一  南の海に雪は降らない ⑧

 たったそれだけの理由だと理解して、ラザルスはいきも出なかった。怖ければ目をらせばいいのに、それが出来ないせいで話が面倒になっている。

 というかそれ以前に、


(俺は善意と悪意の違いは学んだが、他人に向ける善意は雑なままらしいな)


 とラザルスは自分に向けてあきれていた。闘鶏を怖がる人がいるというのを想定もしていなかった。別に禁止されている訳ではないが、そういえば賭場にくる子供は余りいない。そういった、年頃の乙女らしい純真さをラザルスは上手うまく想像できなかった。


『目をらせ』というのは簡単だったし、そうすればリーラは目をらすだろうが、しかしそれでは意味がないように思える。

 ラザルスは少し悩んで、両腕をリーラに向かって伸ばした。


「…………っ」


 伸ばされた手を見て、リーラは自分が殴られるのだと思ったのだろう。彼女の肩がびくりと跳ねて、しかしラザルスの手は彼女の頭の両側に触れただけだった。


「ちょっとじっとしてろ」


 リーラの耳を両側からふさぐ。真正面から腕が伸ばされているので、これで闘鶏が目に入ることもないだろう。


「どうせすぐに終わるから、そしたら飯食って出るぞ」


 そういってから、自分の手で耳をふさいでいるのだからその言葉が届くことはないと気付いて苦笑した。


「何やってんだかなぁ」


 怪しげな行動をしているせいか、闘鶏の最中だというのにちらちらと視線が集まっているのが分かる。だがこの帝都で怪しい人間というのは珍しくもないので、強いて話しかけてくるやつはいないから良しとした。

 触れられているリーラが石のように固く身をこわばらせているのが分かる。


「…………ほんと、何やってんだかなぁ」


 赤コーナーの鶏が、青コーナーの鶏にとどめを刺していた。

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