毬井についてのエトセトラ ①

    序.まりゆかりというヒト



 毬井ゆかりは、ニンゲンがロボットに見える。

 それは、どうしても変えることのできない彼女の絶対条件。


 ──そしてあたしは、そんな彼女の友だち。




    1.まりぜんてい




 毬井ゆかりは、ニンゲンがロボットに見えるという。

 正確にはヒトだけではなく、自分以外の『生きているモノ』、すべて。

 彼女は自分をのぞいたあらゆる生物がロボットに見えるといい、そして、その話が真実かどうか、他人に確かめるすべはない。たとえどれだけありえない話に聞こえても──考えてみてほしい。『赤いりんご』を見て『赤い』と感じたことを、どうすれば他人に伝えられるだろう。『赤色』という『感じ方』を、『赤い』と口にする以外にどう説明できるだろう。どれだけ言葉を並べようとも、自分が感じた『赤色』を正しく表現することなど不可能で、人間がロボットに見える、というのも結局はそれと同じこと。実証のしようがない。

 よって『毬井ゆかり』は『他人』に対し、ただこういうことしかできない。

 しようなんてないけれど、自分には、生きモノがロボットに見えているのだ、と。

 自分が体験したモノを他人に伝えられない以上、『それ』は決して証明されない、信じるしかない大前提で、そして、単なる知り合いならともかくも、友だちでいるつもりなら、『それ』を受け入れなければならない。どれほど信じがたくとも、言葉のままに、無条件に。

 でもきっと、友だちになるというのは、大なり小なりそういうところがあると思う──


「ねぇガクちゃん。……かんちがいならいいんだけれど、これって、ガクちゃんのじゃない?」

「……あのね、ゆかり。何回だっていうけどね、あたしにネジは使われていません」

「わ。そうだった。ニンゲンってすごいよね」

「……そうね……」


 そうでなければやっていけない。



    2.毬井はかわいい



 毬井ゆかりは、とてもかわいい。

 全体的に小さくて(背伸びをしてもひたいが、平均的身長であるあたしのあごを超えない)、天然のウェーブがかかった髪を長く伸ばしているせいか、小動物のような印象を与える。ふわふわの髪はぞうかつやわらかくまわりに広がっていて、光が当たるとまるで海の波のようにきらきら輝く。

 りよくてきなのは髪だけではない。

 ゆかりは顔も整っている。

 他人がロボットに見えるとゆかりはいうが、あたしにはむしろゆかりのほうこそ人形に見える。その辺で手に入るようなせいひんではなく、オーダーメイドの西洋人形ビスクドール──なお、人形のようだというのは顔のパーツが整っているという意味で、表情がとぼしいというわけでは決してなく、むしろ彼女はあたしの知るだれよりも感情表現が豊かで、わずかな時間でくるくる変わるその顔は見ていて飽きることがない。女性、というより子供のかわいさなのだけれど、まだ中学生なのだから幼さはむしろ当然で、『むすっとしている』のがデフォルトだといわれるほどに笑顔をつくるのがにがなあたしは、しようじきときどきうらやましく思う。

