これで良い。九曜はもう一つの生命反応を追って天井の穴を見上げ、「彼」は危険から身を守る手段は心得ているだろうと判断する。最優先は暫定司令であり、そして司令に害なす敵対者の排除──あるいはその敵対者と、二十年前に交わした約束だ。
「すまぬ、──長く待たせたようだ」
控えていた軍刀を手にする。
鉄鞘の九十八式外装、切っ先両刃、八洲陸軍ムラタ刀《兼正》。
鯉口を切り、小指から順番に指を曲げて最後に親指で柄を握る。ぞろりと滑り出た刃は冷え冷えと冴え、全てを曝け出す照明を氷のごとく照り返した。戦闘演算開始。体にかけられたリミットを次々に解除。体内を循環する電気の気配──
凶が、撃った。
光を認識した瞬間、砲声が轟くより早く九曜は動く。
弾着点に既にその姿は無く、残像のように宙に残された鞘が意外なほどの間を置いてかつんと落ちた。連射された大口径の砲弾が壁を爆散させた時には、九曜は三歩で凶の左に回っていた。超高性能の人工筋肉は、最初のただ一歩で少年の矮躯を最高速に導く。
状況が激動した直後、ドックの中の全ての防衛機構が叩き起こされた。
監視カメラ、計二十基の固定機銃、それらと凶の目が全て九曜に焦点を合わせている。正真正銘の徹底的な戦闘意思を肌にびりびりと感じた。
無数の目を借り、凶が九曜の動きに獣のごとく反応した。
砲身が唸り、対戦車として使う弾丸が惜しげもなく撒き散らされる。九曜の走る軌道を、弾着の衝撃が続け様に辿った。それに呼応するように機銃も弾幕を展開し、一帯は目も開けていられぬほどのマズルフラッシュと硝煙と銃声に埋め尽くされる。綱島はたまらず上の階層に退避し、叶葉は蜂の内部でわけもわからず耳を押さえて目をぎゅっとつむっていた。
そんな中、九曜は眉一つ動かさず、瞬きすらせず演算を続ける。瀑布のような弾雨が床や機材を舐め尽くす中、黒い詰襟の裾を翻す身には一発たりとも命中弾がない。
九曜は右手に軍刀、空いた左手の関節を慣らすように動かしながら、赤い目で最初の標的を照準した。ばり、と弾ける音と共に、籠手を纏った左が指先に至るまで電流を帯びた。
右に四つ、左前に二つ、背後に同じく二つ。今の位置関係から九曜が確実に撃ち貫ける固定機銃だ。
「──疾ッ!」
口の端から吐息が漏れ、その身が躍る。半円を描くように、虚空に左の手刀が振るわれた。
瞬間その籠手から光が閃き、鋭く空を裂くものが飛び出る。轟音とマズルフラッシュを撒き散らす銃とはまるきり対照的に、それはほとんど無音で「射出」された。
左腕に仕込んだ電磁加速機関による、小型ニードルランチャーである。
狙った機銃にそれぞれ一閃、合計八つの針が空気を貫く。全長約五寸、錐のような先細りの形状は端から端まで電磁を漲らせていた。針はこちらを向く固定機銃の銃口に滑り込み、外科手術のように正確に発射機構を破壊する。
たまらず自壊する機銃が火を噴く時、九曜は既に右の軍刀で四つの機銃を斬り捨てていた。
十二の機銃を無力化するまで、三秒もなかった。
影が滑るような疾駆に、いかなる体術か足音は絶無。照準波の逆算と弾丸及び破片の脅威予測と敵への照準を一挙に行いながら、尋常ならぬ速度で床を蹴る。風圧に髪を躍らせ、電磁を帯びる左腕を再度薙ぐ。霞のように射出されるニードルは立て続けに残りの機銃を破壊、無力化した。
瞬間、凶の巨体が躍動する。
荒れ狂う風圧の激しさは、九曜どころの騒ぎではなかった。四脚を大きく溜めた凶が爆発的な踏み込みで飛び出し、九曜に体ごとの突撃を仕掛けたのだ。
それを視覚センサーで認識しながら、九曜はコンマ以下秒の計算でこの巨体への「対処」を思考した。どこを斬るか、或いは貫くか、最も効果的な攻撃は何か。消えたと見紛うばかりの速度で突撃を回避し、結論が出た九曜は迷わずニードルランチャーを凶に向ける。
凶は、重厚な機体からは想像もできないほどの素早さで体勢を立て直し着地する。凄まじい慣性によりその巨躯は十メートル以上も滑り、火花と共に床に四つの痕を残した。
直後、十は下らぬ九曜のニードルが凶に殺到し、各部装甲に突き刺さった。しかし、鉄板を屑に変える電磁ニードル弾をまともに受けても、相手はさしたる反応を見せない。
「流石は拠点防衛型の装甲……。この程度の射撃では装甲を抜けぬか」
《蜂》の電磁出力と大型針弾ならいざ知らず、あの装甲に対してこの針は小口径すぎて内部機関を喰い破るには至らない。それがわからぬ九曜では決してないが、しかし構わずニードルを再発射した。
装甲に無数の鉄針を食い込ませながら、凶は獰猛に九曜を追う。その重厚な進撃に巻き込まれればそれだけで深刻なダメージとなろう。数多の空薬莢を滝のように撒き散らし、人が一撃で血霧となる砲弾を乱射しながら迫る凶。
その時点で、仕込みは終わっていた。
九曜がその身を大きく翻す。ここに至り、初めて彼の脚が音を立てた。足元を砕くほどの強烈な踏み込みが銃声に負けぬ音を立て、床面に亀裂が走り、次の瞬間九曜は空中にいた。
人体の物理限界を越えた、驚異的な高度の跳躍である。凶から見れば相手が消えたと錯覚するほどのスピードだが、監視カメラの目を持つ凶は真上の九曜に即座に気付いた。機関砲の死角。四脚のうち前二脚で床を蹴り、馬が嘶くように体ごと上方を向こうとする凶だったが、九曜の方が数段速かった。
九曜は凶に落下しながら、軍刀を逆手に持ち直す。片手合掌の形に立てられた左掌が刀身を滑り、滑った軌道をなぞるがごとく刃が電流を纏った。
鬼虫とその本体には、独自の《特別攻撃術》が存在する。
個体ごとに有するその特攻術は、壱から九までの鬼虫の運用コンセプトから設定されている特殊機能だ。
九番式・九曜のコンセプトは、飛行能力とスピードを活かした遊撃。その特攻術の名は──
「《電磁制御》──起動ッ!」
精妙に電気を発生・増幅・操作する、それこそが蜂の能力。
これにより電磁加速機構が機能し、また、対機械にとってこの特攻術は極めて高い効力と汎用性を誇る。
そして、今。
電流を帯びた白刃が落下の軌道に残像を描き、一直線に凶の装甲の隙間を狙う。中心部、メインの電脳を有する部位へ。
力を込め、突き刺した。
硬質な手応え。刃が回路に触れたと認識した瞬間、九曜は左手で再び刀身に触れて電流の制御コマンドをぶち込んだ。