第一章 ⑨

 チビだな、というのがつるぎに対するいつわらざる第一印象だった。年下だと確信していたので、後ほど同い年と言われてかなりおどろいた。

 次に思ったのは、やけにじやな笑い方をするやつだ、ということ。ゆきがどちらかというとしやに構えた性格なせいか、初対面の相手に対し、人はこんなにもくつたくなくみを向けられるものなのかと感心させられた。どうせ友達多いんだろうな、なんてやっかみじみた感想も、心のかたすみいだいてしまっていたような気もする。


「お前、この辺のヤツ? みたことないけど」

「ちょっと前にしてきた。とにかくいれてよ。ずっと野球やれるところ探してたんだ。やっと見つけた」


 ヤンキースのベースボールキャップを少し持ち上げ、その場で何度かねながら手足をぶらぶらほぐして前のめりな気合いを表に出す新顔をしばらくながめてから、ゆきすぐるはアイコンタクトをわした。ドラゴンズじゃねえのかよ。あんまりそうには見えないけど、今はぜいたく言うのやめるか。いつしゆんのうちに、以心伝心で通わせたのはそんなおもわくだったはずだ。言葉でかくにんはしなかったが、すぐるも似たようなことを思っている様子だった。


「いいぜ、入れてやるよ」


 だからチームの創始者よりも先にゆきしゆこうした。


「得意なポジションとかあるのか? 今ならまだだいたい空いてるぞ」


 すぐるも不服そうな態度はいっさい見せず、がらなルーキーに対しかんげいの意を表明する。


「オレは、ピッチャーだよ」


 つるぎそくとうした。そこでようやくというべきか、ゆきすぐるわずかに顔をしかめる。こいつ、ずうずうしいな。入れるとめんどうくさいかな。そんなちゆうちよを二人は共有した。


「えー。球、届くのかよ」

「キャッチやってよ」


 いぶかしみをかくさずゆきがあごをすと、つるぎは気にした風もなしに人なつっこく白い歯をのぞかせる。本当に、どこまでもまっすぐ他人にぶつかってくるやつだなと、ゆきは改めてしようさせられてしまった。

 おもしろい。ならばお手並み拝見だと、ゆきは正しくホームベースのおくこしを落とし、つるぎめて手招きした。


「もうちょい前から投げろよ。そのマウンド、大人用だし」

「いや、ここでいいよ」


 18・44メートル先の長方形を愛おしげにって、つるぎさそいを断った。ああ、やっぱりただのかんちがろうなのだなとゆきらくたんする。小学生の野球であればピッチャーとキャッチャーのきよは14メートルそこそこなのが常識。情けをかけられたとでも思ったのかなんなのかは知らないが、大人用のマウンドから投げてまともにストライクが取れるはずもない。


「あっそ。じゃあとりあえず投げてみなよ」

「行くよ。ど真ん中な」

「はいはい」

はど真ん中だから。約束するから、オレを信じてグラブ動かすな」

「は?」


 すでになんの期待感も持っていなかったゆきだったが、つるぎの言い分がさっぱり理解できなくてことさらに顔をしかめる。最終的? なにいってんだこいつ。この少年はなぜ、ここまで自らに対しやたらと自信満々でいられるのだろう。

 いらちをかくしきれなくなりつつあったゆきの脳内が真っ白になるのは、それからほんの数秒後の出来事だった。


「……なんだ、今の」


 きゆうだ。

 なんともちんな表現だが、この時ゆきは他に形容するすべを持たなかった。

 しんらいではなく、むしろ期待感が無かったゆえたいにど真ん中で構えていたグラブにさったなんきゆうを、ゆきは何か未知の生物を土の中でにぎりつぶしてしまったような顔でぎようする。

 もし、少しでも球筋をしんけんに追いかけていたら、れなかった。『あそこ』にあった球が、なぜ『ここ』に収まっているのだ。キャッチしたゆき自身が、だれよりもその事実にきようがくした。


「お前、すげえな! 一発でオレの球ったヤツ、初めて見たぞ! 最高のキャッチャーだよ!」

「た、たいしたことないって。これくらい」


 つよがりだった。内心でゆきこうよう感をさえることにひたすら必死だった。

 かつて、キャッチャーというポジションにりよくを感じたことなんてなかった。

 けれども、この宙からってきた『最高のピッチャー』に。救世主のように現れた『エース』にそう言われたならば、目指してみようか、キャッチャーを、きわめてみようか。

 それできっと、五年後はこうえんだ。

 けいはくだなんていっさい疑わなかった。はらつるぎの投球がたった一球で見せてくれた夢は、とこなめで暮らす流れ者チームの小学生四人を、たましいの根元からしんすいさせた。

 いつまでもめない夢だったなら、今も変わらずゆきたちは白球にぜんしんぜんれいをぶつけていたのだろうか。

 考えても無意味なことだが。結果として、その後夢はあっさりとついえた。だから今はせつに願う。早くこのねむりが覚めて、二度とかえりたくもないおくをなぞるだけの悪夢もさっさと終わってくれやしないか、と。


     *


 願った直後にゆきの目はめた。


「ドイヒー」


 だれに向けるでもないうらみ節で、ゆきはひとりごとをらす。期待感を持たせるような場面で打ち切りになったのが非常に腹立たしい。とはいえ先に続いたところで史実通りなら待ち構えているのはしりすぼみのきわみと言うべき結末なので、追体験があそこで終わってまだマシとも言えなくはなかったが。

 時計を見る。午前五時。早すぎる。

 それでも二度が効く予感がしなくて、ゆきは階下の洗面台へ顔を洗いに行く。

 はらつるぎとのかいこうからひとつきたないうちに、ゆきたちはとりあえずつまはじきにされたスポ少チームに試合をいどむことにした。

 まだ頭数はそろっていなかったが、正式な試合の形式にのつとらなくとも、投打であの鼻持ちならない連中に一あわ吹かせたい欲求がおさえきれなくなったのだ。

 三角ベース、あるいは野球ばんまがいのルールでもい。とにかく、実力でこちらが上回っていることをして『水商売の子』と鹿にされたうらみを晴らしたかった。

 宣戦布告は受け入れられ、ほどなく対決が実現。

 そして、ゆきたちは一度のアウトすら取れないまま敗北した。

 敗因は単純にして明解。『きゆう』が小学生野球ではきんである『変化球』と見なされてしまったためだ。つるぎは初球こそ衆人のぎもいたが、直後にクレームがさつとう。敵側の主張は敵側の保護者が務めていたしゆしんに認められ、以後全てのつるぎの投球がコースにかかわらずボールあつかいとなる。

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