九曜は蜂の身で這いずるように地下道を通り、一番から五番まであるシャッターを全て破壊して第四工廠に侵入した。続けて搬入路を突き抜け、鬼虫が整備を受けられる最深部への最短ルートを計算した。ここは前線たりうる軍道九十九号線に程近いだけあって、そこに配備されるであろう鬼虫の簡素な整備施設を備えていたのだ。
電磁ニードルガンの残弾を惜しみなく使い、シャッターや床をぼろ切れのようにして、本来の施設のルートを一切無視した直接的なショートカットを選んだ。
重傷を負った蜂は、もはや金翅の異名を持つ最強の兵器の面影を失っていた。飛行能力をも失くして無様に這い回る巨体は、それでも自らの回復手段を求めてのた打つ。兵器に自決という選択肢は無い。退けず、諦められず、殺されぬ限り死ねない。
そのように足掻く九曜には、しかし耐え難い屈辱だけがあった。
あの男は、この自分に敗死さえ許してくれなかったというのか。
整備用ドックに蜂の身がぼとりと落ちる。深刻なダメージにより、《蜂》の四つの副脳が真っ赤な警告表示に埋め尽くされている。
巨大な蜂がぐるりと自己診断プログラムを走査し、全機能の九割が失われていることを伝えた。わななくように巨体が持ち上がり、機械仕掛けの昆虫の胸の部分が開かれ、存外に若い少年の体が吐き出された。
鬼虫は、サブとなる複数の電脳を保有した「虫」の外殻と、それを管制する為の主脳を持つ本体からなる。
蜂──九曜の本体は、元服を迎えて間もないほどの十五、十六程度の少年の姿だった。
蜂の巨体からよろぼい出る彼は、整備ドックの修復槽へ覚束ない足取りで歩み、途中でがくんと脚を折ってしまう。腰に佩いた軍刀を杖代わりにして膝を突く九曜は、ここに自分以外の何かがいることを感知した。
──侵入者と思えば、鬼虫の蜂か。
電波で頭に差し込まれるその「声」の主を、九曜は知っている。
──いかにも小生は鬼虫九番式《蜂》・金翅の九曜。
──ほう、やはり。かかる不覚傷を負うとは、最強の鬼虫も地に落ちたものと見える。
──かくいう貴官は拠点防衛型の中でも高位の型式、《凶》と見受けるが。
地下ドックの中に小山のように横たわっていた巨体が、闇の中でのっそりと起き上がる。
戦争が終わってから数カ月。生き残った凶は工廠の地下に潜り、たった一機でこのポイントの番をしていた。
定められた場を侵略者から死守することが存在意義である凶は、確実な狂気に蝕まれつつあった。戦うべき侵略者もおらず、守るべき場所はもはや放棄されたがらんどう。なればせめて自らが守ろうとしたこの最深部で狂気に至ろうとしたのである。突然の侵入者を鬼虫と判別できたのは、まだこの時点では正気の方が勝っていた為だ。
──拠点防衛などもはや名ばかり……私はここで狂う定め。何をしに現れた。よもや引導をくれに来たというわけもなかろう。
──然り。その設備に用がある。そして貴官に任務を託したい。
そうして九曜は、凶と取引をした。
こちらは重傷の身を回復する必要がある。よってドックのまだ生きている機能・機材を総動員し、特に生体パーツに重大な傷を負った本体は修復槽に入らねばならない。蜂としての戦闘能力の回復こそが最優先なのだ。
そこで、凶の存在が必要となる。彼が最低限の施設機能を管制し、また機械兵などの侵入者から自身を守って欲しい──九曜はそう言った。防衛型たる凶の、最後の仕事だ。
──何故だ。戦は終わった。お前は何故、そこまでする。
凶の問いに、九曜は迷いなく答える。
──戦わねばならぬ《虫》がいるからだ。
満身創痍の身の内に、炎のように苛烈な復讐心があった。
そして凶は九曜の取引を受ける。ただ、最後に条件を付け加えた。
いわく、守ることこそが己の存在理由。だが長き年月の中でこの脳がどれほど持つかもわからず、また、九曜が目覚めた時こそ凶の最後の役目が終わる時。本当に凶という兵器の存在価値が消え去る瞬間こそがその日であり、まず間違いなく自分は狂う。だから──
──だからその時は、お前が私を破壊しろ。
蜂の外殻が有する副脳から信号が発せられ、目覚めた。
九曜はゆらりと立ち上がり、硝煙のにおいがするドックの空気を吸い込んだ。まず主脳による覚醒処理を二秒で終わらせ、指の先まで神経パルスを行き渡らせ、即座に自己診断を開始する。生体ユニットの回復は完了、五感センサー良好、各部正常稼働可能──問題なし。左手のいかめしい籠手が、関節部の稼働を確かめるように動く。
そして、傍にへたり込んでいる少女に目を落とした。少女は可哀想なくらい狼狽して身を竦ませ、自分と蜂とを何度も見比べていた。
副脳とのリンクが復活し、情報が流れ込む。
主脳と副脳の自律判断に障害あり。
やはり十分な回復には至らなかった。急ごしらえの環境では限界は知れており、二十年に渡る休眠もこれ以上続けばただ朽ち行くのみであったかもしれない。本体の覚醒と回復を最優先とする蜂の副脳が独自に判断し、この緊急事態に乗じて少女を暫定的な司令官に設定したようである。
大抵の場合、機械知性はその存在意義と同義である《主要概念》と、判断の補助となるサブ的な《副次指令》によって行動する。
九曜などの高位な電脳を積んだ主力級は、自律判断により臨機応変に独自の副次指令を見出せる。だが今この時、総計五つの電脳のうち三つが万全でない九曜ではそれすら覚束ないのだ。今の九曜は判断の補助として新たに二つの目的を与えられている。
一/暫定司令《かなは》の安全を確保すべし。
二/したがって、眼前の脅威を除くべし。
そして。
無言で立つ九曜は、こちらに砲口を向けたままの凶のことを当然記憶していた。先程から耳を傾けているが、あちらが無差別に発信し続ける通信波はごちゃごちゃしていて、もはや言語の体を成していない。狂ったか──そう理解した。機体を軋ませこちらの出方を窺う凶は、無言のままにこう述べていた。
──もう、良いか。
──もう良いか、鬼虫よ。
「そうか」
呟く。もう、その時が来たか、と。
九曜は凶を見据えたまま、叶葉の傍に控える蜂へ問う。
「状況はどうか」
『全装甲七割二分九厘修復。副脳二号・三号・四号未ダ完全復帰ナラズ演算速度四割七分。術式精度低下中、反重翅展開ニヨル飛行不可/現戦闘力、二割ヲ下回レリト判断ス』
「《装着》は可能か」
『非。現段階ニテ戦闘機動ヲ断行セントスレバ過負荷ニ依ル自壊ノ危険アリ』
「了解。本体のみにて対処する故、演算補助と彼女の保護を要請する」
『承知』
「え? わっちょっ、うわぁあっ」
指示を出すが早いが、蜂の胸部が開いた。そうして何が何やらわからない叶葉の襟首を肢で掴み、問答無用で内部に放り込む。目を白黒させて九曜を見上げる叶葉はものを言う間もなく溺れるように蜂に取り込まれた。