壱 ─ 覚醒 ⑥

 九曜は蜂の身でいずるように地下道を通り、一番から五番まであるシャッターを全てかいして第四こうしように侵入した。続けてはんにゆう路をき抜け、ちゆうが整備を受けられる最深部への最短ルートを計算した。ここは前線たりうる軍道九十九号線にほどちかいだけあって、そこに配備されるであろう鬼虫の簡素な整備施設をそなえていたのだ。

 でんニードルガンのざんだんを惜しみなく使い、シャッターや床をぼろ切れのようにして、本来の施設のルートをいつさい無視した直接的なショートカットを選んだ。

 重傷を負った蜂は、もはや金翅のみようを持つ最強の兵器のおもかげを失っていた。飛行能力をも失くしてざまに這い回る巨体は、それでもみずからの回復手段を求めてのた打つ。兵器に自決という選択は無い。退けず、あきらめられず、殺されぬ限り死ねない。

 そのようにく九曜には、しかし耐え難いくつじよくだけがあった。

 あの男は、この自分に敗死さえ許してくれなかったというのか。

 整備用ドックに蜂の身がぼとりと落ちる。深刻なダメージにより、《蜂》の四つの副脳が真っ赤な警告表示に埋めくされている。

 巨大な蜂がぐるりと自己診断プログラムをそうし、全機能の九割が失われていることを伝えた。わななくように巨体が持ち上がり、機械仕掛けのこん虫の胸の部分が開かれ、存外に若い少年の体がき出された。

 鬼虫は、サブとなる複数の電脳を保有した「虫」のがいかくと、それをかんせいするための主脳を持つ本体からなる。

 はち──ようは、げんぶくを迎えて間もないほどの十五、十六程度の少年の姿だった。

 蜂の巨体からよろぼい出る彼は、整備ドックの修復そうおぼつかない足取りで歩み、途中でがくんと脚を折ってしまう。こしいた軍刀をつえ代わりにしてひざく九曜は、ここに自分以外の何かがいることを感知した。

 ──侵入者と思えば、ちゆうの蜂か。

 電波で頭に差し込まれるその「声」の主を、九曜は知っている。

 ──いかにもしようせいは鬼虫九番式《蜂》・きんの九曜。

 ──ほう、やはり。かかる不覚傷を負うとは、最強の鬼虫も地に落ちたものと見える。

 ──かくいう貴官は拠点ぼうえい型の中でも高位の型式、《まがら》と見受けるが。

 地下ドックの中に小山のように横たわっていた巨体が、やみの中でのっそりと起き上がる。

 戦争が終わってから数カ月。生き残った凶はこうしようの地下にもぐり、たった一機でこのポイントの番をしていた。

 定められた場を侵略者から死守することが存在意義である凶は、確実な狂気にむしばまれつつあった。戦うべき侵略者もおらず、守るべき場所はもはやほうされたがらんどう。なればせめてみずからが守ろうとしたこの最深部で狂気に至ろうとしたのである。突然の侵入者を鬼虫と判別できたのは、まだこの時点では正気の方が勝っていたためだ。

 ──拠点防衛などもはや名ばかり……私はここで狂う定め。何をしに現れた。よもやいんどうをくれに来たというわけもなかろう。

 ──しかり。その設備に用がある。そして貴官に任務をたくしたい。

 そうして九曜は、凶と取引をした。

 こちらは重傷の身を回復する必要がある。よってドックのまだ生きている機能・機材を総動員し、特に生体パーツに重大な傷を負った本体は修復槽に入らねばならない。蜂としての戦闘能力の回復こそが最優先なのだ。

 そこで、凶の存在が必要となる。彼が最低限の施設機能をかんせいし、また機械兵などの侵入者から自身を守って欲しい──九曜はそう言った。防衛型たる凶の、最後の仕事だ。

 ──だ。戦は終わった。お前は何故、そこまでする。

 凶の問いに、九曜は迷いなく答える。

 ──戦わねばならぬ《虫》がいるからだ。

 満身そうの身の内に、ほのおのようにれつふくしゆう心があった。

 そして凶は九曜の取引を受ける。ただ、最後に条件を付け加えた。

 いわく、守ることこそがおのれの存在理由。だが長き年月の中でこの脳がどれほど持つかもわからず、また、九曜が目覚めた時こそ凶の最後の役目が終わる時。本当に凶という兵器の存在価値が消え去るしゆんかんこそがその日であり、まず間違いなく自分は狂う。だから──

 ──だからその時は、お前が私をかいしろ。


 はちがいかくが有する副脳から信号が発せられ、目覚めた。

 ようはゆらりと立ち上がり、しようえんのにおいがするドックの空気を吸い込んだ。まず主脳によるかくせい処理を二秒で終わらせ、指の先まで神経パルスを行き渡らせ、即座に自己診断を開始する。生体ユニットの回復は完了、五感センサー良好、各部正常どう可能──問題なし。左手のいかめしいが、関節部の稼働を確かめるように動く。

 そして、そばにへたり込んでいる少女に目を落とした。少女は可哀かわいそうなくらいろうばいして身をすくませ、自分と蜂とを何度も見比べていた。

 副脳とのリンクが復活し、情報が流れ込む。

 主脳と副脳の自律判断に障害あり。

 やはり十分な回復には至らなかった。急ごしらえの環境では限界は知れており、二十年に渡る休眠もこれ以上続けばただち行くのみであったかもしれない。本体の覚醒と回復を最優先とする蜂の副脳が独自に判断し、この緊急事態に乗じて少女をざんてい的な司令官に設定したようである。

 たいていの場合、機械知性はその存在意義と同義である《主要がいねん》と、判断の補助となるサブ的な《副次指令》によって行動する。

 九曜などの高位な電脳を積んだ主力級は、自律判断により臨機応変に独自の副次指令を見出せる。だが今この時、総計五つの電脳のうち三つが万全でない九曜ではそれすらおぼつかないのだ。今の九曜は判断の補助として新たに二つの目的を与えられている。

 一/暫定司令《かなは》の安全を確保すべし。

 二/したがって、眼前のきようを除くべし。

 そして。

 無言で立つ九曜は、こちらにほうこうを向けたままのまがらのことを当然記憶していた。さきほどから耳をかたむけているが、あちらが無差別に発信し続ける通信波はごちゃごちゃしていて、もはや言語のていを成していない。狂ったか──そう理解した。機体をきしませこちらの出方をうかがう凶は、無言のままにこう述べていた。

 ──もう、良いか。

 ──もう良いか、ちゆうよ。


「そうか」


 つぶやく。もう、その時が来たか、と。

 九曜は凶を見えたまま、かなそばひかえるはちへ問う。


「状況はどうか」

『全ソウコウ七割二リン修復。副脳二号・三号・四号イマダ完全復帰ナラズ演算速度四割七分。術式精度低下中、ハンジユウ展開ニヨル飛行不可/現戦闘力、二割ヲ下回レリト判断ス』

「《装着》は可能か」

『非。現段階ニテ戦闘機動ヲ断行セントスレバ過負荷ニカイノ危険アリ』

「了解。本体のみにて対処するゆえ、演算補助と彼女の保護を要請する」

『承知』

「え? わっちょっ、うわぁあっ」


 指示を出すが早いが、はちの胸部が開いた。そうして何が何やらわからないかなえりくびあしつかみ、もんどう無用で内部に放り込む。目を白黒させてようを見上げる叶葉はものを言う間もなくおぼれるように蜂に取り込まれた。

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