壱 ─ 覚醒 ⑤

 ねずみ一匹をひねつぶすのにもう八発もたまを使ってしまった。だが、徐々に慣れてくる。戦士としてプログラムされた本能が徐々に感覚を取り戻していく。電脳の演算によると次の命中率が八割二りん、次の次の命中率となると九割九分だ。

 ねずみの行動パターンなど知れていた。先読みする。見えた。つ、

 せんこう


「──カナ嬢! まだ生きてっかァ!!」


 耳慣れた声がかなたたき、直後にかくれた機材の向こうで閃光がはじけた。

 手製の、対機械用フラッシュバンである。

 ものかげからでもショックを受ける光とごうおんだが、それが投げ込まれたという事実と直前の声は叶葉にとってまさしくごくに仏だった。


「づなじまざぁんっ!!」


 べっちゃべちゃな声だった。

 声は天井の穴からして、そちらを向くとまさしくつなじまの姿。叶葉を追って降りてきてくれたのだろう、こしあたりに取りつけたフックを細いウィンチにつないでいる。

 しかしフラッシュバンとて気休めに過ぎなかった。ものの数秒でセンサーのリカバリーを済ませ、まがらは続けざまに綱島をねらった。


「……こいつ……ぼうえい型か!? こんなデカブツがなんでこんな奥に──」


 きようがくしているひまもない。巨体が信じられないほどじんそくに反応し、半円を描く機関ほうは砲口からしようえんの尾を引いた。発射。


「うおわっ!?」


 あわを食った綱島は穴から身をひるがえし、砲だんは天井のコンクリートをいともあっさりとくだいた。

 そのすきに、叶葉はどうにかここから脱出しようとした。とはいえどこをどう走れば出口に繋がるのかさっぱりわからない。こんな地下深くから、あんなものをいて脱出できるかもわからない。叶葉の頭に重油のような絶望が満ちかけた時、手が冷たいものに触れた。

 いつの間にか行き着くところまで行ってしまったらしい。必死で走って、気が付けば目の前には真っ白な壁があった。機材をたてに、コードを伝うように動いていたらこうなっていた。

 逃げられない──そんな言葉が、叶葉の頭に浮かぶ。ぐりん、と凶がこちらを向く。

 真っ白な頭で振り返る。砲口がこちらを向いている。叫ぶも逃げるもかなわない、頭に浮かぶのはちようの姿で、



『▼問/君ハ何者カ』



 砲げきは、来なかった。

 何故かはわからない。代わりに叶葉に降りかかったものは、凶のものとも違う、聞いたこともない声だった。ぜんとしたまま固まるかなはすぐに答えられない。もうずいぶん遠くに見える天井の穴から、命からがらほうげきをやり過ごしたつなじまが同じく唖然とこちらを見ている。

 まがらはなぜか動かない。二つの砲口をこちらに向けたまま、まるで経過を見守るかのように停止している。そのアイセンサーが見ているのは明らかに叶葉ではなく、そのとなりにあるものだ。

 視線を転ずる。


『▼問/再/君ハ何者カ』


 冷たい何かに当てられたままの叶葉の手。それが本当は何に触れているのか。

 そのあたりは、ドックに張りめぐらされた無数のコードが収束する場所だった。あらゆるパーツがばらばらになった状態のまま散らばっており、一歩間違えればその山が丸ごと雪崩なだれになるかもしれない。そうして山積したガラクタの中に、何かがあった。

 流線形の、まるでかんおけのようなそう。強化ガラス越しに中を見ることができる。

 横倒しになったその中に収まっているものは、


「……人……?」


 背後のきようもその時ばかりは忘れ、ぼうぜんつぶやく叶葉。

 人が入っている。それも若い。見たところ自分と同じくらいか。

 少年はぴくりとも動かず、士官学校のつめえりを着込んだまま叶葉にただ見下ろされていた。左腕がこつのようなものをそうちやくしている。機械仕掛けのそれは左腕のひじから先を完全におおっており、ガラス越しの照明を受けてにび色に光っていた。

 かそこでみように印象に残ったのが、学生服の肩だった。そこには金の糸で、小さく「九」としゆうされている。


『▼問/再/君ハ何者カ』


 三度目の問いが全く同じトーンで繰り返され、叶葉は我に返った。状況はまだまるでみ込めていないが、今のところ敵意は感じない。


「かっ! か、かな、かなは! 叶葉っていいます!」


 わらにもすがる思いで自分の名前をげる叶葉。頼れるものならもう何にでも頼りたい。


『かなは』


 ぐわ、とガラクタが盛り上がる。

 叶葉はそれを間近に見て、今度こそたましいを抜かれた。


 見上げるほど巨大な、機械仕掛けの《はち》がそこにいた。


 ガラクタに埋もれ、みずからも無数のコードにつながれながら、少年が眠る槽を守るように横たわっていたのだ。薄汚れ鈍く輝く金の体と、ほのおのように真っ赤な複眼。蜂の姿を模しているならいつついはねがあろうに、奇妙なことに目の前の虫にはそれが無い。

 まがらは微動だにしない。ほうこうをこちらにポイントしたまま、むっくりと身を起こしたはちをじっとにらんでいる。まるで何かを待つように。

 蜂が、周囲を見る。

 天井の穴と周囲のさんじようを見る。つなじまを見る。凶を見る。

 そして、かなを再び見る。

 ──た、


「助けて! 助けてくださいっ!!」


 やっと言えた。蜂はそれを受け止め、すぐさまこう問うた。


『▼問/ソレハ命令カ』

「え?」

『主脳及ビ副脳、ソンシヨウニヨリ自律ドウ不可。副次指令、《ダイタイ命令》ノ入力ヲヨウセイ

「め、めいれい? 命令したら助けてくれるんですか?」

『理論上ハ可』


 迷う理由は無かった、


「じゃあ! じゃあ命令しますっ! あたしたちを助けてくだ……あっ、いや、なさい! 助けなさいお願いします!」


ハイメイ保留/▼問/命令スイコウニ当タリソノホウガ情報ヲワレノ《ザンテイ的司令官》トシテ登録スルベシ。是カ非カ』

「なるっ! なります! しっ司令でも何でもしますから、とにかく、助けてっ!!」

『承知。主名《かなは》。モウマク情報登録──完了。声帯情報登録──完了。主脳及ビ本体ノカクセイ処理──、──完了』


 それからはあっという間だった。

 そうふたはじけ飛び、天井高くに舞って、まがらの近くに落ちた。


 二十年七日と八時間五十三分七秒の眠りから、少年が目覚める。

 少年の名はようちゆう九番式《はち》・きんの九曜である。


    ✠



 あの二匹の死闘が終結した後──二十年と七日前、第四こうしようそばに蜂が落ちた。

 蜂は満身そうの状態となっていた。蜻蛉とんぼの「ざんげき」はいつしゆんにして十にも二十にも標的を切りきざじゆうおうじんの絶技であり、それをまともに受けて生き残った者は存在しない。つまり、直撃を受けてなお九曜が生きているということは、やつかんぺきな軌道演算で刻んだということになる。

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