鼠一匹を捻り潰すのにもう八発も弾を使ってしまった。だが、徐々に慣れてくる。戦士としてプログラムされた本能が徐々に感覚を取り戻していく。電脳の演算によると次の命中率が八割二分四厘、次の次の命中率となると九割九分だ。
鼠の行動パターンなど知れていた。先読みする。見えた。撃つ、
閃光。
「──カナ嬢! まだ生きてっかァ!!」
耳慣れた声が叶葉の耳朶を叩き、直後に隠れた機材の向こうで閃光が弾けた。
手製の、対機械用フラッシュバンである。
物陰からでもショックを受ける光と轟音だが、それが投げ込まれたという事実と直前の声は叶葉にとってまさしく地獄に仏だった。
「づなじまざぁんっ!!」
べっちゃべちゃな声だった。
声は天井の穴からして、そちらを向くとまさしく綱島の姿。叶葉を追って降りてきてくれたのだろう、腰の辺りに取りつけたフックを細いウィンチに繋いでいる。
しかしフラッシュバンとて気休めに過ぎなかった。ものの数秒でセンサーのリカバリーを済ませ、凶は続けざまに綱島を狙った。
「……こいつ……防衛型か!? こんなデカブツがなんでこんな奥に──」
驚愕している暇もない。巨体が信じられないほど迅速に反応し、半円を描く機関砲は砲口から硝煙の尾を引いた。発射。
「うおわっ!?」
泡を食った綱島は穴から身を翻し、砲弾は天井のコンクリートをいともあっさりと砕いた。
その隙に、叶葉はどうにかここから脱出しようとした。とはいえどこをどう走れば出口に繋がるのかさっぱりわからない。こんな地下深くから、あんなものを撒いて脱出できるかもわからない。叶葉の頭に重油のような絶望が満ちかけた時、手が冷たいものに触れた。
いつの間にか行き着くところまで行ってしまったらしい。必死で走って、気が付けば目の前には真っ白な壁があった。機材を盾に、コードを伝うように動いていたらこうなっていた。
逃げられない──そんな言葉が、叶葉の頭に浮かぶ。ぐりん、と凶がこちらを向く。
真っ白な頭で振り返る。砲口がこちらを向いている。叫ぶも逃げるも叶わない、頭に浮かぶのは何故か伍長の姿で、
『▼問/君ハ何者カ』
砲撃は、来なかった。
何故かはわからない。代わりに叶葉に降りかかったものは、凶のものとも違う、聞いたこともない声だった。唖然としたまま固まる叶葉はすぐに答えられない。もう随分遠くに見える天井の穴から、命からがら砲撃をやり過ごした綱島が同じく唖然とこちらを見ている。
凶はなぜか動かない。二つの砲口をこちらに向けたまま、まるで経過を見守るかのように停止している。そのアイセンサーが見ているのは明らかに叶葉ではなく、その隣にあるものだ。
視線を転ずる。
『▼問/再/君ハ何者カ』
冷たい何かに当てられたままの叶葉の手。それが本当は何に触れているのか。
その辺りは、ドックに張り巡らされた無数のコードが収束する場所だった。あらゆるパーツがばらばらになった状態のまま散らばっており、一歩間違えればその山が丸ごと雪崩になるかもしれない。そうして山積したガラクタの中に、何かがあった。
流線形の、まるで棺桶のような槽。強化ガラス越しに中を見ることができる。
横倒しになったその中に収まっているものは、
「……人……?」
背後の脅威もその時ばかりは忘れ、呆然と呟く叶葉。
人が入っている。それも若い。見たところ自分と同じくらいか。
少年はぴくりとも動かず、士官学校の詰襟を着込んだまま叶葉にただ見下ろされていた。左腕が無骨な籠手のようなものを装着している。機械仕掛けのそれは左腕の肘から先を完全に覆っており、ガラス越しの照明を受けて鈍色に光っていた。
何故かそこで奇妙に印象に残ったのが、学生服の肩だった。そこには金の糸で、小さく「九」と刺繍されている。
『▼問/再/君ハ何者カ』
三度目の問いが全く同じトーンで繰り返され、叶葉は我に返った。状況はまだまるで呑み込めていないが、今のところ敵意は感じない。
「かっ! か、かな、かなは! 叶葉っていいます!」
藁にもすがる思いで自分の名前を告げる叶葉。頼れるものならもう何にでも頼りたい。
『かなは』
ぐわ、とガラクタが盛り上がる。
叶葉はそれを間近に見て、今度こそ魂を抜かれた。
見上げるほど巨大な、機械仕掛けの《蜂》がそこにいた。
ガラクタに埋もれ、自らも無数のコードに繋がれながら、少年が眠る槽を守るように横たわっていたのだ。薄汚れ鈍く輝く金の体と、炎のように真っ赤な複眼。蜂の姿を模しているなら一対の翅があろうに、奇妙なことに目の前の虫にはそれが無い。
凶は微動だにしない。砲口をこちらにポイントしたまま、むっくりと身を起こした蜂をじっと睨んでいる。まるで何かを待つように。
蜂が、周囲を見る。
天井の穴と周囲の惨状を見る。綱島を見る。凶を見る。
そして、叶葉を再び見る。
──た、
「助けて! 助けてくださいっ!!」
やっと言えた。蜂はそれを受け止め、すぐさまこう問うた。
『▼問/其ハ命令カ』
「え?」
『主脳及ビ副脳、損傷ニヨリ自律稼働不可。副次指令、《代替命令》ノ入力ヲ要請』
「め、めいれい? 命令したら助けてくれるんですか?」
『理論上ハ可』
迷う理由は無かった、
「じゃあ! じゃあ命令しますっ! あたしたちを助けてくだ……あっ、いや、なさい! 助けなさいお願いします!」
『拝命保留/▼問/命令遂行ニ当タリ其方ガ情報ヲ我等ノ《暫定的司令官》トシテ登録スル可。是カ非カ』
「なるっ! なります! しっ司令でも何でもしますから、とにかく、助けてっ!!」
『承知。主名《かなは》。網膜情報登録──完了。声帯情報登録──完了。主脳及ビ本体ノ覚醒処理──、──完了』
それからはあっという間だった。
槽の蓋が弾け飛び、天井高くに舞って、凶の近くに落ちた。
二十年七日と八時間五十三分七秒の眠りから、少年が目覚める。
少年の名は九曜。鬼虫九番式《蜂》・金翅の九曜である。
✠
あの二匹の死闘が終結した後──二十年と七日前、第四工廠の傍に蜂が落ちた。
蜂は満身創痍の状態となっていた。蜻蛉の「斬撃」は一瞬にして十にも二十にも標的を切り刻む縦横無尽の絶技であり、それをまともに受けて生き残った者は存在しない。つまり、直撃を受けてなお九曜が生きているということは、奴が完璧な軌道演算で死なないように刻んだということになる。