電施設を有していると。敵に送電所をつぶされた場合をけいかいしてのこと、らしい。今アジトで使用されている発電機の多くも、そうした工廠から持ち帰ったものなのだとつなじまが言っていた。

 ともあれ目をらし、叶葉は周囲に何があるのかだけでも認識しようと試みた。ぼんやりとながら徐々に周囲が見えるようになっていき、やがてどこかから音がして──音?

 叶葉は、そちらを見る。


「…………へう?」


 天井付近にせつされたカメラが、じっとこちらを見ていた。

 直後、とうの勢いで空間が目を覚ました。真っ白な照明がく。無数の機械がうごめく金属質な音が響く。警報がけたたましく鳴り響く。余りのまぶしさにびくっと身をすくませ、ちかちかする目を恐る恐る開いた時、くらやみが払われた空間が自分の想像よりはるかにとんでもない場所だということを知った。

 その空間は、最初に訪れたはんにゆう口と同じほどに広く、叶葉にはまるでわからない機材が所せましと並べられていた。


「え。え。え、えっ……何っ!? なにっ、ここ!?」


 急ごしらえかとも思われるそれらは一定の法則に従っており、叶葉の体より大きく、中にはてつかいまがうほどこつで硬そうなものもある。床をいそれらをつなぐ大小様々のコードは、まるで巨大な生き物の血管のようだ。天井はドーム状になっており、地下施設とも思えないほど高い。叶葉が転がり出た穴は壁に近い低いところに開けられていたのだ。もしもドームの頂点から落ちていたら助からなかっただろう。

 きようがくした。地下深くのこんな場所で、一体何が作られていたというのか。

 叶葉は知らぬことだ。ここはしま国軍・北部第四工廠の最深部。機械兵などのものとは一味も二味も違う、を整備するドックの一つだった。

 そして叶葉は、ここを守る「何か」に目を付けられたということを直感的に理解していた。


『侵入者ヲソク


 不意に腹の底に落ちる重い声が響き、そして異様なことが起こった。

 視界のはしにある鉄のかたまりが、ぎしぎしと音を立てながら動いた。最初は何かの機材と思ったが違う。機械兵でもない。機械兵は人型をしており、あれほど大きくはない。

 ぽかん、と口が開く。

 ──せんしゃ?

 に、よく似ていた。

 だが、戦車よりもどうもうなシルエットだった。車輪の代わりにそなえているのは木の幹ほどもある四本の脚。それに支えられた胴は意外なほど平べったく、まるで鉄で出来たかにのようにも見える。そして何より目を引くのは、胴の部分に取り付けられた二門の大型機関ほうである。その複数のカメラアイがどうし、確実にかなを見ていた。

 そう、叶葉は知らぬことだ。

 この大型自律機械は、しま軍製・こうしゆ拠点ぼうえい型戦闘兵器──名を《まがら》という。


「え? え? は、えっ、……えぇっ!?」


 まさか。


ゲイゲキスベシ、』


 地鳴りのような声がちかいのように繰り返す。そのまさか、だった。


『迎撃スベシ、迎撃スベシ、迎撃スベシ、迎撃スベシ、迎撃スベシ/全火器・禁制解除・レヨリ戦闘行為ニ移行』


 凶の機体に取り付けられていた機関ほうが、その時、叶葉の方を向いた。

 ──ひ、


「ひょええええええええぇぇぇぇえええええええぇっ!?」


 ひとたまりもなく、はじかれたように走り出す叶葉。

 けいに動くなもへったくれもあったものではない。泣くほど恐ろしかったし、相手はどう見ても本気だ。

 痛いのも忘れ、どこへ行けばいいのかもわからないまま無我夢中で機材のかげに走り込む。耳をつんざくほうせいがドックに響き渡り、てつかいのような機材の上半分が聞いたこともないような音を立て弾け飛んだ。

 今度こそ本当に生きた心地がしなかった。とにかく本能的に物陰から頭を出さないようにしながら床を虫のようにい回る。また、砲声。もはや完全にパニックにおちいっている。すいませんもうしませんごめんなさいと誰に言うでもなくまくし立て、ベソをかいて転げ回る。軽率な行動のばつとしてはあんまりではないか、このままでは死んでしまうではないか、

 死にたくない、──死にたくないっ!


 侵入者の迎撃。

 迎撃。破壊。撃破。撃滅。せんめつ。──戦闘。

 誰のためにか。上官の為にだ。目的を同じくする兵士たちの為だ。何の為にか。施設機能の維持の為だ。いいやそんなことはわかっている。もっと言えばそれは、プログラムされた「目的」そのものの為にだ。もとより兵器はそういう風にできているのだから。

 ──しかしながら、ねらづらい。

 凶が直前に戦闘機動を取ったのはこれより二〇年と三カ月の昔。ブランクによるコマンドの遅れや各機関との同調処理にどうしても遅れが出る。室内にせつした固定砲座へのアクセスへも手間取る。

刊行シリーズ

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