 もっとも、とくな目を持つ彼女にとっても、となりしばは青いらしい。


「ガクちゃんはそういってくれるけれど、あたしはやっぱり、ガクちゃんみたいなほうがいいなぁ。ガクちゃんの顔、ほとんど動かないし、ほうしやのうとか平気そうだし」

「あんたでなければ、悪口だって思うところだ」

「わ。ちがうよ? 誤解だよ? ええとね、その、つまり、なんていうか──」


 わ、わ、とつぶやきながら助けを求めて周囲をさがす彼女の姿に、あたしは胸をめつけられて、ため息が出そうになるのをこらえる。

 十人に聞けば十人が十人友だちを呼んで百人単位でかわいいと叫んじゃうだろうぼんよう姿の彼女だが、本人は驚くほどそれを理解していない。

 けんそんでもでもなく、本当に、自分をかわいいと思っていないのだ。

 彼女の目にうつるものに、自身と比べられるものはないから。

 ニンゲンがロボットに見えるという彼女が知る『正しい人間』の姿は、鏡に映した自分自身と絵に描かれたものだけで(絵に描かれた人間は、どれほどせいみつであってもロボットには見えないらしい。逆にピンボケ写真であっても、人間をうつしたものであればそれはロボットに見えるのだとか)、しゆうの感覚というのは結局のところ環境と経験が生むものであり、学習して覚えるものであり、だからこそ、現代と平安時代では美人の基準がまったく異なるように、あたしたちとゆかりの基準も違う。あたしたちにはかわいく見える彼女の姿も、『ロボット』に囲まれ育った彼女にとってはコンプレックスのもとでしかなく、ふわふわの髪も白い肌も、自分一人が他人とは異なっていることを決定的に知らしめるだけ。

 彼女は本当に、自分をかわいいと思えず、『他のみんな』と同じような『ロボット』の姿になりたいと考えている。

 だからこそ。


「わ。ガクちゃん?」


 あたしはチャンスを見つけては(たとえば二人きりのときとか)、彼女をぎゅっと抱きしめる。常に『むすっとしている』自分のキャラではないと思うし、正直死ぬほど恥ずかしいが、それでも口に出さない限り、態度で示さない限り、あたしの目にうつっているものを彼女に伝えることはできないから。本当には伝えられないのだとしても、それでもわかってほしいから。

 だからあたしは、人目がないとき限定だけど、機会を見つけては恥ずかしさをこらえ、げる。


「あたしは、ゆかりをかわいいと思う。ゆかりにはどう見えていても、少なくともあたしには、ゆかりはとってもかわいい」

「わ。なんか恥ずかしい」


 れたようにうつむく彼女のほおはかすかに赤くなっていて、それはきっと、恥ずかしさだけではなくうれしさもあると思いたいけど、でもきっと、本当に伝えたいことは伝わっていない。わかってもらえない。

 だからあたしは言葉だけではなく、ぎゅっと彼女を抱きしめ、願う。

 伝わってくれ、あたしの気持ち。

 あんたは、もっと自分に自信を持っていい。

 ゆかりは本当に、だれにだって負けないくらいかわいいのに。どうすればそれを信じてくれるのか──

 ちなみに彼女は、よう姿についてはあきらめていて着るものなどにこだわらない──正確には、こだわるとロボットのコスプレのようなとんでもないセンスをはつする──代わり、清潔さに気を使っている。

 そのくせお風呂がにがで、一人では入れず、家族のごうがつかないときはシャワーですましているらしい。

 なんでも、人体が水に浮くのが信じられず、自分の防水加工に信用が置けず、どうしてもしんすいを考えてしまい、だから一人ではこわいのだとか。


「みんなはどうして平気なのかな? ガクちゃんだってとっても重そ……ええと、……わ、ちがうよ? 怒った? そうじゃなくて……」


 別に怒ってはいないけれども(そんなのいまさら)、自分の失言にわ、わ、わ、とおうおうする彼女の姿が小動物のように愛らしくて、おかげでじっと見つめてしまう。あいそうみついているあたしの視線は彼女からすればにらまれているようなものなのだろうけど、──そんなつもりはないのだけれど、気がつくと、じぃっと見入ってしまっている。


「あのね、違うの、ガクちゃんが重そうっていうんじゃなくて、あたしにそう見えるだけで、わ、違う、そう見えるんじゃなくて、ええと──わぁ、どうしよう──」


 あわてる彼女の姿は手ずからえさをあげたくなるくらいかわいくて、だから見るのをやめられず、そして思ってしまうのだった。

 ──こういうゆかりもかわいいし、……無理に伝えなくてもいいかな、と。

刊行シリーズ

紫色のクオリアの書影