第一章 ⑧

「すんげーごこわるかったんだけど、それでもいつかこういうじようきようにも慣れてくるのかなってふと思って。そしたら、そのうちかのじよとか居るのもつうになって、なんとなく流れでけつこんして、なんとなく子どもできて、なんとなく年寄りになって。そんで……なんとなく死ぬのかなって。ドミノだおしみたいに、一つ転がったらもうなにもかも最後まで止まらないような気がして、こわかった」

「だから、まだ今は最初の一枚をはじきたくない?」

「だって、自分の人生の終わり方なんて、想像したくないじゃん。変な方に行きたいよ。どう転ぶかなんて、わからない方がい。変わり者って言われてもそれでい。その方がい」


 ゆっくりと言葉を選んで、すぐるてんじようを見上げる。


「や、ごめん。今のなし」


 その体勢のまま、しぼすような声で前言てつかいが伝えられた。たぶんずかしくなったのだろう。かわいいやつめ、とゆきひそかに思う。

 本当はうなずいて同意を伝えたかった。同じ経験をしたわけではないが、『何も起こらないかもしれないへいそく感』なら、ゆきもまた、日々のふとしたしゆんかんに感じ取って、そのつどどんしよくきように包まれる。

 すべっているからなのだろう。例えば酒とか煙草たばこ、例えば悪事、例えばれんあい関係。なんであれ、逆に思いきり足をはずして急転直下のついらくを味わってしまえば、この、胸がつかえたような息苦しさからはのがれられるような気がする。

 何か起こるでもなく、しかしぜいにくのようにちくせきしていくていたいに引っ張られたじわりじわりとした精神のかつらくが、よりいっそう『底』の存在を意識させるのだ。

 どうせ最後は同じところにたどり着くなら、いっそ飛び降りてしまっても同じではないか。そんなぼうさいなまれそうになるしゆんかんふと我に返り、ゆきたちはおそろしくてしかたがなくなる。

 しかしそれはきっと、まだきあがる、じようしようするという意思が残っているから。

 こんなもんで終わらないだろ、というこんきよもないわらにもすがるような希望的観測。それはあおくささとちようしようされる、成熟を経て体外にはいしゆつされてしまうたぐいかもしれない。

 だとしてもまだ。せめて青くりたいのだ。それがくすゆきと、かけいがわすぐる。今ここに居る二人の十五さいかつぼうちがいない。

 きっといまだ出会わずいの何かが、とこなめの日々からジェットエンジンでりくさせてくれる。

 でなければいよいよ、人生なんてやってられない。


「立てよ、相棒」


 ゆきすぐるの前に歩み寄り、そっと右手をばす。このていたい感を言葉ではらえるほど、ゆきの舌はゆうべんに回らない。


「なんだよ。いつものやつか、親友?」

「ああ、筋トレだよ相棒。筋トレは人を裏切らない」


 おもわくさとられうなずゆきの手を、すぐるはやれやれといった感じでかんまんにぎる。


「毎度の質問だけど、なんのために?」

「例えばだが。もし、第三次世界大戦とか宇宙人のしゆうらいとかにまれたとしてだ。くずれかけたビルにしがみついて、あと一回けんすいできてれば助かったのに。助かってれば、人生逆転できたのに──って事になったらやんでもやみきれないだろ。運は後から変えられないけど、筋肉は変えられる。つまり、チャンスは筋肉でつかめる」


 持論を展開すると、もう何度も聞いたはずの話にもかかわらずすぐるは高笑いしながら直立した。


「やっぱりお前はバカだなあ、親友」

「似たようなもんだろ、相棒」


 そして、二人はごつんと乱雑にこぶしをぶつけ合って上半身はだかになり、額を付き合わせながらうでせを開始した。


「なあゆき! 筋トレって本当につまらねえな!」

「ああ! 泣きたくなるほどクソみたいな時間だ!」


 悪態までもがいつも通りのルーティンで、ゆきたちはしゆくしゆくとメニューをこなしていく。


「ああ、そういえば」


 ちゆうばんかったころゆきはふと帰宅前の一件を思い出す。なぎさの口から聞かされた『あいつ』のこと。すぐるにも話題を持ちかけてみるべきだろうか。


「ん? どした?」

「いや、なんでもない」


 迷ったが、結局ゆきは忘れることにする。今さら出してももないことなのはちがいなかったし、それにもし。

 すぐるから『あいつって、だれのことだ?』とき返されたなら、自分の全てをたなに上げてうっかり不服をらしてしまいそうだったから。


     *


 その夜、ゆきは夢を見た。

 広い公園の一角で、グラブをはめたすぐるあいたいしている。その姿は今現在の本人のものよりだいぶ幼い。

 ゆき自身も身体が小学生のころもどっていたので『ああ、これは夢だな』となんとなく気付いた。しかし行動のせんたくけんあたえられていないらしく、とは別のところで口や身体が動き出すのをせいぎよできない。いちにんしよう視点の映画を無理矢理見せつけられているようなごこの悪さが、ゆきろう感をつのらせる。


「ちゃんとれよなー! そんなんじゃあいつらにフクシューできないぞ!」

すぐるの球がれすぎなんだって!」


 その上、夢の内容が過去のおくをそのまま再生しているたぐいだとわかってますますうんざりさせられる。どうやら日中に重なった様々な出来事が、余計なトリガーとなってしまったらしい。


「じゃあだれがピッチャーやるんだよ?」

「まだ四人しかいないんだし、ポジションは九人そろってから決めれば良いよ」


 わされる会話で、正確な時系列もあくできてきた。おそらくこれは、すぐるが独立して新規野球チームの結成を目指して間もないころの一幕だろう。

 今では信じられないことに、かつて大志をいだく野球少年だったゆきすぐるは、そろって地元のスポーツ少年団チームに加入した。しかしチーム内にはかなりへい的なばつが存在しており、主要メンバーから家庭かんきようを理由に差別的なあつかいを受けてすぐるげき。『独立宣言』を残してチームを退団し、ゆきいちれんたくしようと友人に続いた。

 それからツテをって二名の新規メンバーをかくとくしたものの、いまだエース不在というめい的な問題が残されたまま。人材確保がにもかくにも急務だった。

 そこにこつぜんと現れたのが、あいつ──。

 はらつるぎという名の、少年だった。


「おっ、野球やってんの? オレもいれてよ」

刊行シリーズ

ステージ・オブ・ザ・グラウンドの書影