第一章 ⑦

 すぐるが先客として部屋に居たこと自体は別におどろかなかった。昔から屋根づたいの訪問はにちじようはんだったし、ゆきもそれを想定して窓にじようしない。ただまさか、今日先回りされるとは思っていなかったのだ。


「そうか? いつも通りの時間に帰ってきたぞ?」

「いつも通りだからだろ。デート切り上げんの早すぎじゃないか?」


 ものがおでクッションソファにもれていたすぐるの正面に回り、ゆきもその場であぐらをかいてすわる。


「あーそうだ。お前、アレはないだろ。なんで一人で帰っちまうんだ裏切り者」


 するとぜんすぐるは表情をこわらせてこうの意を伝えた。ゆきとしてははなはだ心外である。


「気をかせてやったんだろうが。出来たてのかのじよなんだから大事にしてやれよ」

かのじよかのじよねえ。かのじよなのか?」

「いやおれくなよ。かのじよなんだろ」

「なあゆきかのじよってなんだ? どうすればかのじよで、どうすればかのじよじゃないんだ?」


 顔の半分をソファにめたまま、つかてた声で問うすぐる。人生の絶頂を感じても良さそうなじようきようなのに、むしろ最近ますます息苦しそうにしているのがどうにもゆきにはせない。


かれても困るって。お前がナンパしたんだろ」

「反省している。まさかOKされるとは思わなかった」

「ヒドい男だ」


 ひとしきりあきれてみせてから少しのちんもくへだて、ゆきなやめる親友のために、もう少しんだ質問を重ねることにする。


「好きじゃないのか? あののこと」

「美人だなとは思うよ。けど、先週初めて会ったんだぜ? 好きとかきらいとか、いつどのタイミングで決めればよかったんだ?」

「んー」


 そう問われるとゆき自身人生経験が少ないので返事に時間を要する。


「それに、あのの方は? なんで急に声かけてきた男と付き合っても良いって思ったんだ? あのはいつ、おれのこと好きになるタイミングがあった?」


 がばりと上半身を起こし、すぐるしんけんきわまりないそうぼうゆきを見つめる。相手が乗り気になったのは、おそらくすぐるの顔立ちが整っているからだろうなとゆきは思った。しかしそう伝えてもなつとくしてもらえない予感があったので、もっと根本的な部分で仮説を唱えてみる。


「そもそも、つうはそういうこといちいち考えないんじゃないのか? ナンパしたり、されたりする種族って」

「なんてこった。またひとつ才能を否定された」


 ばたり、と再びクッションにしずすぐる。実際のところ、本質的な部分ですぐるは軽快に他人とのきよめられるタイプではないだろう。

 何気にロマンチストなのだ。女性に限らず、運命的な出会いを求めずにはいられないしようぶん。だからこそたいに過ぎていく何も起こらない毎日に危機感がつのるし、そくぶつ的に何か変えたいとやつになり、しょっちゅう道にまどう。

 ゆきも同族だから、その辺の心情は察して余り有る。

 それにしても、だ。ここまでわした会話の内容からして、すぐるみようにお早い帰宅がますます気がかりになってくる。


「お前、もしかして。もう別れた?」

「別れてはねーんじゃないのか。たぶん」

「たぶんて」


 おそらく、そもそも付き合っているのかという自問なのだろうが、さすがにゆきしてしまった。ともあれ、すぐるの方から関係の清算をせまったりはしていないようだ。


「じゃあせめて、もう少しどっか遊びに行ったりすればよかったのに」


 いくららくが少ない街とはいえ、マックでってそのまま帰宅というのはいささか健全すぎるだろう。


「やーだって、ウチ来たいとか言い出すし」

「あー」


 それきり、ゆきは二の句がげなくなってしまった。すぐるの家は母子家庭で、この家と似たスナックと自宅一体型。近しいきようぐうとなり同士なので、なんとなく人を呼びづらい心情に関してはこれまでずっとシンパシーを共有し続けてきた。

 加えてもう一つ、かけいがわ家には問題があった。すぐるの母親はとてもやさしくめんどうのいい人間なのだが、いわゆる家事ぜんぱんが非常に苦手らしい。てんの方は従業員の手も借りてれいにされているものの、一歩住居の方に足をれると常に様々なモノであふれかえっている。

 そんなかんきように息がまるところがあってなのかいなか、昔から決まってすぐるは夜になるとゆきの部屋にころがりんでくるのだった。


「しかもスマホ持ってないって言ったらすんげえ顔でおどろかれてさ。来週までに買おうよ、持ってないとかありえないよ、とかずっとかんゆうされっぱなしだったから。なんかもう、最後はげたい一心で用事でっち上げて帰ってきた」

「あー」


 またしても声を失うゆき。本人の言葉通り、すぐるは買ってもらえないわけでもないのに自らの意思でスマートフォンを持とうとしない、高校生としてはたいへんな存在だった。

 理由は、『目が悪くなるから』。ビデオゲームのたぐいかたくなにけるのも、同じ主張による。

 すぐるにとって、持って生まれた動体視力こそが、はっきりと自覚できるゆいいつきようなのだろう(むろんゆきとしては目がいだけの男だなんて少しも思っていないが)。ひるがえって、それを失いかねない可能性を、びんなほどけるけいこうにある。

 改めて考えると、グレない、極力えきしようを見ない。そんなしばりの中で暮らしていたらたとえ大都会に居ても熱中できるものをさがすのは容易ではあるまい。このままを打つと出家して仏門に入るくらいしかせんたくが残らなくなりそうで、ゆきは改めて背筋が寒くなった。


「やっぱりこの機会、にしない方がいと思うぞ。すぐるって、客観的にはけっこう変わり者だし。次のチャンスなんていつくるやら」


 上から目線でそんな説教ができる立場でないことは重々承知していたが、ついあきれ笑いをらしてしまうゆき


「うっせ、おたがい様だろが」


 すぐるがにやつきながらたわむれにローキックを飛ばす。さすがにおこられるかと思っていたので、ゆきにはそのおだやかな反応が意外だった。


「なんでうれしそうなんだよ」

「別にうれしかねーけどさー」


 ためいき交じりにそう言ってすぐるは立ち上がり、窓べりにこしを落ち着け直す。


「今日、なんかちょっとだけこわかったんだ。おくに色々見えた気がして」


 そして、はじしのぶようにはにかむと、ゆきを見つめながら両眼を細める。


おく?」

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